第3話 部活選び
階段を上り旧校舎から外に出ると僕は後ろを振り返る。
なんというか、強烈な体験だった。
バッグの中に入っている借りた本が無ければ夢だったかと思ってしまいそうだ。
円城寺さん。
一体何者なのだろう?
ミステリアスな雰囲気の大人の女性という外見であるが、言動はちょっと常軌を逸している。そして鮮やかに僕の名前を推理してみせた。
僕に個人的な関心があるんじゃないかという淡い期待を打ち砕かれたのは残念だったけど。
日が差さない中庭を歩き、うらぶれたベンチの横を通り過ぎて旧校舎と新校舎の脇にある運動棟に向かう。
三つの建物の関係はカタカナのユの字に似ている。
上の横棒が旧校舎、下が新校舎で、間を結ぶ縦の線が運動棟という具合であった。
実際には少しずつ離れて建っている。
階段を上って三階の弓道場に顔を出した。
準備中でまだ稽古は始まっていない。
僕に円城寺さんのいる書庫のことを教えてくれた緑川先輩を目で探す。
弓道着姿の先輩が僕に気づいてくれて入口までやってきた。
「お、入部届を出しに来たのかな」
「いえ。まだ決めかねてますが、とりあえず本を借りることができたのでその報告をと思いまして」
「そうか。それは良かった。まあ、この恩返しはひとつ入部届で頼むよ」
僕は力ない笑みを浮かべる。
正直、こういうふうにぐいぐい来るタイプは得意ではなかった。
緑川先輩は悪い人ではないというのは分かるのだけど、僕とは別のコミュニケーションをするタイプなのは間違いない。
内心引き気味なのが分かったのか、先輩は態度を変更した。
「恩着せがましくてごめんね。ほら、うちの部は三年生は多いんだけどさ、二年生が私ともう一人しか居なくて、このままだと存続の危機なんだよね」
僕の様子を観察していた先輩はにやりと笑う。
「もし、入部してくれたら、円城寺さんのことをちょこっとだけ教えてあげちゃうぞ。色々と知りたいでしょう? ちょっと怪しげでカッコ良くて憧れちゃうよねえ」
なぜか僕が円城寺さんに興味を持っているということがバレている。
そんなに顔色が読みやすいつもりも無いんだけどな。
「いや、別に……」
「そお? 円城寺さん、一見とっつきにくいけど、懐柔するいい方法があるんだよ。知りたい?」
「それで貸出冊数が増えたりしますか?」
「んー。中身によるかな」
自分で聞いてはみたものの、そんなことで増えるのかよ。心の中で突っ込みを入れる。
「それじゃあ、聞きたいです」
「円城寺さんって謎に飢えてるの。だから、何か不思議な話を持っていくと喜ぶわよ」
「不思議な話ですか?」
「そう。ちょっとしたことでもいいから。話をするだけで謎を解いてくれるし、円城寺さんも満足するウィン、ウィンの関係ってわけ」
「先輩も何かお願いごとをしたことがあるのですか?」
「そうよ。実はね……。あ、いけない。一応は部活中だったわ。その話は今度時間があるときにしましょう。それじゃ」
肩透かしを食らった気分になったが、理は先輩にある。
入部の勧誘であれば問題ないが、世間話をいつまでもしているわけにはいかないだろう。
だけれども、一体どんな謎をどんな風に解き明かしたのかが気になるじゃないか。
僕の好奇心の強さを見透かしているのかもしれない。
今度時間があるときにと言われたって、先輩、しかも女性を訪ねて教室まで押しかけるなんて真似ができるはずもなかった。
自然な形で話をする機会を設けるとするならば、弓道部に入るのがもっとも負担がかからない形だろう。
練習が終わった後に片づけをしながら話をするのでもいいし、長い話なら一階の自販機で飲み物を買って飲みながら話してもいい。
部活終わりの先輩後輩らしき集団が談笑している姿を見たことがあった。
弓道場を辞去すると階段を下りる。
二階の柔道場と剣道場からは厳しい掛け声が響いていた。
一階の体育館からはダムダムとボールを跳ねさせる音とキュキュとシューズが床を擦る音が聞こえてくる。
熱心な勧誘の言葉に触発されたわけではないけれど、部活をどうするのかも考えなくてはならない。
運動棟を出て、新校舎の横を通りながら門を目指した。
野球部の練習を横目で見ながら歩く。
