窓際のモブAは日常に戻る


 翌日。

 僕は定番ポジションの窓際席で、腕を枕にして机に突っ伏していた。


「ふわああああぁ~、っくぅ……眠っ」


 これで何回目かも分からない口から出てきた大あくびを噛み殺す。

 ただでさえお昼前はお腹が減ってるのに、そこに来て三限の英語の授業は僕の睡眠中枢をゴリゴリに刺激してくれていた。

 言語が違うからすんなり頭に入って来れないし、ALTのレイチェル先生のカントリーソングでも歌ってそうな美声がもう子守歌同然で半分くらい寝ちゃいそうだったけど、それでもなんとか堪えた自分を褒めてあげたい。


 眠いならいっそ寝ちゃえばいいじゃんっても思うかも知れないが、そこは学業と俳優業を両立してる二重生活の大変なところっていうか、普段学校を休みがちな分取れる単位は取っておかないと後々卒業も怪しくなるので……。


 そんなわけで睡魔との50分の戦いになんとか勝利した僕は、次の戦いに備えて英気を養っていた。

 とにかく一限、あと一限だけ我慢すれば昼休みだ。

 今日は珍しく完全オフ日で午後の予定もないし、午後の授業が始まるまでたっぷり仮眠が取れる。


(昨日もなんだかんだ家帰るの遅かったからなぁ……)


 まだ午前中なのにこんなに眠いのは、リルコさんとメイサさんと別れた後のドラマ撮影が長引いて労働基準法に引っかかる22時ギリギリまでかかってしまったからだ。

 その後百合さんに送ってもらって家に着いたのが23時過ぎ。ご飯とお風呂を済ませて、学校の宿題と台本ホン読みと自主レッスンを終わらせたらもう深夜4時。というか早朝4時だ。7時30分には起きないといけないから3時間ちょっとしか眠れなかった。

 こんな生活がザラにあるのが売れっ子俳優の実態だったりする。


「ナッナミ~ン♪ 随分眠そうじゃん、どったの~?」


「……笑野くん、うっさい」


「ワッタフ〇ック!?」


 そして、そういう時に限って絡んで来るのが笑野太陽という僕の友達だった。


「なんだよ~冷たいじゃんか。昨日も俺んこと投げ飛ばして帰っちゃうしさぁ」


「そんなことあったっけ?」


「ひっでぇ、ナナミン! ひとのことケツから床に落っことしといて忘れてんのぉ!?」


「床……ああ~、アレか。ごめんって、けどちゃんと怪我しないように手加減したでしょ」


 泣きついてくる笑野くんをいなしつつ、僕はそんなこともあったなと学校での出来事を思い出していた。

 というのも昨日はモデル撮影にドラマ撮影にとトラブル続きで色々と強烈だっただけに、それ以外の印象が薄い記憶が抜け落ちていたみたいだ。


「そういえばさ、あのあとって騒ぎになったりした?」


 よくよく思い返すとスマホで撮られちゃってたし、あんまり騒ぎになってないといいなー、と半ば諦めつつ聞いてみると笑野くんはケロっとした顔で答えた。


「うんにゃ、俺が勝手にコケたことにしといたから平気よ平気。ナナミンもとくに言われたりしてないっしょ?」


 なんだって?

 あ、でも言われてみればたしかに登校してきてから笑野くん以外に話しかけられてないかも。

 我ながらいつも通り完璧な『モブA』具合だなって自画自賛してたけど、まさか笑野くんのファインプレーのおかげだったとは。


「それはどうもありがとう?」


「なぜにそこで疑問形。恩人よー、俺」


「だって思ったけどそもそもアレ原因は笑野くんじゃん。マッチポンプみたいで素直に感謝したくないっていうか」


「いや俺ちょー頑張ったんですけど! なんか知らんけどキレてた米田先生ヨネセンにナナミンのこと取り成してあげたのも俺だからね!?」


「あ、それはマジでありがと」


 そんなとりとめのないやり取りをしていたら眠気もすっかり醒めて、四限の世界史は三限と違ってしっかり授業に集中出来た。

 こればっかりは笑野くんに感謝するしかないけど……まさかそのために僕に絡んできたとか?

