その後この地は名のある神主によって鎮められ、少しずつ人が流入するようになった。家が建ち、村ができていく。けれどね、どれだけ人が増え土地が栄えていこうと、常について回る不安があった。そう、再び竜の怒りが振るわれる日がくるのではないか、と。神の怒りが己に向けられると考えているところに、形容しがたい傲慢ごうまんさを感じるところではあるんですけどね。

 実はこの地のすぐ近くに、至徳しとく元年から続く社があったんだけれど、それは災害の規模からして、社の一角どころか、社自体が飲まれていてもおかしくなかった。けれど、一つの傷さえ付かずに残った社に、幕府の役人共は目を付けた。この時代は、というか、今もそうだと思うんですけど、神をまつることで土地の安全を祈願する慣習がありまして、この社こそ竜を鎮めるには適切だと考えたようです。


 ただ社は少しずれた位置にありましたから、土砂災害のあった中央に移設することになったんです。社の移設にはそれなりに時間がかかってしまったけれど、どうにかこうにか、天保てんぽう十年には完了した。その移設に合わせて、境内を囲む瑞垣みずがきと石垣と、そして防火用水として用いられた天水桶てんすいおけが奉納された、なんて歴史があるんですよ。それがこの近くに在る龍土りゅうど神明宮しんめいぐう、六本木天祖てんそ神社。私がお兄さんと会った後に行こうとしてる場所でね。

 ここは地盤が強くないんですけどね、それは土壌の中に含まれている水分量が多いっていうのが一つの原因なんですよ。私はね、お兄さん。役人たちが龍土町なんて名前を付けたのは、ある種危機感を失わないようにしていたんじゃないかって思うんです。龍の土地、璃竜ちりゅうの息吹が残る水害の町。土蜘蛛やその他大勢の命が眠ったこの土地から目を背けず向き合ったのだと、そう、幕府の人間共が己を正当化したいだけの行いだったんじゃないかってね。……とてもひねくれた意見だなと思われるかもしれないけれど。


 泥水で育った蝮は五百年にして蛟となり、蛟は千年にして竜となり、竜は五百年にして角竜かくりゅうとなり、竜は千年にして応竜おうりゅうになり、年老いた応竜は黄竜こうりゅうと呼ばれる。そう、遺されているんだけど、老いも若いも関係なく、これを知っている人はほとんどいないと思っているんですよ、私は。

 私もね、己の出自を探していた時、たまたま読んだ本に書かれていただけで。知らぬまま年を重ねるところでしたから、読めて良かったですよ本当に。


 ――とまぁ、蛇足も多かったんですけどね、ここまでが私が語りたかった口伝でした。どうでした? 面白かったですかね、やっぱりほら、自信はなくって、ははは……。


 人様の時間までもらってるもんだから、それに見合うくらいの楽しさっていうか、有意義な時間を提供できてたら良いんですけどね。あぁ、もちろん時間を伸ばしてもらっているんですから、その分の代金と此まで来ていただいた交通費もしっかり支払いますから、安心してください。

 ああ、本降りになる前には、お兄さんを家に帰すことができるようにって考えていたんですけど、横殴りの雨になっちゃいましたね。申し訳ない。雨が止むまで、もう少しご一緒してもいいですか。


 いやぁ、本当は七月二八日か、九月の大祭たいさいに合わせて来ようと思っていたんですけど、なかなか予定が合わなくって。なんやかんや八月の一五ですよ、何でもない日に来ちゃったなとか後悔してるんですけど、まぁ来れただけ良かったのかな。でもそうか、ここの人間にとっては盆にあたるから、死人が還ってくるんですもんね。それなら都合は良いんだな、そうかそうか。

 あ、いやぁね。此に来た理由の大部分は墓参りだったんですよ。去年までは毎年命日に会いに行ってたんですけど、仲間内から反対されている間に半月も遅くなってしまって。墓参りを反対してくるとか失礼極まりますよね、本当に。こっちの気持ちも知らないで好き勝手決められちゃかなわないですよ。


 お兄さんは、今日は私に付き合ってくれてますけど、墓参りとかは行ったんですか? 行った方がいいですよ、だんだん先祖を参ることは減ってきていると知ってはいるんですけどね。耳障りすることを言えば、死んだ人間が会いに来るなんてことはないわけだけど、今年も行かなかったな、なんてごく小さな罪悪感を抱かなくて済むんだからさ。ね。

 ……神宮に墓参りですよ、ええ。間違ってませんとも。そこに彼がいる、というか、そこにしか彼が生きていた事実が遺っていないんですよ。なにせ、土砂が飲み込んでしまったから。新たな村里ができ、戦禍に襲われ、また新たに街が生まれて文化ができた。


 私はね、それが悔しくて、苦しくて堪らない。雨降って地が固まったと思えば良いのだろうけど、そうは思えない。彼の死を、土蜘蛛なんて蔑称が存在したことを知らずに、手を伸ばせば全てが手中に収まるほど栄えた街に暮らす全てが許せない。何よりも私が、私自身を許すことができないでいる。

 知る由もないでしょう。土蜘蛛たちの苦悩、憤怒を。璃竜と成ったが故に知ってしまった、私の苦しみを。何故もっと早く璃竜と成れなかったのか己を恨んで止まなかった時間を。ほぞを噛んだとてあの土蜘蛛は死んだ。ねぇお兄さん、あなたたちは何も知らぬまま、幸せな生活を与えられているんだよ。

 鬼雨は止まないよ、お兄さん。――此の地盤は強くなどないからね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る