窓際のモブAは眠れない


「ご馳走様でしたっ」


「…ごちそうさまでした」


 箸を置いて両手を合わせた。

 机の上には空になった僕の実用性重視の無骨な弁当箱と、先生の可愛らしいデザインの弁当箱が置かれている。


「美味しかったですね~! 雫ちゃん、将来はきっと良いお嫁さんになれますよ」


 僕からおかずを半分ずつ貰って、それに加えて元々弁当箱いっぱいに詰まっていた素パスタとコンソメスープまでぺろりと平らげた先生は実に満足げだ。

 先生ってかなり細身なのにあの量がどこに入るんだろう……謎だ。


「雫が結婚なんて出来ますかね。料理はともかくそれ以外は僕に頼りっきりですよ、あいつって」


 二段の弁当箱をランチクロスで包みながらそう返すと、先生がにやにやした顔でのぞき込んできた。


「……なんですかその顔」


「いえ、お兄ちゃんとしてはやっぱり可愛い妹が遠くに行っちゃうのは複雑な気持ちになるのかなぁと」


「そういうんじゃないですから。だいたい雫はまだ中学生ですよ? 結婚なんてまだ先の話じゃないですか」


 雫は僕の一個下、学年で言うと二個下の14歳だ。

 ちょっと前まで女の子が結婚できるのは16歳からだったけど、18歳に引き上がった今となってはまだ4年ある。それも最短の話でだし。


「まあ、でも雫が実際に結婚するってなった時に相手がダメ男だったら無理矢理でも止めますけどね」


「わぁ。やっぱり湊斗くんってシスコン――」


「違いますって、あくまで兄として妹の幸せを願ってるだけです。ちゃんとした人じゃないと安心して任せられないんで」


 まったく人をなんだと……僕のはそういうんじゃない。

 両親を一辺に失って、新しい母玉青さんはいるけど父さんはいないままだ。

 だから僕が雫の父さん代わりにならなくっちゃって、そう思ってるだけで。


「それをシスコンっていうんですよ? 妹想いでいいじゃないですか、おにーちゃん♪」


「だーかーらー、違いますってば。……なんか先生いつもとキャラ違いません?」


「そうですか? あはっ、そうかも知れないですね。なんだか学生時代に戻ってみたいな気分でとっても楽しいんです♪」


 舌をぺろっと出して小悪魔みたいなあざとい表情を浮かべる先生。

 僕の知ってる姉大路先生とは別人みたいだ。そうなってしまったのも間接的には僕のせいかも知れないけど、


「っと、もうこんな時間。すみません先生、そろそろ寝ないと休み時間終わっちゃうんで失礼しますね」


「あっ、湊斗くん……」


 弁当箱を片付けた僕はそそくさと空いているベッドに逃げ込んだ。

 間仕切りのカーテンを引こうとした時、まだ話足りなそうに姉大路先生は手を伸ばしていたけど――それには気づかないふりをして、そのまま閉めた。




 音が聞こえる。

 窓の外のミンミンと鳴く蝉の声。

 シャッシャッと走るペンの音。

 部屋の中を歩く先生の足音。


(……眠れない)


 目を閉じてもそれが気になって、瞼は重くなってるのにさっぱり眠れる気配がなかった。


 音が五月蠅いってわけじゃない。

 むしろ姉大路先生は僕を気遣ってか音を殺していて、耳を澄まさないと聞こえないくらいだ。

 つまり僕が無意識にそうしてたってことだ。


 実のところその原因は自分でも分かってる。

 さっきの姉小路先生の寂しげな顔。そのことが気になっているんだって。


 先生から逃げたのは、べつに先生のことが急に嫌いになったとか苦手になったとかそういうじゃない。

 ただなんて言うか……そうだな、イメージしやすく言うなら自分のお母さんのことをどれだけ慕ってたとしても恋愛的な意味で好かれるのはキツイと思う。

 そんな感じで、自分にを向けて来ないと思ってた先生から『男』として見られるのがなんか嫌だった。


 元々大して深い付き合いをしてきたわけじゃないんだし、今まで通りの知り合い以上友達未満の緩い関係のままでで僕は良かったのに。

 頭の中がごちゃごちゃな思考でいっぱいで、これじゃ例え何時間粘ったとしても眠れそうにない。


(…………だめだ、諦めよ)


 僕はクーラーの効いてひんやりと心地良いベッドから身体を起こした。

 枕元に置いたスマホを手に取って時間を見ると、まだ12時25分。昼休みが終わるまであと20分はある。

 さて、どうしようか。

 教室に帰ってもいいけど先生に寝るって言っちゃった手前、中途半端な時間で出て行きにくいし適当に暇を潰すのが無難か。


 そんなわけで動画サイトを開いて、適当なshort動画を音量を絞って眺めていると――廊下からドタバタとけたたましい足音が聞こえて来た。


(なんだ? どこの命知らずだ)


 一階は職員室とか校長室とか先生方の部屋が並んでて、廊下を走ってるとこを見つかろうもんならすぐに職員室の隣の生徒指導室行きになる。

 だからみんな二階より上でははしゃいでも一階だけはおしとやかぶって歩くのがお決まりなのに。

 しかも気のせいじゃなければここに近付いてるような、


「トモエちゃあああああああん! 聞いてよおおおおぉ!!」


 ばあああんっと大きな音を立てて誰か女の子? 女の人? が入室してきた。

 そういえば姉大路先生の下の名前ってトモエだったっけ。


「ど、どうしたの…?」


「はぁはぁ、あのねっ! 信じらないと、わ、思うんだけど! はぁはぁ……実はね……」


「うんうん、聞いてあげるから一旦落ち着こ。ね?」


 先生も流石に驚いた様子だったけど、そこは緊急時には冷静さを求められる養護教諭らしく、すっかり息の上がっているその女性に落ち付くように言い聞かせていた。

 ペットボトルかなにかを先生が渡すと、その中身を勢い良くあおるシルエットがカーテンに映る。


「んくっ、んくっ、んくっ――っはぁ、生き返ったぁ。ありがと、トモエちゃん」


「どういたしまして。それよりメイちゃんどうかしたの? 随分慌ててたみたいだけど」


「あっ、そうだった! 聞いて聞いてたトモエちゃん、私ね!」


 どうやらやり取りからして二人は仲が良いみたいだ。姉大路先生でも親しくない相手からタメ口を利かれたら注意の一つはするはずだし。

 にしても怪我したとか先生を呼びに来た風ではないけど、この誰かさんはなにをしに来たんだろう。


「あのねっ! 私っ、あの月城ミナトとL〇NE交換しちゃったぁ~!」


「……え? そ、それってあのメイちゃんがファンだって言う?」


「うんっ! 昨日たまたま仕事が一緒になってね、ダメ元でお願いしたら教えてくれだんだ~」


 することもないのでふたりの会話に聞き耳を立てていた僕は、その内容を聞いて言葉を失った。


 まさかこんなことが、いやでも十分あり得ることではあった。

 なんせとは同じ学校で、それに今日登校してるって送ってきてたし。

 けどだからって、なんでこんなタイミングでしかも逃げ場もない場所で遭遇するんだ……!


「実はさっきもL〇NEでやり取りしてて~、ミナトくんも今日は学校なんだって!」


 これ以上ないくらいにご機嫌な弟切メイサが、カーテンを一枚挟んだすぐ向こう側にいた。




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