二夜 僕らつぶ色の日々を過ごす

「知ってるか駿太、今この時はあっという間に過ぎてくんだぜ」

「急に何?」

「三野駿太の夏も、俺、小貫和馬の夏も、今しかないってこと。分かる?」


 二人を除いて乗客のいない始発列車の中、和馬が両手をいっぱいに広げて話す。和馬は持論を展開するときに声を大きく出し、両手をめいっぱい広げて注目を集めようとする節があった。駿太はその行動をよく見慣れていたが、また始まったと言いたげな表情を見せる。

 和馬はほかに乗客がいないのを良い事に、声のボリュームを落とすことなく「それでさぁ」と口を開いた。駿太は欠伸を噛み殺しつつも和馬の演説に耳を傾ける。


「なんつーかさ、俺らって若いじゃん? でももう高校生じゃん。このままふざけてっとさ、あっという間にしょうもない大人になるなーって思ってさ」

「まあ、それもそうだね」


 朝六時に話す内容ではないだろうと感じてしまうが、和馬がそうした指摘に耳を貸さないことを良く知っていた。こうした会話は夜オンラインゲームをしながらとか、下校後寄り道をした帰路の只中で話すことで美しい思い出になるのだけれど。重たい瞼が閉じ切ってしまわないよう注意し、駿太は相槌を打つ。

 和馬は得意げに話しを続ける。問い詰めれば破綻しそうな演説だが、駿太にとってはそれが心地よかった。


「だから、今しかできねーことをやんねーといけない気がしてさ。夏って、ハメ外す季節じゃん?」

「それは夏に失礼だろ」

「でもお前も来たじゃん。同類同類」

「まあ、それはそうか」


 にやりと笑う和馬に、駿太はため息を吐く。夏休みは今日が最終日だ。部活動をするにはかなり早い時間の中、二人が始発電車に揺られているのは夏休み初日に和馬が考案した計画を実施するためだった。

 何度駿太が反対しても、一度こうすると決めた和馬は頑なに聞き入れなかった。それでも和馬を一人にしてしまうくらいなら一緒に怒られようと、仕方なく付いてきたのだ。


「この時間に行っても無駄な感じするけど」

「人がいない内だからいいんだって。ささっと侵入して、さくっと終わらせて、帰る!」

「ほんとにさぁ。巻き込まれる俺の身にもなって」

「いやいやいや! 駿太が付いてきたんじゃん?」

「そうかもしれないけど、俺、眠たいんだよねぇ」


 窓から照り付ける朝日が背中をじりじりと熱し、滲む汗を冷房が撫でつけていく。座席を変えようかと駿太が逡巡する頃、アナウンスが鳴った。今日は機械の音声ではなく、鼻声の車掌によるものだ。ホームに停車したワンマン列車の一両目で待機した車掌に定期券を見せ、長い汽車の旅に終わりを告げる。

 雲一つない青空の下、高校までの道をまっすぐに進む。駅から歩いて二〇分ほどで、昨年外壁の色を薄紫に変えたセンスのない母校が見えた。時刻はまだ六時半の手前。校門は開いており、用務員の車だけが職員駐車場に停まっている。


 生徒玄関は開いておらず、職員玄関から校内へ侵入する。下駄箱に外靴をしまい、互いに上靴を履き替えて職員室へと向かう階段を進んでいく。用務員のおじいさんは職員室の鍵を開錠して校内を見回りすると、この計画を実行に移す前に和馬が語っていたことを駿太は思い出していた。

 警備会社への自動通報を解除し、おじいさんは見回りをするらしい。二階の職員室を経由後四階へ、次いで三階、一階と体育館を巡った後に二階の職員室へと戻り鍵を戻しているらしい。マスターキーは二本あり、おじいさんがその鍵の入っている引き出しを開ける。施錠しなおすことなく見回りに歩くらしいとも、和馬は話していた。


 予想通り職員室の扉は開いており、中には誰もいない。廊下側の壁に置かれた小さな金庫が開いており、和馬はその中から小さな銀の鍵を取り出した。和馬がいたずらっ子のように笑みを浮かべる。互いに緊張のため動きを静かにし、些細な音すら立てないようにこっそりと職員室を後にした。

