端から見たらラブコメ――3
「ひとまずはかたちになったか」
キーボードのエンターキーを押して、ふぅ、と息をつく。
雛野と分かれてから部屋に籠もり、考えてはタイプして、腕組みしてはタイプして、うなってはタイプしてを繰り返し、なんとかプロットの練り直しが完了した。
ただ――
「いまいち納得できないんだよなあ」
唇を一文字に結び、俺は眉をひそめる。高柳さんのアドバイス通り自分の体験を落とし込んでみたが、無理矢理当てはめたような感じがしてならないのだ。
「はじめての試みだったから上手くできなくてもしかたないだろうけど……いや、主観的にそう見えるだけで、客観的に見たら大丈夫なのかな……?」
頭を掻きながらブツブツと呟く。上手くいったのか、失敗に終わったのか、自分では判別できそうにない。完全に疑心暗鬼に陥っていた。
「まあ、完成したのはたしかなんだから、高柳さんに提出しておこう。失敗したら失敗したで新しいアドバイスをもらえるかもしれないし」
メーラーを開き、高柳さんへのメールを作成し、プロットを添付して送信する。「よし」と頷いて伸びをすると、強張った関節がパキポキと鳴った。
これで一仕事終わった。高柳さんからのレスポンスがあるまで休むとしよう。
「そういえば、部屋に入ってから一度も雛野が来なかったな。どうしたんだろう?」
世話焼きな雛野は、昨日、俺がプロットを練り直している
どうしてだろう? と首を捻りながらパソコンをシャットダウンして、俺は部屋を出た。廊下はシン、と静まり返っており、リビングダイニングにも灯りはついていない。そもそもにおいて、雛野はこの部屋に来ていないようだ。
「昼食を作りに来てくれるはずだったけど……荷解きに時間がかかっているのかな?」
玄関に向かい、スニーカーを履き、外に出る。のどかな春の空気と麗らかな日差しが、疲弊した体に染みこんでいくのを感じた。
俺は雛野が暮らしている302号室のインターホンを押す。
部屋のなかから、ピンポーンと音が聞こえた。だが、一〇秒以上待っても雛野が出てくる気配はない。
首を傾げ、もう一度インターホンを押す。それでも雛野は一向に出てこない。
「外出中なのか?」
思いながらも、一応、確認のためにドアノブを捻る。俺の予想とは裏腹に、なんの抵抗もなくドアが開いた。
目をパチクリさせたあと、俺は溜息をつく。
「鍵をかけ忘れたのか。不用心だなあ、ただでさえ女性のひとり暮らしは危険だっていうのに」
おまけに、いまの雛野は誰もが目を奪われるほどの美少女なのだ。あとでちゃんと注意しておいたほうがいいだろう。
そう心に決め、俺は302号室の敷居をまたいだ。
「雛野ー?」
ドアの内側をコンコンとノックしながら呼びかけるも、返事はない。
「外出中ならそれでいいけど……返事ができない状況に陥っている可能性も
考えを巡らせて、俺は「ぬぅ」とうなった。
万に一つではあるが、荷解き中の事故などで雛野が意識を失っているケースも考えられる。もしそうだとしたら、ここで引き返したら俺は一生後悔するだろう。
女子の部屋に上がるなんて陰キャの俺には難易度が高すぎるけど……雛野は幼なじみだから別枠だよな。大丈夫大丈夫。
「入るからなー? あとで怒ったりしないでくれよー?」
論理性の欠片もない理屈によってチキンな自分の背中を押して、勝手に部屋に上がるという罪悪感を誤魔化しながら、俺はスニーカーを脱いだ。
302号室の造りは303号室とは正反対らしく、俺の部屋では右に位置しているリビングダイニングが、雛野の部屋では左にあった。
ドアに
雛野が意識を失っている可能性がわずかに高まり、焦燥感がじわりと生まれる。
鼓動が早まるなか、俺はリビングダイニングのドアをコンコンとノックした。
「雛野ー?」
返事はない。
「荷解き、手伝いに来たぞー?」
返事はない。
「無事だよなー?」
返事はない。
「……開けるぞー?」
本当に倒れていたらどうしよう、と不安になりながら、俺はリビングダイニングのドアを開ける。
まず目についたのは大量の段ボール箱。その先にはダイニングテーブルとグレーのソファ。そして俺の探し人は、ソファの上で仰向けになっていた。
「ひ、雛野?」
恐る恐る近寄り、雛野の顔をのぞき込む。
ソファに横たわる雛野はまぶたを閉じており、豊かな胸をゆっくりと上下させていた。かすかに聞こえるのは、「すぅ、すぅ」という穏やかな息遣い。眠っているらしい。
「し、心配させないでくれよ……」
俺は盛大に息をつく。いらない心配をしたせいで、なんだかどっと疲れた。まあ、雛野に何事もなくてよかったけど。
「それにしても、これだけ段ボールがあったら荷解きも大変だろうなあ」
大・中・小とサイズは異なるが、リビングダイニングにある段ボールは一〇個以上。雛野の自室にもいくつかあることだろう。
何人もの大人が運んだ荷物を、雛野はひとりで開封・整頓しなければならない。それも、俺の面倒を見ながらだ。
俺には一言も知らせなかったが、本当は雛野は疲れていたのだろう。荷解き中に眠ってしまっているこの状況が証拠だ。
「そこまでして、俺の面倒を見てくれていたんだな」
雛野への感謝と申し訳なさが、一緒くたになってやってくる。
俺は自分の部屋に戻り、一枚の毛布を持ってきた。四月になったがまだ冷える。風邪を引かれたらたまったものじゃない。
再び302号室に訪れた俺は、起こさないようにそっと、雛野に毛布をかけてあげる。「んにゅ……」と猫の鳴き声みたいな寝言を漏らし、雛野が身じろぎした。
天使のような寝顔を眺めつつ、俺はツヤツヤの黒髪を優しく撫でる。
「いつもありがとう、雛野。頼りないとは思うけど、これからは俺も力になるよ。もらってばかりじゃ悪いからさ」
雛野の口元が、ほんの少し緩んだ気がした。
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