窓際のモブAは思わぬ災難に巻き込まれる


(ヤバいっ、ヤバいっ、ヤバイ! ど、どうする……!?)


 間仕切りのカーテン一枚を隔てたほんの数M先にメイサさんがいる。

 僕がいるのには気付いてないみたいだけど、うっすらと向こうが透けて見える薄布じゃ隠れるには心もとない。まるでホラー映画ばりの緊張感だ。


 早く保健室から出て――いやでもベッドが置かれているのは保健室の窓側、つまりは最奥だ。

 そしてメイサさんと姉大路先生が話してるのは部屋の中央。

 入り口に行くには必ずそこを通らないと行けないから、どうやってたって見つかる。


 となると残る選択肢は窓から出るくらいだけど、保健室の窓は四方を学舎で囲まれた内庭に面している。

 うちの学校の内庭は定番のお昼スポットで、今もたくさんの生徒が食事をしながら談笑してるのが遮光カーテンの隙間からも見える。

 あそこに出て行ったら絶対に注目されちゃうから、普段はモブとして出来る限り目立たないようにしてる努力が無駄になりかねないからあんまりやりたくは――……ん? モブ?


 ちょっと待てよ。

 予想外の事で慌てちゃってたけど……そもそも今の『モブA』スタイルの僕なら見つかったところで問題ないのでは……?


 実際クラスメイト相手には入学してから三か月近くバレてないんだし、メイサさんが月城ミナトとしての僕を近くで見たことがあるって点を考慮しても、至近距離でまじまじと見比べでもされなきゃ平気なはずだ。

 まあ流石に試してみる勇気はないけどそうなって来ると、


(……ひとまずは様子見、かな)


 僕は呼吸音が漏れ聞こえないように口元を手で覆って、カーテンの向こうの状況を見守った。




「なるほど、それで湊斗くんと一緒に撮影をすることになったのね」


「そっ。カメラマンさんに感謝だよぉ~、前からの知り合いなんだって。そうじゃなきゃ売れっ子のミナトさんのスケジュール急に抑えるとか無理だもんね!」


 こっちがあれこれ悩んでる間に、メイサさんは昨日の撮影に至った経緯を姉大路先生に説明していたみたいだ。

 それにしても僕にはずっと敬語だったけど先生相手だと砕けてるなメイサさん。

 他の人にはみんなこうなのか、それとも先生だけ特別なのか。

 どっちかというと多分後者だろうな、と二人のやり取りを見てて思った。


「それでねそれでねっ、休憩時間にミナトさんとお喋りしたの! ベルトのことも全部話すの聞いてくれてね、それで『良かったね』って言ってくれたんだ~」


「そうなんだ。メイちゃんずっと共演してお礼したいって言ってたもんね」


「うんっ! トモエちゃんもありがとね、いつも相談に乗ってくれて!」


「ふふ、どういたしまして」


 だってメイサさんの姉大路先生への態度がもう完全にお姉ちゃんに対する妹のソレだ。

 歳の離れた弟くんの面倒をいつも見てるって言ってたし、聞き上手で包容力のある先生みたいな理想の姉を求めてたのかもな。


「はぁ~、生ミナトさん良かったなぁ。カッコいいし優しくて理想の王子様って感じでぇ」


「王子様かぁ。どっちかって言うと、少女漫画に出てくるちょっと意地悪でヒロインのこといつもからかってくるイケメン男子って感じだけどなぁ私は」


「え~、そうかなぁ~? トモエちゃんがミナトさんと実際に会ったことないからじゃない?」


 姉大路先生、僕のことそういう風に思ってたんですね……絶対僕が寝てると思って口軽くなってるでしょ。


 まあそんな風に僕の話でかしましく盛り上がるふたりに心の中でツッコミを入れたりしつつ、呑気に傍観していたのだが。

 メイサさんが姉大路先生にを見せたのがきっかけでその空気が一変した。


「そだっ! ねっねっ、トモエちゃん見てこれ」


「なぁに?」


「カメラマンさんにお願いしたら送ってくれたんだ~。あっ、でも掲載誌の発売まだだから誰かに言っちゃだめだよ? 私が怒られちゃうから」


「これって……」


「ふふ~ん、すごいでしょ! 私とミナトさんちょーお似合いカップルっぽくない!? 絶対コレ雑誌にも使われると思うな~」


 メイサさんがなにを見せたのか僕からはカーテンで遮られて分からない。

 ただ次の会話の内容から察するに、それは昨日撮影した写真みたいだ。そういやリルコさんに頼んでたっけ。

 どうも貰ったのは一枚だけではないようで、一枚一枚撮影した時の解説をしながら見せていく。


「これとか超よく撮れてると思わない? ほらこの自転車に乗ってる私に振り返るミナトさんの流し目が最高に色っぽくてぇ、鼻血我慢するの大変だったんだぁ」


(あ~、あのカットね)


 そのものが見えなくても構図が分かればどの写真の話をしているのかアタリがつく。

 メイサさんの月城ミナト愛に苦笑しつつもその解説に耳を傾けていたんだけど――先生がその間中ずっと、口を開いていなかったことに僕は気付いていなかった。




「……私だって湊斗くん一緒にご飯食べたもん」


「え?」


 これはあとでふと思ったことだけど。

 メイサさんは悪気なんてなくて、ただ姉貴分に昨日の話を聞いてもらいたかっただけなんだろう。

 だけど先生はずっと自慢されている気分だったのかも知れない。

 だからメイサさんに張り合いたくなってしまった、とか。

 先生が僕のことをただの知り合いだと思っていた昨日までなら、こうはならなかったのだろうけど。


 声帯を震わせて発した音を鼓膜が捉え、脳みそに到達して言語中枢がそれを『声』として認識し、その意味するとこが何か検索をかけてようやく僕は先生がなにを口にしたのか理解した。


(ちょおおおお!!? なに言っちゃってくれてんの先生えええぇっ!!)


 危うく叫びそうになったのをすんでで堪えた自分を褒めてやりたい。

 それだけ姉大路先生は僕からすればあり得ないことをしでかしてくれた。

 だって、メイサさんは七海湊斗と月城ミナトの繋がりを知らない。


「ミナトくんって……トモエちゃん、もしかしてそれ……ミナトさんのこと?」


 だけど今の話の流れで『みなと』という名前を出されたら、そう行き着くのは至極当然のことで。


「ふぇ? ……あ。いや違っ! 違うの、今のはそうじゃなくって」


「違うってなに?ねぇ、なんでそんなに焦ってるの?」


 自分の失言に気付いたらしい先生が慌てて誤魔化そうとしたけど、メイサさんはさっきまでの嬉々とした声色はどこへやら、抑揚もない平坦な声で再び問いかける。


「あ、焦ってなんかないよ? けどメイちゃんが誤解してるみたいだから」


「うん。だからそれをちゃんと教えて? 『みなと』って誰のことなの?」


「それは――」


 言葉に詰まる先生。

 僕の秘密を守るために月城ミナトの名前は出せないけど、七海湊斗の名前を出してもむざむざヒントを与えることになる。

 なによりどっちにしても『本人』である僕がこの場にいるわけで。


「ふうん、教えてくれないんだぁ。……私、トモエちゃんとは仲良しだと思ってたんだけどなぁ」


「そ、そうだよ!? メイちゃんは私の妹みたいなもので、」


「なら答えてよ。やましいことがないなら答えられるでしょ?」


「あううぅ」


 ……まずい、このままだと先生が押し切られそうだ。

 だけど、一体どうすればいい。


 僕は血が滲み出そうなほど手を強く握り締めて成り行きを見守った。

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