窓際のモブAは再びレンズと向かい合う


「それからは男の人にもミナトさんみたいな人もいるって思えるようになったんです。……でも一人じゃ心細かったからこのベルトをお守りに持ち歩くようにしたら、ミナトさんに勇気が貰える気がしてきて。今も男の人は苦手なんですけど、それでも一番酷い時よりは大分良くなったんですよ?」


 そう言って、メイサさんまたぺこりと深くお辞儀をした。


「もしあの精神状態のままだったら、モデルの仕事は大好きだけど辞めちゃってたと思うから。だからミナトさんは私の推しで、大切な恩人です。ありがとうございましたっ!」


「そっか。良かったね、メイサさん」


「はいっ! 本当に全部ミナトさんのおかげです!」


 それほどまでに男性恐怖症に悩まされていたんだろう、顔を上げた彼女はそれは嬉しそうに微笑んでいて。

 だから僕は彼女に「誤解だよ」って正直に言い出せなかった。


 夢を壊して悪いけど僕はメイサさんの思ってるような『王子様』なんかじゃない。


 それなりに女の子に興味だってあるし、仕事で忙しくて暇もないけどいつかは可愛い彼女作ってしたいって願望があるくらいには普通の男子高校生でしかない。


 それにここだけの話、メイサさんのことも今日顔合わせした時からずっとめちゃくちゃエロいなって思って見てた。

 それを半年前も今もメイサさんの前で見せなかったのは女の人に対するエチケットとあとは単純に仕事中だからで、これがお互い顔も名前も知らない状態で街中ですれ違ったとかなら思わずその胸に目が吸い寄せられちゃうかも知れない。

 そんなもんだ、僕って人間は。


 だけどそれを教えたところでメイサさんが悲しむだけなのは目に見えてるし、下手したら男性恐怖症が悪化しちゃうかもしれない。


「だから今日、相手役のモデルが急遽降板になって代役がミナトさんだって知った時はすっごく嬉しくて! どうしたらいいか分からなくてリルコさんに相談しちゃいましたもん」


「もしかしてソレ僕がスタジオ入りした時に話してたやつ? そんなに楽しみにしてくれてたんだぁ。ありがとう、メイサさん」


「ひゅっ……い、いぇ……」


 だから僕は彼女の求める理想の月城ミナトの仮面を被り続けることにした。

 これは嘘かも知れないけど、騙してどうこうしようってわけじゃないし誰も不幸にならない選択肢があるならその方がいいはずだ。


「……けど、なら尚更ごめんね。僕が上手く出来ないせいでメイサさんの足引っ張ってちゃって。カッコ悪いとこ見せたよね?」


 それはそうと、僕がいま優先しなくちゃいけないのは今日のモデル撮影の方だ。

 話の流れで頭の片隅に追いやられていたそのことを思い出して自嘲気味にボヤくと、メイサさんはおかしななことを言い出した。


「そんなっ、あれは私のせいだからミナトさんは気にしないでください。次はもっと上手く合わせますから」


「いやメイサさんは凄く様になってたよ。事実、リルコさんにダメ出しされてもなかったし」


 目の端でポージングしている彼女に流石はプロのモデルだなーって感心しつつも、不甲斐ない自分と比べてちょっと悔しかったりした。

 だけどプロモデル目線での自己評価はまた違うらしい。


「だけどリルコさんに褒められてもなかった、そうですよね?」


 どうだったっけ、そう言われると――……あ、確かにそうかも。

 思い返してみるとリルコさんは良くも悪くもメイサさんにはほとんど触れていなかった気がする。


「でもそれは僕がダメダメ過ぎて、僕の方をなんとかしなくちゃってリルコさんが必死だっただけなんじゃ?」


「いいえ。あの時の私はミナトさんが横にいるって思ったら緊張しちゃって、自分のことで精一杯になってたので。ソロならともかくペアでの撮影では論外だし、なによりリルコさんが見抜けないわけないです」


 続けてメイサさんは確信を込めて言った。


「だからリルコさんは、きっと私にそのことをミナトさんに話せって言ったんじゃないかと思います」


 なるほど、たしかにそう聞くと筋は通ってるように思える。

 もしかしたらリルコさんがダメ出ししてきた原因の一端なのかも知れない。


 だけど、やっぱり一番の原因は僕がリルコさんの指示通りに動けていなかったことだろう。

 そしてそれは僕自身の問題で、メイサさんがどうこうしたって解決するものじゃない。

 ならリルコさんがメイサさんを僕のところに来させた目的って一体――


「あら?  なんでこんな時間に」


 考え込んでいたらどこからかピピピッと音がした。スマホのアラーム音だ。

 どうやらメイサさんのスマホから鳴っているようで、バッグからスマホを取り出した彼女は次の瞬間顔を青白くさせて、わなわなと身体を震わせながら僕の方に振り向いた。


「……どうしましょうミナトさん。休憩時間、もう過ぎちゃってるみたいで……」


「えっ」


 やっばい、これはやらかした。




 ***




「「すみません! 遅れました!!」」


 行きに数分かけた道のりを大急ぎで引き返してスタジオに飛び込むと、仁王立ちのリルコさんが僕らを待ち構えていた。


「揃って遅刻なんて随分仲良くなったみたいで嬉しいわぁ。……ま、ワタシがなに考えてるかなんてふたりは言われなくても分かってるでしょうし、時間のムダね。とっとと撮るわよ?」


