カラオケ――4

 カラオケルームに戻ってくると、天堂さんの誘いで参加した男子が歌っているところだった。


 俺が戻ってきたが、妙な空気になることはなかった。約束通り、岳がフォローしてくれたらしい。


「お帰り、赤川くん。さっきはゴメンね? 歌わせようとして」

「天堂さん、そのことなんだけどさ?」

「ん? なに?」


 天堂さんが首を傾げる。緊張により渇いた喉を唾液で潤しつつ、俺は頼んだ。


「やっぱり、俺も歌っていいかな?」


 天堂さんが目を丸くしたのち、ニカッと気さくな笑みを見せた。


「もちろん! 大歓迎だよ!」


 天堂さんがデンモクを手渡してきた。受け取った俺は、雛野とふたりでデンモクの画面を眺めながら選曲する。


「雛野、この曲、歌える?」

「うん。歌えるよ」

「じゃあ、これにしようか」


 選んだ曲は、昨年末にヒットしたアニメ映画の主題歌。ちなみに映画のほうは、ある日の夕食のあと、Amozonのプライムビデオで雛野と一緒に鑑賞している。


 これで歌うほかになくなった。『やっぱり無理』はできないぞ。


 デンモクで曲を転送した俺は、速くなった鼓動を沈めるために深呼吸をした。





 俺と雛野の番は三曲あとにきた。


 マイクを受け取り、俺と雛野はともに立ち上がる。俺たちがデュエットするとは思っていなかったらしく、ほかのひとたちはポカンと口を開けていた。


 イントロがはじまる。同時に、俺の手のひらがじっとりと湿り、マイクを握る手がカタカタと震えだした。覚悟は決めていたが、やはり緊張してしまう。


 音痴な俺の歌でみんなが嫌な顔をしないかな? 呆れられないかな? 馬鹿にされないかな?


 後ろ向きな考えがドンドン浮かんできて、手の震えがますます強くなる。


「大丈夫だよ」


 俺にしか聞こえないくらいの声で、雛野が励ましてきた。見ると、雛野は優しげな微笑みを浮かべている。


 不思議なことに、雛野の微笑みを目にした途端、俺の緊張は嘘みたいに消えていった。


 Aメロがはじまり、俺は意を決して歌い出す。


 音程が外れまくった、弁明の余地もなく下手くそな歌声。それでも聴いているひとたちは、嫌な顔をすることも、呆れることも、馬鹿にすることもなかった。


 Bメロは雛野が担当した。心なしか、先ほど歌ったときよりもリラックスしているように感じる。


 俺と一緒に歌っているからだ、なんて考えたら、自意識過剰かな?


 隣で雛野の歌声を聴いている俺は、そんなことを思って苦笑した。


 サビに入り、俺と雛野は声を揃えて歌う。もはや緊張は欠片もなく、ただ雛野とのデュエットを楽しむ自分がいた。


 不思議な感じだ。雛野と歌っていると、自分が音痴であることが気にならない。歌うことが心地いいとさえ思える。


 相手が雛野だから、なのかな?


 歌いながら、俺と雛野は視線を交わし合い、微笑み合う。穏やかな気持ちで歌声を重ねる。


 気づいたときには曲が終わっていた。歌い終わった俺と雛野に拍手が送られる。




 ――歌唱力が求められる集まりはたしかにあるけど、今回は違う。それぞれが歌い合ってコミュニケーションをとるのが目的なんだよ。歌の上手い下手は関係ねぇんだ。




 岳の言っていた通りだ。心配しすぎだったんだな、俺。


 怖がっていた自分が馬鹿らしく思えて、自然と俺は口元を緩めていた。


「よかったよ、赤川くん。月花とデュエットしたのはビックリしたけどね」

「あはは、お粗末様でした」


 笑顔で褒めてくる天堂さんに、照れ笑いしながら、俺は雛野がよく口にする言葉を返す。


 そんななか、ひとりの男子がいぶかしげに尋ねてきた。


「てか、いつの間にデュエットする仲になったんだ? 赤川と雛野」


 俺と雛野は揃ってギクリと体を強張こわばらせた。


 し、しまった! それどころじゃなくて気が回らなかったけど、俺と雛野は他人として過ごしているんだ! デュエットなんかしたら、関係性を疑われるのは当然じゃないか!


 俺の頬を冷や汗が伝う。カラオケルームにざわめきが広がっていく。


「そういえば、そうよね?」

「歌っているときも、見つめ合ったり微笑み合ったり、もはやふたりの世界って感じだったし……」

「なあ、赤川。お前と雛野って、どんな関係なんだ?」


 先ほどの男子の疑問が皮切りとなり、ほかのひとたちも俺と雛野の関係性を気にしはじめる。女子は純粋な好奇心からだろうが、男子の目には、明らかに嫉妬と羨望が湛えられていた。


 飛び抜けた容姿と文句なしの性格を持つ雛野に、好意を抱く男子は多い。この場に集まった男子たちも同じようだ。


 言えるはずがない! ほとんど半同棲で面倒を見てもらってますなんて!


 言葉に詰まる俺に、男子たちの眼差しが剣呑けんのんさを増す。もはや殺意さえ混じっているように感じる。


「お、幼なじみなんだ!」


 咄嗟とっさに俺はそう答えた。嘘はついていない。隠していることは多々あるが。


「ひとりで歌うのが恥ずかしいから、一緒に歌ってほしいって雛野に頼んだんだ! それだけだよ!」

「……本当か?」

「特別な仲じゃないだろうな?」

「本当だって! ただの幼なじみ!」


 焦りながら訴える俺を、男子たちが真偽を図るように凝視して――


「一応は納得できるな」

「幼なじみならデュエットするかもしれないしな。珍しいほうではあるだろうけど」


 態度を軟化させた。


 よ、よかった、殺気が消えた。これなら、夜道を歩くときに気をつけなくても大丈夫そうだ。


 俺は心の底から安堵する。


「……むぅ」


 ふう、と息をついていると、どことなく不満げな声が隣から聞こえた。


 そちらを向くと、雛野がプクッとフグみたいに頬を膨れさせていた。いままで見たことがない表情だ。


「え、えっと……雛野、どうしたの?」


 尋ねると、雛野がぷいっとそっぽを向く。これまた、いままで見たことのない態度だ。


 バ、バカな! 雛野が腹を立ているだと!? な、なにが原因だ!? 俺、またなんかやらかした!?


 想定外も想定外な出来事に、俺は混乱するほかにない。


「本当にどうしようもねぇなあ、この鈍感主人公は」


 岳が顔を覆い、呆れ果てたように溜息をついていた。

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