防球ネットの向う側でバッテリーが投球練習をしていた。
素人目にも球威のあるボールがキャッチャーミットにスパンと収まる。
保護ネットの裏からその様子を眺めている女子生徒が数組賑やかな声をあげていた。
緑の樹影の下の煉瓦敷きの道を歩きつつ、考えごとをする。
せっかくの高校生活なのだから、青春っぽいことをしてみたい。
僕はあまり目立つタイプでもないし、特に何かが秀でているわけでもないが、家と学校を往復して勉強だけという生活はあまりに味気ないと思う。
こんなタイプでもクラブ活動に従事すれば、自然と親しい友人ができるのではないかという期待があった。
できれば異性の友人というものも欲しいし、そこから一歩進んだ関係になれれば最高だ。
現実世界ではどうなるか分からないけれど、創作物の中での高校生活には鮮やかに彩られたイベントがある。
ただ、そのイベントは一人ぼっちでは味気ない。
側に誰かが居てこそ輝き、甘酸っぱい思い出になるというものだろう。
ただ、教室でも特に親しい異性の友人というものが存在しない僕が、そういった関係を構築するには何かのきっかけがないと厳しい。
できるだけ会話を始めるハードルを下げて自然な形で親交を深めるには、部活に入るのは必須というのが僕の分析だった。
ここで大事なことは、どんな部活でもいいというわけではないところ。
不純極まりないとは思うが、男女比が大きく男性に偏っている部は僕の目的にそぐわない。
まあ、野球部のような花形の部で活躍すれば、モテる可能性はある。
先ほどのエースピッチャーの姿が思い出された。
しかし、何の経験もない僕が四番でピッチャーとして活躍するのを夢見るのは、さすがに非現実的過ぎと言えるだろう。
ここにもう一つの重要な視点がある。
どんな部活でも周囲より下手であるよりは上手な方がいい。
集団競技なら周囲の足を引っ張ると浮くだろうし、個人競技でも大会で活躍した方がかっこよさそうだ。
だから、中学校にもあるような種目の部活は避けよう。
新型コロナ感染症のせいで中学時代は対外試合等もなかったようだが、三年間の練習の蓄積は大きい。
こうやって考えると、弓道部という選択肢は割と悪くないような気もした。
男女比は少なくとも大きく男性に偏っているということはないし、勧誘してくれている緑川先輩の弁によるまでもなく、中学からやっている人は少ない。
文武で言えば、文に偏っている僕でもなんとかなりそうな運動量というのも魅力的だった。
ネックになるのは、はっきり言えば道具代である。
弓は共用のものを借りることができるのだが、道着に矢、それ以外のこまごまとしたものを揃えるとかなりの金額になった。
部活をする以上、ユニフォームがないということは考えられないので、道着代は脇に置いておくとしても、一本三千円以上する矢が最低六本必要というのは衝撃的だ。
単純計算で二万円以上する。
小遣い四か月分の金額を別枠で出してくれるように母親に交渉するのは、難しそうだった。
しかも、年に一、二本は破損するため、買い替えも発生するというのがさらに厳しい。
しかも、必要になるのはこれだけじゃなかった。
専用の手袋状の用具などのものを買わなければならないし、夏休みの合宿への参加費用も別途かかる。
全部を小遣いから出すとなると他に何もできなくなってしまうだろう。
そういう面でいえば、道具代が一番安いのは卓球だった。
なんと千円以下でもラケットは買えると聞く。
ただ、体験入部のときに相手をしてもらった、早々に入部を決めたという一年生の打ってくるボールは僕には全然見えなかった。変に曲がるし、運良くラケットで受けても相手のコートに戻らない。
卓球部の先輩の目も温かくはないし、部内の最底辺をうろうろする未来しか見えなかった。
ぐいぐい来るのが苦手と言いつつ、自分から距離を詰めることも下手な僕にとっては、面倒見のいい緑川先輩は実はありがたいと言える。
校門を出る頃には、やはり、なんとか部活動に必要な半額だけでも出してもらえるように母にお願いするしようかな、と思い始めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます