第89話騎士たちの事情


 セシルは神樹の連絡通路の中に入って、愕然としていた。


「な、なにこれ……」


 自分がかつて見た事のない光景が広がっていたからだ。

 そんな自分の様子を見てか、近くにいるアクセルが周囲に目をやりながら声を掛けてくる。


「セシルの驚きから見るに、やっぱ元からこうじゃなかったんだな」

「も、勿論よ! 本当ならもっと綺麗で、良い匂いがして……とても素晴らしい場所なのよ!」


 自分達の記憶にある連絡通路は、神樹の内壁からせり出るようにして作られた、鮮やかな茶色と瑞々しい木目が目立つ、綺麗な樹木の道だ。


 木々の爽やかな匂いに包まれ、穏やかな気分で登れる道だったのだ。

 けれど、今や連絡通路は、枯れ色が目立つばかりか、無残に穴だらけとなっている。

 

 道そのものが、萎んでいるようにも感じられた。


「今まで枯れた事なんてなかったし、そもそも神樹は自動修復能力があるから、こんなボロボロのままになるわけないのに……どうして。こ、枯死っていったい、どうなっているの、お父さん!」

 セシルが驚きと共に発した疑問に、シドニウスはまず、冷静な顔をして言葉を返してきた。


「我が子らの驚き様を見て貰って分かる通り、これまでなかったことなので、順を追って説明させて貰います。とりあえず、神樹の枯れた状態は、上層の道まで続いています。もはや上層への道は、満足に使えなくなっています」


 シドニウスは手近にあった、樹木の道に触れながら言う。

 階段状になっているその道は、彼の手が触れた瞬間、ポロポロと、木片となって落ちていく。


「六割方はこのような脆い状態で、もっとひどい個所もちらほらあります。まだ、生き残っている部分もあるにはありますが、とても危険な事には変わりなく。ご存知の通り、魔法の安定発動も難しいので、風系の魔法を使って昇る事も不可能という訳です」

「ふむ、安定発動が出来ないのは、内部も外部も変わらないんだな」


 アクセルのそんな疑問に、彼の肩に乗っていたデイジーも頷きを返す。


「一時的に神樹の魔力を吸い取っても次から次に湧いてくるからなー。そこは流石神樹ってところだけど……今回はそのせいでキツイ事になってるんだよな」

「ええ。上がる手段としては、こちらの縄梯子くらいですかね。そちらにある滑車による小さな昇降機は人の重さに耐えきれないですから。小物を運ぶくらいが精々なので」


 シドニウスの視線の先には、はるか上層から垂らされた縄梯子がひとつあった。

 神樹の内部には壁からせり出した連絡通路があるので、かなり使いづらそうに見える。

 

 また、その手前には上から垂らされたロープが取り付けられた小さな板がある。

 かなり昔に作られたものだ。セシルがいた頃には、通路が活きていたので、あまり使われていなかった筈のものだけれど、

  

「小物運びとはいえ、今は、使われているのね」

「ええ、上層も枯れているので、常に落木の危険がありますが。……物資を届けるためには必要なので使わざるを得ません」

「うん? 物資を届けるってことは……魔法科学ギルドの研究所が神樹の上にあるってことだけど、まだ人がいるってことか?」


 ★

 

 ふと、俺が思った疑問を口にすると、シドニウスは真面目な表情で首を縦に振った。


「はい。この原因究明のために、上層でギルド員たちが数十人、奔走しております。また、上層に限らず下層でも、デイジー殿をはじめ、《樹医》や《薬学者》など、ヘルプで極秘裏に外部からの客員を呼んで調査をしております」

「だからこの街にデイジーがいたのか」

「そうだぜ。魔法科学ギルドの要請に乗った形だな」


「……そしてデイジー殿や、魔法科学ギルドの調査の結果、外部要因による毒性物質でこうなったらしい、という事が分かったのです」

「毒性物質?」


 デイジーが答えてきた。


「ちょっとやそっとの突然変異や、自然で出来るとは思えない程の強力な毒素が入り込んでいたんだ。ウイルスや生き物みたいに蠢いている奴がな」

「そうですね。自然に出来るとは思えないが、人為的に作り出そうにも、魔法科学ギルドにいる、毒を扱うプロの《上級調薬士》ですら扱えないレベルに複雑な毒物だ、と魔法科学ギルドのトップは言っていましたね。製造方法は不明で、人知を越えたとんでもない突然変異で生まれた毒、と考えたくなる、と」


 シドニウスは樹上を見上げながら言って来る。


「とにかく強い毒って事は分かってるんだな」

「はい。調合に挑戦しようとしたら、確実に何人も命を落とす事になる劇毒だそうで。どこから来たものか、自然現象なのか、誰かが意図してやったのか、それらはまだ調査中ですが」


 シドニウスの言葉に肩にいるデイジーも頷く。

 

「ま、そんな訳でな。そういった不明点や原因を究明するためにも、俺が動いていたんだぜ、親友」

「ええ。デイジー殿には、下層にも研究拠点となるラボを作ってもらい、研究を進めて頂いているのです

「ラボって言っても、狭い廃屋を再利用して作った、俺が研究する専用の、あんまり大きくない建物だけどな。上の研究所の方がでかいし」

「ですが、デイジー殿一人で、魔法科学ギルドと同等量の研究成果を出して頂いておりますから。助かっております。その上、見回りなどもして貰っていますし」

「ああ、そういや、デイジーは人払いをしていたっけな」


 だからこそ、自分達は出会ったわけだし。

  

「なんで、そんな事をやってたんだ?」

「まあ、親友は分かると思うが、オレは人の気配に敏感だからさ。見回りをしているのは、オレが他の人がいると研究に集中出来ないのと、空き時間にしている気分転換の散歩ついでみたいなもんさ」


 基本的にデイジーは、見知ったヒト以外が近づいてくると、警戒心を抱く。

 戦争時代も、自分が作ったラボに人が近づくと、気が逸れていたし。効率的に研究を進めるために人払いをする、というのは分からなくもない。ただ、事情はそれだけではないらしく、

 

「……まあ、元々、人を通せなかったというのもあるんだけどな」


 そんな事を続けて言ってきた。


「元々人を通せないって……そういう取り決めでもあったのか?」

「おう。オレが人の気配を気にするってのは置いておいて、そもそも、こうなっちまった場所に、人を入れるわけにはイカンって結論に、魔法科学ギルドと神林騎士団の方でなったんだ」


 言いながらデイジーはシドニウスを見た。すると、彼はボロボロになった連絡通路に触れながら、通路入り口の方を見た。


「そうですね。枯れ落ちてきた物が落下しまくって危険ですから。……それと、外部要因が仮に悪意を持った生物だった場合。まだ存命で、この神樹を再度害そうとしている場合、必死で解決方法を模索している所を気付かれる訳には行きませんから」

「随分と用心深いな。……縄梯子を外側に掛けないのも、その為だったりするのか?」

 

 俺の問いかけに対し、シドニウスは肯定の返事を返してくる。


「基本的には。どこまで酷い状況か悟られないよう、内部だけに留めているのです。外部は樹皮の凹凸や風があって梯子を使いづらいので、仮に取り付けたところで、そこまで効率は良くなかったでしょうし」


 確かに近くで見上げた感じ、神樹の外面には太い胴吹き枝や、それを剪定した跡などもあり、波打っていた。

 梯子を掛ける難度的には内部と同じくらいだろうが、

 

「風や警戒の分を差し置いてまでやる意味がないんだな」 


 言うと、シドニウスは微笑みと共に頷いた。


「そういう事です。アクセル殿は理解が早いので有り難いです。……単純な自然現象と言い切れない以上、用心は必要ですから。その一環で事前連絡をせず、信用できない一部の商人などは問答無用で追い返していたりするので、神林騎士団の外聞は悪くなるでしょうが背に腹は抱えられません」


 そこまで言った後で、しかしシドニウスは申し訳なさそうな表情でデイジーを見た。


「……その悪評にデイジー殿を巻き込んでしまっているのは、非常に心苦しく思うのですが……」

 騎士団長の言葉に、はは、とデイジーは歯を見せて笑う。


「評判なんざ、俺はどうだっていいから問題ないって言っただろう、騎士団長。どうせ元から変わり者だって思われてるし、大したことじゃない。噂が尾ひれを付いて飛んでいく位はあるだろうけど、そんなのを気にしてたら何も出来ないし。むしろその位の方が、オレに近づこうとするヒトが減ってくれて有り難いってもんだ」


 デイジーは笑みのまま言うが、シドニウスとしては納得できていない模様で、


「……前にも言いましたが、神林都市の住人達には出来るだけ不安なくいつも通りの生活を送って頂こうという方針なので、申し開きは全てが終わってからになってしまいますが、それでも解決した際には、評判を元通りに……いえ、それ以上に高めるために、神林騎士団の全力を尽くさせて貰います」

「良い人だけど、頑固だなあ、騎士団長は」

「デイジー殿のお陰で、毒の解析はもちろん、神樹回復の為の研究が凄まじく進んでいるのですし、それくらいしなければ、我々の面目が立ちませんよ」

「……なんというか。街の外周は皆、普通そうだったけど。中心部では結構、複雑な状態になっていたんだなあ……」


 シドニウスとデイジーの話を聞いているだけでも、傍目からは分からない位、色々な事が起きていて、大変そうだ。

 そう、俺が思った時だ。


「騎士団長! 言われた通り、物資第五陣の準備が出来ました」

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