「「はいっ!」」


 そうだ今は時間がないんだ。

 元々の予定ですら休憩上がってからの撮影時間は25分しかなかったのに、今はもう20分を切ってる。

 いくらモデル撮影がスピーディーだって言っても休憩前に撮ったやつは全部リテイクだろうから、間に合わせるにはここからリテイクなしで全カット一発OKくらいの巻き巻きじゃないと無理だ。


「ふぅ」


 カメラの前に再び立つ。

 もし間に合わなかったらリスケして撮り直すか、納期がギリギリなら最悪没になった中からマシな写真を使うことになるかも。

 そしたらこの仕事のクライアントさんにも、リルコさん含む現場のスタッフさんにも、メイサさんにも、大勢の人に迷惑をかけることになる。

 そうならない為には僕がミスなく切り抜けるしかないけど――状況は絶望的だ。


 不安になってチラっと横に目をやると、深呼吸していたメイサさんと目が合う。

 パッと笑顔になった彼女の口元が、音もなくパクパクと動いた。


(ま・か・せ・て・く・だ・さ・い……? )


 その口の動きを読んで、僕は自分が情けなくて死にたくなった。

 どうやら彼女はさっき言っていた通り、月城ミナトのファンとしてか、それとも恩人への恩返しか、そのどっちもかも知れないけど、ありがたいことに代わりに僕のミスを何とかしてくれるつもりらしい。


(それでいいのか、月城ミナト。……いいわけないよなぁ?)


 本当に頑張らないといけないのは、弱気になってる場合じゃないのは、彼女の足を引っ張ってるこの僕自身だ。

 それにきっとメイサさんがファンになった『王子様』はそんなことしない。

 役者なら、自分で演じると決めたなら、最後まで演じきれっ!!


「――お願いします」


 黒々としたカメラの丸いレンズをキッと見つめると、ファインダーを覗き込んでいたリルコさんが満足そうに笑った。


「遅いわよ、本気になるのが。……それじゃふたりともさっきのカットからお願いね? ふたりは付き合いたての恋人同士で、今はデートの途中。隣り合っておしゃべりしながら街並みを歩いてる。そういうシチュエーションでちょうだい」


 3、2、1、はいっ、とリルコさんの掛け声がかかった瞬間、僕は意識の海に潜った。


 僕は今、街を歩いてる。

 横にはメイサさんがいて、メイサさんは僕の恋人だ。

 キスはおろか手を繋ぐのも躊躇うくらい付き合いたてで。

 メイサさんのちょっとした仕草や笑顔を見るだけで幸せな気持ちになる。

 こんな綺麗な恋人が出来るなんて僕はなんて幸運なんだろう。


 そんなイメージを膨らませて、その中に『僕』を飛び込ませる。

 どこまでが自分でどこまで役か、その境界すら分からなくなるくらい深く深く潜って行って――


(あれ?)


 気付くと僕は自然とリルコさんの指示通りにポーズを取っていた。

 一度もダメ出しされることもなく、流れるようにシャッターが切られる。


 おかしい。さっきは1カットごとに止められてたのに。

 いまいちな映り具合でもリテイクしてる時間がないだけなのか。いやだけど表情もポーズも自分で分かるくらい硬さが抜けて柔らかい。


 それになにより恋人役のメイサさんを居て当然のものとして受け入れている。

 溌剌とした笑顔を向けてくる『彼女』が可愛くて、脳内に作り上げたメイサさんと付き合っている設定の僕が意識せずとも勝手に微笑み返すと、みるみる彼女の顔は真っ赤に染まっていった。


 凄い。役と自分の境界線がほとんどない。

 いつも通り、いや、いつも以上に『役』にハマってる。

 にしても役に入る時にマインドセットするのはいつものルーティンだし、さっきも同じようにしたのにどうしてこんなに違うんだろう?


