ボトリティスェリプティカ ④

「ごめんね、足痛かったよね」

「ちょっとね。つちふまずに小石刺さったの、初体験」

「嫌な初体験させちゃった」

「大丈夫。三郷が怪我しなくて良かったし」


 校庭の入り口に設置された水道で足についた砂を流す。道中黙々と歩いていた私の横で、三郷はずっと笑顔で鼻歌を奏でていた。びしょ濡れになった足をそれぞれハンカチで拭き、靴を履く。曇っているとは言え八月、気温も高い。濡れてしまった三郷のスカートも、歩いているうちに乾くだろう。


 ゆっくりと来た道を戻り、街の方へと向かう。高低差の大きい道を歩くだけで息が切れてしまうのは、三郷も同じだったらしい。二人で汗をかいて、息切れして。そういえば中学の時はこうして一緒に出掛けた時、話が止まる暇がないくらいに会話していた気がする。話すことを義務的に感じていたわけではないけれど、今よりも三郷を知ろうとしていたのだろうか。ちらりと横目で見た三郷と、目が合う。ざわりと肌が粟立つ感覚、こんなに外は暑いのに。

 先ほど降りた最寄り駅を越え、十五分ほどで観光客がごった返すメルヘン道路が見えてくる。歴史的なオルゴール堂やガラス工房、他にも様々なスイーツ店、海鮮を楽しむことができる店が軒を連ねる。様々な言語が飛び交う人の波を抜けながら、石造りの街路を行く。

 三郷はオルゴール堂やガラス工房が気に入ったようで、一つの店舗の隅から隅まで、穴が開きそうなほどに夢中。目新しいものがあまりないから、私は楽しそうに見て回る三郷に付いていくだけ。

 途中、路肩で売られた焼きたて煎餅や、いちごあめを食べ、一息つく。雲は少し流れたようで、上の太陽がうっすらと雲を白く照らしていた。少し気温が上がったように感じる。


「ね、芽衣。今何時?」


 ぬれおかきを食べる三郷に言われ、携帯を開く。海で予想外に時間を使っていたらしく、着いたのは十時頃だったが、既に十四時を回ろうとするところだった。時刻を伝えると、三郷は満足そうに数回頷く。


「満足したなら、もう帰る?」

「うーん、そうしよっかな。あ、ねえ芽衣。久しぶりに私の家で遊ばない? せっかく会えたし、明日日曜日だしさ」


 うちのお母さんたちも喜ぶからさ。そう続けられた言葉で、誘いを断る選択肢はなくなってしまった。数年単位で三郷の家族には恩がある。子どもが気にすることではないのかもしれないけれど、それは自分の中でとても大きな楔となっていた。楔よりも、枷に近いけれど。

 三郷は心底嬉しそうに、私の手を取って来た道を戻っていく。無駄な肉のない手指が、やわらかい私の手を握っていた。三郷のようになりたいわけではないけれど、女らしく伸ばした黒髪も、理想的じゃない重たい瞼も全部、当時の三郷の影があった。可愛い子に神様はいろんなものを与えている。私にはないものばかり、三郷は手にしている。


 帰りの汽車は終着駅に向かうまでの間に満員となり、車両内で立っていられない人が連結部に溢れるほどだった。私たちは横並びで椅子に座って、それぞれ携帯をいじる。車内で会話をする事には抵抗があり、無言でいることは三郷を気にする必要もなく、気持ちは軽い。

 今日は両親の帰りが遅いと、メールの通知で知る。私も遅いかも、と返事を送信し、動画投稿サイトを開く。すぐに、お気に入りの中華料理の調理風景動画が自動再生された。それを、タップしないでそのまま流し見る。横目で盗み見た三郷の携帯画面は、友人の投稿をタップして"いいね"を押しているようだった。存外、都会で女子高生をするというのは面倒なしがらみが多いのかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る