お隣さんは幼なじみ――3
スマホをポケットにしまい、俺は雛野に向き直って尋ねた。
「いま母さんから連絡があって、雛野は俺の面倒を見るために引っ越してきたって言われたんだけど、どういう成り行きでそうなったんだ?」
「えっとね? あきくんが作家さんになったって知ったからだよ」
「なんやて?」
驚きのあまり下手くそな関西弁を口にしてしまう俺。
俺がラノベ作家になったことは、家族を除いてはたったひとりにしか教えていないし、その人物も、他人に秘密を漏らすようなやつじゃない。
い、一体、どこから情報が漏れたんだ!?
「夏美さんがね? 『うちの子が作家になったのよーっ!』って、あきくんのデビュー作を持ってきたの」
「母さあぁああああああああああん!?」
雛野から知らされた真相に、俺は頭を抱えた。
内緒にしてほしいって言ったのに、あの自由人はあぁあああああああああ!!
内心で母さんに恨み節を吐くなか、雛野が純度一〇〇パーセントの尊敬の眼差しを向けてくる。
「スゴいね、あきくん! 作家さんになんて、なろうと思ってなれるものじゃないよ!」
「た、大したことじゃないって!」
「大したことだよ! それに、あきくんの作品、面白かったし!」
「読んだの!?」
「もちろん! もう何十回も読み返してるよ!」
「恥ずかしいからやめて! 俺を追い込まないで!」
たまったものじゃない。赤くなった顔を両手で覆い、瞳をキラキラと輝かせている雛野から俺は目を逸らした。
俺のデビュー作は異世界ハーレムもので、主人公がヒロインたちにひたすらもてはやされる内容だ。知り合いの、しかも女の子に読まれるのは、抵抗があるというか、もはや羞恥プレイの域に達している。
しかし、『ハーレムものだから読まないで』と頼むのはなんだかかっこ悪く思えて、俺は別の理由を持ち出した。
「そ、そのですね? その作品、全然売上が伸びなかったし、レビューでも散々こき下ろされたし、読んでも得るものがないといいますか、読む価値がないといいますか……」
「そんなことない!」
俺の自虐を、引っ込み思案だとは思えないほど力強く、雛野が否定する。真剣そのものな眼差しに、俺は息をのんだ。
雛野が穏やかに微笑む。
「そんなことないよ。どれだけ売れたかとか、どんなふうにレビューされたかとか関係なく、わたしは読んでよかったって思った。面白いって思った。だから、読む価値がないなんて、絶対にないよ」
「……そっか」
不覚にも泣きそうになった。
心血を注いで送り出した作品が売れないのは、酷評されるのは、想像以上に応えるものだ。『お前の作品なんていらない』と言われているようで、『お前にはなんの価値もない』と言われているようで、ひどく空虚な気持ちになるものだ。
事実、悔しくて、情けなくて、俺は何度も涙を流した。
そんな、
「ありがとう、雛野。ただ、俺がラノベ作家になったことは内緒にしておいてほしいんだ。俺、目立ちたくないから」
ほんの少しうつむきながら、俺は雛野に頼む。
修学旅行の班決めでの一件で、俺は悪目立ちする恐ろしさを知った。自意識過剰かもしれないが、ラノベ作家だとバレたらまた悪目立ちするかもしれない。それが怖いからこそ、俺はラノベ作家であることを秘密にしているのだ。
「あきくんが言うなら、わかったよ」
「ただ」と、雛野が真っ直ぐ俺を見つめる。
「あきくんがラノベ作家になったのは、誰がなんと言おうと素晴らしいことなんだからね? 誇らしいことなんだからね?」
「うん……ありがとう」
「どういたしまして」
我が子をあやす母親のように、雛野が柔らかく目を細めた。
「話は戻るけど、俺がラノベ作家になったことを知って、雛野は面倒を見るって決めたんだっけ?」
「う、うん」
今更だが引っ込み思案が発動し、勢いよく意見を主張していた自分が恥ずかしくなったらしい。顔を赤くしながら、雛野がコクリと頷く。
「夏美さんに聞いたんだけど、あきくん、ひとり暮らししているんだよね? ひとり暮らしはただでさえ大変なのに、作家さんのお仕事までしながら、ちゃんと生活できるのかなって、心配になったの」
「なるほど」
たしかに、ひとり暮らしの大変さは身に染みてわかっている。炊事も掃除も片付けもできていない現状が、それを物語っている。プロットの練り直しもしなければならないので、雛野が面倒を見てくれるなら、大分どころじゃなく助かるだろう。
「けど、雛野はいいのか?」
「うん。夏美さんからお礼のお駄賃をもらってるし、お母さんとお父さんも送り出してくれたから」
「雛野もひとり暮らしなの!?」
「そ、そうだよ?」
てっきり雛野家全員が引っ越してきたと思っていた俺は仰天する。そんな俺の驚きように、雛野が目をパチクリさせた。
雛野がひとり暮らしならば余計にためらってしまう。雛野は雛野で家事をこなさなければならない。にもかかわらず、俺の面倒まで見ていたら、てんてこ舞いになってしまうんじゃないだろうか?
「うーん……」と迷っていると、雛野が不安そうに肩をすぼめる。
「……迷惑、だった?」
シュンとしたその様子が寂しがる子犬を連想させて、俺は言葉に詰まった。
昔から、雛野が寂しそうにしていると、どうも落ち着かない気分になる。実を言うと、修学旅行の班決めの際に俺が雛野を誘ったのには、そんな理由もあった。
雛野は俺の面倒を見るために引っ越してきた。引っ越しがすでに終わっている現状、申し出を断るほうが雛野にとっては困るんじゃないだろうか?
考えに考えて、俺は苦笑とともに頼んだ。
「じゃあ、お願いできるかな?」
うつむいていた雛野がパッと顔を上げる。
黒真珠の瞳をまん丸にしてから、雛野が花咲くように笑った。
「うん!」
混じりっけない親愛が込められた笑顔に見惚れてしまったのは、内緒だ。
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