第三章 大江戸妖怪町

「うわぁ!」

 町はとてもにぎわっており、たくさんの妖怪がいた。妖怪ばかりかと思えばそんなことはなく、中には人間もいて、妖怪と一緒に商売をしている人もいる。唯一共通していることといえば、みんなが笑顔であるということだ。

「驚いたか?」

「すごいです! こんなにたくさんの人、お祭りのときみたい!」

 はしゃぐ美緒に、天史郎は微笑む。

 町を歩いていると、いろんな人から声を掛けられる天史郎。

「天史郎さん、すごい人気者だね。お医者さんって少ないの?」

「まぁ、そうだな。俺は一応、広い分野で対応できるが、医者ごとに得意分野が違うっていうのもあるな」

 声をかけられるたびに、野菜や果物をもらい受け、美緒が手がふさがっている天史郎の代わりに持つと、みんなに褒められた。

「ゆーちゃんが風呂敷を持てって言ってたのは、こういうことだったんだね」

「そうよ。風呂敷ならたくさん、物を入れられるでしょう? それに背中にも背負えるしね」

「あ、天史郎さん! ちょうどよかった! 探してたんだよ。うちの人がどうも喉の調子が悪いみたいでね。診てくれるかい?」

「勿論ですよ」

 行くあてもなく歩いていると、少しふくよかな女性が、天史郎を見つけて小走りで駆け寄りながら、事情を説明した。天史郎は彼女の言葉に頷く。

「あら! 天史郎さんがこんなかわいい子を連れてるなんて、珍しいわね」

「『迷い人』ですよ。俺のお手伝いをしてくれるっていうんで。それにこの町のよさも見てほしくて」

「そうなの。はじめまして、お嬢ちゃん。あたしはお鈴って言うんだよ」

「は、はじめまして。夢水美緒です」

「こんな小さいのに、天史郎さんのお手伝いをしているなんて、偉いわねぇ」

「お世話になってますから、お手伝いするのは、当たり前です。できること少ないけど……」

「いいのよ! そういうのは気持ちが大事だからね」

 お鈴の案内でついた家は長屋の一角で、天史郎がお鈴の旦那、三郎を診ている間、美緒はお鈴と一緒に外で食事の準備をすることにした。

「朝から何も食いたくねぇの一点張りでねぇ。どうしたものかと思って、困ってるんだよ」

「朝からだと、胃の中は空っぽだから、逆に体に悪いです。喉が痛いというのと、お腹がすききっているときに、消化の悪いものを食べるのもよくないですから、おかゆが一番だと思うんですけど……塩だとつまらないし、梅を崩した梅がゆかなぁ……あ」

 美緒は風呂敷からある包みを取り出した。それは新鮮な卵だった。

「お鈴さん。卵がゆにしましょう! 卵なら栄養もあるし、これは取れたての新鮮だって言っていたので」

「い、いいのかい? 卵は高級品だよ?」

「そうなんですか? わたしのいた場所だと、卵はどこでも手に入るものだから」

「この世界じゃ、美緒のところみたいに設備ってやらが整っていないんだよ。だから、卵は高級品さね」

 美緒が首を傾げると、雪音がそう説明した。美緒は「なるほど」と思ったが、それでも数少ない卵を使うことにためらいはなかった。

「でも、必要な人が食べるべきものであることに、変わりはありません。お鈴さんだって、旦那さんに少しでも早く元気になってほしいですよね? だから、これを使いましょう」

「ありがとう美緒ちゃん。あんたは、人を思いやれる優しい子だね」

 お鈴は美緒をぎゅっと抱きしめた。驚いた美緒だが、照れ臭そうに顔を赤く染め、目を細めた。

(いろんな人や妖怪たちに褒められて、美緒は嬉しそうだね。この子の笑顔が見れてよかったわ)

 雪音はそんなことを思った。そこへ、診察を終えた天史郎が、部屋から出てきた。

「お鈴さん。三郎さんは軽い喉風邪だね。扁桃腺が少し腫れていたけど、安静にしていれば問題ないよ。とりあえず7日分の薬を調合したから、それを毎食後に飲むよう言ったから」

「ありがとう、天史郎さん」

「天史郎さん。お鈴さんの旦那さん、朝からご飯を食べてないって言うから、もらった卵を使って卵がゆを作ろうと思っているんですけど、いいですか?」

「あぁ、もちろんだよ」

「じゃあ、お鈴さん。早く作りましょう!」

「えぇ」

 美緒とお鈴は一緒に、おかゆを作った。

「あんた。おかゆを作ったから、食べてちょうだい」

「いらねぇって言っただろ」

「空腹は体に毒です」

「は?」

 お鈴の後ろには美緒がおり、美緒は三郎に頭を下げた。

「天史郎さんのところでお世話になってます、夢水美緒といいます。朝から何も食べてないってお鈴さんから聞いて、消化にいいものをと思って、お鈴さんと一緒に卵がゆを作りました。これを食べたら、ちゃんと天史郎さんのお薬を飲んでください」