 いや考えすぎか、流石に。



 ただ眠気が無くなったと言っても一時的なもので、昼休みに入ると再びフラフラになった僕はすぐにでも寝床を探しに行くことにした。教室の中だと煩くて寝れたもんじゃないし。

 妹が作ってくれた弁当を持って教室を出ようとしたところで笑野くんに絡まれたけど、事情を説明すると意外にあっさり諦めて僕を送り出してくれた。


 さてと、どこに行こうか。

 理想としては寝るのを邪魔されないくらい静かで、7月の暑さを感じないくらい涼しくて、出来ればベッドなんかもあったりして――そんな贅沢が全部揃ってる場所っていうと選択肢は一つしかない。


「保健室行くか」


 そうと決まれば早速保健室のある一階に足を向けたのだけど、階段の踊り場に差し掛かったところで制服のズボンのポケットに突っ込んでいたスマホがブルッと振動した。


 な~んか嫌な予感がする。

 だって僕の連絡先を知ってる人って言ったら家族と、それこそ笑野くんみたいな友達数人を除けばあとは仕事関係の人ばっかりだ。

 その内の笑野くんはついさっき別れたし、となると。


 今日は珍しく完全オフ日で午後に仕事は入ってない。

 まあ学校はあるけど、その後は家に帰って久しぶりに惰眠を貪ろうと思ってたんだけど。

 また飛び込み仕事でも入ったのかと思っておそるおそる画面を見ると、


「メイサさんから?」


 それはLI○Eの新着通知だった。

 メイサさんのばっちりキメた自撮りアイコンが早く既読を付けろと急かすように主張していた。


 そういや昨日、別れ際に連絡先をねだられてなし崩し的に教えたっけ。

 ファンに連絡先を教えるのは事務所に禁止されてるけど、メイサさんなら同じ芸能人だしまあ大丈夫かなと思って。

 僕の正体を隠すって意味じゃあんまり良くないけど、一緒に仕事しといて断るのは心苦しいしリアルで距離を保ってる分には平気だろう。


 とにかく仕事の連絡じゃなさそうなことに胸を撫で下ろして通知ポップをタップすると、可愛らしいスタンプを添えて文字が並んでいた。



 meisa:

 初めましてメイサです。ミナトくんは今なにしてますか? 12:03



 ……なんでだろう、とくに中身って中身もない簡素な一文なんだけど、何度も何度も書き直して余計な文字を削りに削ったらここにたどり着きました、みたいな印象を受けるのは。僕の気のせいかも知れないけど。



 ミナト:

 今日は学校。いまお昼休み入って、ご飯食べたらちょっと仮眠しようかなって思ってた。メイサさんは? 12:04



 階段を降りながらポチポチと返信すると、秒で既読が付いた。

 そして爆速で次のメッセージが送られてくる。にしても早すぎだろ。



 meisa:

 私の学校も今ちょうどお昼休みです! えへへ、一緒ですね 12:04



 まぁ、そりゃ同じ学校だしな。

 一年の教室がある三階から一階に降りて、廊下の突き当たりにある保健室までの道のりを歩きながら再度返信する。



 ミナト:

 そうなんだ。もしかしたら僕の学校と地域近いのかもね。メイサさんのとこって公立? それとも私立? 12:05


 meisa:

 私立ですっ。ホントは芸能科のある高校に進学したかったんですけど、実家の関係で進学先決められちゃってて……でも学校自体はいいところですよ。中学の時より友達もたくさん増えました! 12:05



 たしかにこの城戸大附属はいい高校だと思う。

 芸能科はないけど、理事長先生に事情を話したら便宜を図ってくれたし。僕が七海姓で学校に通えているのもそのひとつだ。

 それに中学時代に色々と悩まされていたメイサさんが文章で見て取れるくらい楽しそうにしてるのは素直に喜ばしい。



 meisa:

 ちなみにですけど、ミナトさんの通ってる学校って教えてもらえたりは…… 12:06


 ミナト:

 ん~、流石にそれは秘密ってことで 12:06


 meisa:

 や、やっぱり。ならせめて私立か公立かだけ教えてくれませんか? 私もさっき答えたわけですし 12:07


 ミナト:

 あ、ごめん。目的地着いちゃったから落ちるね。じゃあまた 12:07


 meisa:

 ええっ!? そんなぁっ、教えてくださいよぅミナトさぁん! 私、昨日の夕方からミナトさんになんて送ろうか悩みに悩んでやっとLI○Eしたんですよ!? 哀れなオタクを一人救うと思ってちょっとくら――



 そこまで読んでスマホをポケットに仕舞うと、抗議するようにブルブルと連続して通知が届いた。

 悪いとは思ってるんだけどさ、このまま付き合ってたら昼休みが終わっちゃいそうだし。だからごめんねメイサさん、あとで読むから許して欲しい。


「姉大路先生いますか。七海ですけどー」


 目的地である保健室のドアを開けて中に入る。

『在室』のプレートが掛かってたからいるのは分かってたけど、声をかけると保健室の主がカーテンの向こうからひょっこりと顔を出した。


「また来たんですか湊斗くん! いつも言ってるでしょ、ここは休憩室じゃないんですからねっ」


 糊の利いた白衣に、ノースリーブニットとタイトスカートという○貞でも殺してそうなえちえちな組み合わせ。

 そんな服装がよく似合っている彼女は名前通りに包容力に満ちた雰囲気と、その人柄の良さで男女問わず生徒から人気がある。


 人呼んで『保健室の天使様』、養護教諭の姉大路巴先生が僕を警戒するように眉根を寄せていた。


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