 考えても分からないけど、一つだけ確かなのは今の僕は役者としてもモデルとしても絶好調らしいということだった。



 …………………

 ……………

 ………



「ふたりともお疲れ様~! おかげでいい絵が撮れたわ~っ!」


 時間にすればたった十数分くらいの、ちょっとした記録になるんじゃないかという猛スピードで撮影を終えて僕はカメラの前に立ち尽くしていた。

 風船に入れた空気がしぼんでいくように、僕の中から作った『役』が抜けて出ていく。

 演技を止めるといつもこの感覚に襲われるけど、今日は今までの俳優人生でも一番か二番を争うくらい役とリンクしてたからか、自分の一部がなくなってしまうようで少し寂しい。


「どしたのミナトちゃん。早く支度しないと次の現場間に合わないわよ」


 ふと誰かに肩を叩かれて振り返ると、そこにはリルコさん立っていた。

 けど大体セットでいるはずの僕のマネージャーの姿がない。


「百合さんはどこに行ったんですか?」


「百合ちゃんなら車回してくるってさっき出てったわ。ていうかミナトちゃんにも声かけてたと思うけど」


「え、嘘ぉ」


 全然気付かなかった。

 周りの音も耳に入らないくらい自分の世界に入り込んでたのかな。


「その反応ホントに気付いてなかったのね。……まあでも、さっきのミナトちゃんの憑依具合ならそうもなるのも仕方ないのかしら。まるで別人に成り切ってるみたいだったもの。あれこそ月城ミナトの本領ってところかしら?」


「いえ……」


 リルコさんは褒めてくれたけど、アレが僕の実力って言われると内心複雑だ。

 だって一回目に撮影した時はあんなにも上手く行かなかったのに。


「リルコさんはなんでメイサさんを僕のとこに寄越したんですか?」


 だから気になっていたことをリルコさんに聞いてみた。


「なんでって?」


「いえ、結果的に調子が戻ったのはいいんですけど、その理由が自分で分からなくて。でもリルコさんはなにか気付いてたんですよね?」 


「……呆れた。アナタまだ自覚してなかったの」


「え?」


 ついっと指を差したリルコさんの爪の先を目で追うと、律儀にもスタッフに一人ずつ頭を下げて回っているメイサさんがいた。


「理由は分からないけど。ミナトちゃんあの子のこと距離置こうとしてたでしょ」


「いやっ、そんなことは――」


 すぐさま否定しようとしたけど、そう言えばメイサさんのこと学校同じだし僕の正体がバレたくないからって警戒してたっけ。


「図星みたいね。。ただでさえ恋人同士を演じて撮影するのに、その相手のことを信頼するどころか疑ってるようじゃ表情も硬くなるに決まってるわ」


 そうか、だからだったんだ。

 言われて色々と腑に落ちる。

 メイサさんと話をして、彼女のプライベートな事情なんかを知ったのもあって僕はすっかり最初に抱いていた警戒心をどこかへなくしていた。


「じゃあ、リルコさんはメイサさんと話せば打ち解けると思って僕のとこに? けど上手く行かない可能性だってあったのに」


「その時はその時よ。それに結局上手くいったでしょ? ワタシ、ギャンブルは得意なのよね~」


「そんな無茶な……」


 そもそもの原因になった僕が言うのもなんだけどバクチもいいとこだ。

 下手したらリルコさんのカメラマンとしてのキャリアに傷が付いたかもしれないのに。


「ま、いくらワタシでも誰かれ構わず賭けたりはしないわよ。今日ワタシがアナタに賭けたのは、今までのアナタの仕事ぶりを評価していたから。信頼は自分の行動でしか買えないわ。よく覚えておきなさい、ミナトちゃん」


「……はい!」


 その金言に僕はハッとして、強く頷いた。

 芸能界で生き残るには才能が一割、残り九割はコネって言い切る人もいるくらいで、そのコネを繋ぐのは親とか事務所の影響力もあったりするけど、なによりも一番は本人の努力次第だ。

 今日リルコさんに助けの手を出してくれたのも、メイサさんが僕に協力的だったのも僕の日頃の行いがあったからこそで。

 これからも慢心することなくやっていこうと僕が固く誓ったのだった。




「っと待った、ミナトちゃんが仕事行く前に見せたいものがあるんだったわ」


「どうかしました?」


 ところで本格的に時間がマズそうなので、衣装を着替えにメイクルームに引っ込もうとしたらリルコさんに呼び止められた。


「ちょっとね。メイサちゃ~ん、アナタもこっちにいらっしゃ~い!」


 離れたところでスタッフさんと談笑していたメイサさんがリルコさんに呼ばれてトコトコと近づいてくる。


「呼びましたか~? あ、ミナトさんも」


「うん、リルコさんに呼び止められてさ」


 なんの用なのかとメイサさんと顔を見合わせていると、リルコさんは私物のノートパソコンの画面を僕らに見せてきた。


「せっかくだから二人にも見せようと思って。どうかしら?」


 それは僕とメイサさんが、まるで本当の恋人同士のように笑い合いながら手を繋いでいる写真で。


「わぁ、綺麗! リルコさん、これあとで私も一枚貰っていいですか!?」


 きゃっきゃっとはしゃぐメイサさんとは対照的に、僕は静かに黙ったまま見入っていたけどその出来に密かに満足したのだった。


(ふ~ん。……いいじゃん)


 後々になって雑誌が発売されてから、あまりの距離の近さに僕とメイサさんの熱愛疑惑が出たりもするんだけど――それはまた別の話だ。



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