参
降雨を望むまま、六月が終わりを迎えようとした頃、一人の老婆が“娘を捧げたらどうか”と進言したそうです。国栖の長の一人娘、それもまだ初潮を迎えたばかりの幼子を。老婆が言うには“あたくし達は終わりを待つ身。水神様に捧げるのなら、不浄の身になったばかりの生娘であるべきだ”とね。
捧げるなんて言っていますけどね、いわゆる
元々神に対して大人たちが
六月には水が降っていないと困ってしまいますから、神の日である五月二八日、娘を遣った祈雨の儀を執り行うことになったわけです。娘は辛そうな素振りなんて見せずに、純真無垢な様子だったそうですが、村を守るという使命感に燃えていたようです。
初潮が来ていなければ選ばれることなんてなかっただろうにと思うと、可哀想でならないですよ、えぇ。……え? いやぁ、そうか、今の若い子にこの概念は難しいだろうと思うんだけれどね、初潮っていうのは血がでるわけじゃないですか。当時血はいのちそのものっていう観念があったもんですから、生きながらにしていのちを削るっていうのはね、不浄の身であると考えられていたわけですよ。
さて、来る神の日に、娘は白装束を
けれどね、やはり雨は降らない。どれだけ待っても、陽射しを遮る雲が流れ来ることすらなかった。そうしてどれだけ時間が経ったかも分からないけれど、娘は意を決したように、竜池の水底へと沈んだんです。不浄の身を落として水神を怒らせ、雨を得るなんていう
――娘ですか? 神に会えたかって? ええ、一目交わすことはできていましたよ。ただ水神は人間を
残された村の実情を知る由もなく、幸せでありますようにと淡い期待を抱えたまま、生を終えたんですから。幸せという実体のない希望のために、その娘はね、供犠の対象になることを受け入れたんですよ。
さてはて、不浄の身を捧げた村には雲は寄せど、雨がもたらされることはなかった。もう六月にもなり、稲作が本格化してくるというのに、ですよ。国栖達は困り果てていましてね、このままじゃあ稲は育たず、動植物の全てが枯れてしまう、と。先も話しましたがね、神への捧げものとして馬やら御神酒やら、他には怒りに任せて
その一つというのも、捧げる、なんて表現するにはかなり図々しいものなんですが。お兄さんは予想できますかね。………。いや、ごめんなさいね、急に言われてもって感じですよね、へへへ……。まぁええっと、答えをお伝えする前に、村がどうなったのかっていうのをね、お兄さんに教えておくことにしましょう。
国栖達はね、本当に頭を悩ませてしまっていたんですよ。先にも話しましたけどね、あ、すみません口癖なんです、はは、お恥ずかしい。まぁ、彼らは水神を喜ばせるために食物や酒を捧げてましたから、神に縋るなんてよりもね、ふつふつとした怒りが湧いてきていたようです。
たった一人がそう口に出すだけならば、神に対してなんて無礼なと咎められることだったかもしれないんですけどね。そうした鬱憤がたった一つではなくて、三十強の
この国には同調性を重んじることが美学である、といったような風習があるでしょう? 一人の怒りは二人が共有するものとなって、それが徐々に村全体に広がっていった。神は此に在らず、そんなね、信心深さも失ったような、暗黙の了解のような薄暗さが村に生まれていたようなんです。……哀しい話ですよ、本当に。
それから、国栖共はね、彼ら自体が神であると言いたそうに、旅人を殺めては竜池に落としていった。殺めてと言ったけれどね、生死は関係なかったらしい。それも旅人に限らなかった。お兄さんが小説とか映画とかに触れる機会が多かったなら、想像できるかと思うんだけれど、どうだろう。この村について私が次に話すことを、ねぇ、お兄さん。分かるかい?
……なんだかちょっと曇ってきましたね、お兄さん次の予定大丈夫そうですか。こんな語りを聞いてくれる人中々いないから、本当有難いですよ。飲み物足りてます? 代金は気にしないでください。私? 私は大丈夫です、まだ、ほら、この烏龍茶が残ってるんで。
雨が降ってしまう前には、この話は終わるでしょうから、もう少しだけ付き合ってください。伸ばしてもらった分、代金はちゃんと払いますから、ね?
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