お隣さんは幼なじみ――1
喪女こと雛野月花の衝撃的な高校デビューを
午前十一時、俺は自室のデスクにてノートパソコンを開いていた。
画面に映っているのは、ライトブラウンのショートヘアと、同じ色で切れ長の目を持つ、妙齢の女性だ。
彼女――
「まだ手直しすべき箇所がありますね」
「……そうですか」
高柳さんの指摘に俺は肩を落とす。
露骨にヘコんでいる俺を気にするふうもなく、高柳さんが「ええ」と頷いた。
「前回も指摘しましたが、キャラやストーリーにリアリティを感じません。作者の独りよがり感をどうしても覚えてしまいます」
俺は「うっ」とうめく。
悔しいけれど反論できない。実際、デビュー作に対するレビューにも、『独りよがり』『ご都合主義』との指摘が数多くあったからだ。
高柳さんが顎に指を添える。
「何度となく修正しましたが一向に改善されませんね。リアリティの欠如は香川先生の弱点としか言いようがありません」
「返す言葉もありません」
俺は、はあぁ……、と盛大に溜息をついた。
さっきから高柳さんと行っているのは、新作のプロットに関する打ち合わせ。俺は、『
ラノベ・漫画・アニメ・ゲーム――いわゆるオタクコンテンツが好きだった俺は、中一の頃から、小説投稿サイトで作品の掲載をはじめた。
その作品のひとつにポイントが集まり、ジャンル:ハイファンタジーの日間・週間ランキングで一位をとった結果、HA文庫の編集者である高柳さんの目にとまり、中三のはじめに書籍化・出版に至ったわけだ。
ただし、デビュー作の売上は伸びずに二巻で打ち切り。以降、俺は高柳さんのもとで新作の出版を目指している。
まあ、プロット(作品の骨組みにあたるもの)を作成する段階で、もうつまずいているわけだけど。
頭の上に雨雲が漂っているかのごとく落ち込む俺を見かねたのか、高柳さんがアドバイスを送ってきた。
「『作家は自分が体験したことしか書けない』という言葉を聞いたことはありませんか?」
「ええ、一時期話題になりましたから。『異世界ものを書いている作者は異世界に行ったことがあるのか?』とか
「鵜呑みにすればそうなのですが、あの言葉が伝えたいのは、『自分が体験したことを元ネタにすればリアリティが生まれるから、そうやって書け』ということなんです」
初耳の情報に、俺は「へぇ」と、某番組でボタンが押されたときみたいなリアクションをとる。
「香川先生の作品に足りないものはリアリティですから、自分の体験を落とし込んでみてはどうでしょう?」
「うーん……なんていうか、『自分はこうやって生きてきました』ってさらけ出すような感じがして、ためらっちゃいますね」
「ラノベは性癖博覧会みたいなもの。自分をさらけ出してなんぼですよ。ロリコンの作者がロリものを書くなんてざらですしね。逆に言えば、その抵抗感を乗り越えれば、香川先生は一皮剥けるということです」
高柳さんが言い切った。
高柳さんは、数々の名作を世に送り出してきた敏腕編集者だ。実は本職の作家なんじゃないかと疑うくらい創作術に精通しており、たびたび有益なアドバイスをくれる。
だからこそ、高柳さんのアドバイスには信憑性があった。
しばし悩んだのち、俺は答える。
「……わかりました。やってみます」
「ええ。では、今日指摘した部分を直して、また提出してください」
「了解です」
「それでは失礼します」
高柳さんがZoumから退出し、画面に映るのが俺ひとりになる。
再び溜息をつき、俺は伸びをした。
「企画を通すのは大変だって聞いてたけど、ここまでとは……」
泣き言が口をつくのもしかたない。プロットへのダメ出しはこれで六回目。何度修正しても合格点をもらえないのだから、精神的にキツくなるのも当然だ。
とは言っても、念願叶ってラノベ作家になれたんだし、ここが踏ん張りどころだよな。
自分で自分を励まして、パソコン画面の右下に目をやると、時刻は一二時を過ぎていた。
「ひとまず昼食にするか。空腹だと余計気が滅入るし」
パソコンをシャットダウンして、俺はキッチンに向かうべく部屋を出る。
キッチンが併設されているリビングダイニングのドアを開けると、そこには惨状が広がっていた。
フローリングに散乱した生活用品。ダイニングテーブルに並ぶ空のペットボトル。部屋の隅に置かれた大量のゴミ袋。
「最初の一週間は頑張ってたんだけどなあ……」
本日何度目かもわからない溜息がこぼれた。
俺は現在、この部屋で――2LDKのマンションの一室で、ひとり暮らしを送っている。両親は、俺が中学を卒業した直後に、会社の都合で海外に出張した。
ふたりは俺も連れていこうと考えていたのだが、俺が高校に合格していたことと、日本にいたほうが作家として活動しやすいことを考慮して、最終的には自分たちだけで海を渡った。
密かにひとり暮らしに憧れを持っていたため、俺としては願ったり叶ったりだったのだが……想像以上に家事が大変だった。着る服がなくなるため洗濯こそしているが、それ以外は完全に放棄している。
家事をこなしてくれていた両親のありがたさを改めて痛感しながら、俺はキッチンに向かい、IHクッキングヒーターの下にある収納スペースからカップ麺を取り出した。
ここのところ、家でとる食事は、カップ麺かコンビニ弁当の二択になっている。体に悪いのはわかっているが、どうしても楽なほうに逃げてしまうのだ。
自分で自分が情けなくなる……もしかしなくても、俺ってダメ人間じゃないか?
心のなかで自虐的に呟いて、お湯を沸かすべくケトルに水を注ぎ、クッキングヒーターの上に置いた。
ケトルを加熱しながら、同時進行でカップ麺の蓋を開け、調味料や具材が入ったパックを取り出す。
不意に、壁の向こうから物音が聞こえてきた。
複数人のものと思しき足音、重たい荷物が置かれるような鈍い音、耳を澄ませば、誰かが誰かに指示を出しているような声も聞こえる。
「誰かが引っ越してきたのか?」
俺が暮らす303号室の隣――302号室は空き部屋だったから、そう考えるのが妥当だろう。
まあ、ご近所付き合いが珍しくなった昨今、誰が引っ越してきても俺には関係ないか。
俺は思考を打ち切る。
引き続き隣の部屋から物音が聞こえてくるなか、ケトルの笛が、ピィーッ! とけたたましく鳴った。
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