 中央階段を、対人ゲームのようにクリアリングしながら進む。四階まで上がり、あと数段上げれば目標の屋上がある。校内を上へ上へと進んでいく。互いに息を殺して、ささいな衣擦れすら許さないように、上へと。途中近づいてきたおじいさんの足音に肝を冷やしたが、何とか見つからずに階段を上がりきった。重たい押戸の向こうでは、眩いほどの太陽と澄み渡った青空があった。


 □


 高校三年、夏。部活だ受験だと教師が尻を叩き、健全な受験生たちの和やかな空気が徐々にひりついてきている。鍵を盗んで屋上に行くなんて前代未聞な悪さを、クラスメイトや教員たちはどのように思うのだろうかと、駿太はじりじりと照る太陽の下ふと考えた。

 運動はからきしだが、勉強はある程度できる。まじめが取り柄と言えるわけではないが、駿太にはその呼称しか与えられなかった。『優しくて協調性のある子です』『問題も起こさない子ですね』と三者面談で教師が笑って評する程度に、駿太はまじめな学生の一人だった。

 実際には仲の良い友人は和馬しかおらず、クラスメイトとは必要最低限の会話をするのみであり、人付き合いが得意ではない。対して和馬は勉強が不得意なものの、運動部の主将を務め、対人能力が高い男だった。そんな男が、クラスの中でひっそりと参考書を開くだけの男を構う。今になって思えば、それがいろいろなことのきっかけだったのだろう。

 二年次にクラス替えを行い、そこから卒業までは同じクラスで過ごす。あの和馬が仲良くしている男、というレッテルは良い方には作用しなかった。どうしてこの男が、あの和馬と。そうした刺すような目線が、いつも駿太に向けられていた。


「眠たそー。駿太さ、俺と一緒に買った腕時計つけてきた?」

「大事に飾ってる」


 和馬の左腕にある白色のデジタル時計と同じものは、ケースから出さずに机の上に飾られている。必要な時に使う事が出来るようにと考えそうしていたけれど、和馬が心底残念そうな表情を浮かべたせいで、駿太の良心がチクリと痛んだ。


「ま、いいわ」


 気にしていない素振りをすぐに見せ、和馬は腕時計を外しポケットへしまう。欠伸で目を閉じたふりをして、その動作を見ない振りすることしかできなかった。


「昨日寝た?」

「いや、映画見てたから寝てない」

「兄ちゃんにまた借りたの?」

「そ。ブログ、書かないといけなくて」


 はぁと感心したようなゆるい返答に、駿太の口角が上がる。夏休みに入り、一週間ですべての課題を片付けた。その後からは大学生の兄に勧められた年齢制限のあるグロテスクな映画や海外ポルノ、ホラー、ラブロマンス、アクション物を時間が許す限り、節操なく観る生活を送っていた。

 観た映画の感想をブログに書くようになってから、閲覧数がわずかに伸び、感想を楽しみに待ってくれる少数の仲間ができた。初めこそ観たものを忘れないように書き残すことが目的だったが、今は匿名の仲間たちに喜んでもらえたらという気持ちしかない。義務感と共に、惰性で映画を観る。作業の様に映画を観て、ブログを書く、をしていたせいで、クマが濃く残っている。


「納得のクマ」

「うん、おかげさまで」


 互いに目を合わせ、にやりと笑う。そうして、頭頂部を焼くようなじりじりとした強い日差しに晒され、夏風を感じていると和馬のアラームが鳴った。それが、合図だった。立ち上がり、どちらからともなく手をつなぐ。こぼれてしまいそうな心と戦いながら。


「んじゃ、行くか!」

「……いやほんと、よくこんな事思いついたね」


 軽口を叩きながら、屋上の縁へ立つ。いっそう風が強く吹いた。


「俺の事呪わないでよ?」

「呪うわけないだろ、一緒にいこうぜ」


 愉快そうに話す和馬の手が、強く、より強く駿太の手を握った。駿太も強くその手を握り返す。そして、目を合わせて笑った後に、どちらからともなく空を掴むために大きく飛び上がった。





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「夏だし、死のうぜ」

 小さな粒は、夏の終わりに色を残す。


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