「おいおい。卵って、高級品じゃねぇか」

 お鈴と同じ反応をする三郎に、美緒はお鈴にも言ったことと同じことを三郎にも言った。

「大事な人には、早く元気になってほしいと思うのは当たり前です。だからしっかりご飯を食べて、天史郎さんが調合したお薬を飲んでください。そうすれば、お鈴さんも安心します。大切な人を、悲しませちゃいけません」

「あんた。少しでもいいんだ。食べちゃくれないかい?」

「……悪かった。ちゃんと食べる。ありがとよ」

 美緒の言葉に三郎はお鈴が差し出したお椀を受け取り、お粥を口にした。その様子にお鈴と美緒は顔を見合わせて、笑いあった。

 お鈴たちの家を後にした天史郎たちは、小腹が空いたということで、甘味処で休憩をしているとこだ。雪音も人間の姿になって、美緒の隣であんみつをおいしそうに食べている。

「ゆーちゃん。猫なのに、あんことか、果物、平気なの?」

「あたいは妖怪だからね」

「……なんか、全部その『妖怪だからね』で片づけられそう」

 美緒の言葉に、雪音は「にゃはは」と笑って、あんみつをすくって頬張る。

 美緒は団子を食べていた天史郎に目を向けた。

「天史郎さん」

「ん?」

「わたしみたいに、違う世界から来た人は、ちゃんと元の世界に戻れるの?」

 どこか不安そうに瞳が揺れている美緒。団子の串をかじっていた天史郎は、それを皿に置いて、まっすぐ美緒を見つめた。

「勿論、戻れるさ。だが、戻るには時期が決まっていてな」

「時期?」

「月が満月になったとき、また異界への、美緒にとっては現世へとつながる道が開ける」

「それを逃したらどうなるの?」

「体がこっちに馴染んじまって、帰るのが難しくなる」

「そう、なんですね……」

 美緒はそう言って、黙り込んでしまった。

 その後、店を出たあとにし、また町をぶらつく。どことなく美緒の心はここにあらずで、それでも天史郎の手伝いだけは、ちゃんと笑顔でこなしていた。

 そのうち、日も暮れてきた。

「そろそろ帰るか」

「そうね。美緒も疲れたでしょ?」

「う、ん」

 美緒の元気が突然なくなったことに、天史郎も雪音も困惑を隠せない。

 鳥居をくぐり、森の中を歩いている時、美緒の頭の中に声が聞こえてきた。

『美緒、帰ってきてくれ』

『私が悪かったの。あなたも大事な娘なのに、赤ちゃんばかりに気を取られてて、本当にごめんなさい。だからお願い、帰ってきて』

 声が聞こえるたびに、美緒の手は強く握られ、唇もぎゅっと噛みしめられる。

「美緒、どうしたんだい? 浮かない顔して」

「……疲れたか? いろんな人に声をかけられたりしたからな」

「ちがい、ます。声が」

「「声?」」

 天史郎と雪音はそろって首を傾げ、その場で足を止める。

「森に入ってから、ずっと声が聞こえてて。お父さんと、お母さんの……」

 そこで天史郎はハッとして、空を見上げた。夜が少しずつ近づいてきている夕暮れ時。すでにそこには満月が顔を出し始めていた。

「そうか。今日が満月だったか」

「え?」

 美緒と雪音も同じように空を見上げた。そこにはまだ薄っすらとだが、確かに満月があった。

「とりあえず、ここに留まっていても仕方ない。社に帰ろう」

「は、はい」

 社に戻り、雪音は美緒が持っていた荷物を社殿の階段の上に置き、天史郎も背負っていた薬箱を廊下に置いて、美緒と目線を合わせるようにしゃがむ。

「美緒。さっき言ったように、今この森を1人で抜けていけば、現世に帰ることができる。美緒はどうしたい?」

「……正直、わからない、です」

 美緒は手をぎゅうっと力強く握りしめた。

「森の中にいたときに聞こえたお父さんとお母さんの声は、無事でいて、とか。ごめんなさい、とか。帰ってきて、とかだった。けど、それはわたしが今、そばにいないからそう思っているだけで、戻ったら、また前みたいな生活になるのかもしれないって思うと怖くて……。それに」

「それに?」

「ゆーちゃんと天史郎さんと離れるのも寂しい。ここにいたいって思う気持ちもあるんです。だって、町の人たち、みんながわたしをほめてくれて、笑いかけてくれた。それがすごくうれしかった」

「……つまり美緒は、帰りたい気持ちと、帰りたくない気持ちで、どうすればいいか、わからないんだな?」

「うん」

 美緒の頷きに、天史郎は考えるように、空を見上げる。空はすっかり暗くなり、星が瞬き、満月の灯に照らされている。

「よし! 滅多にやらねぇことだが、美緒が俺たちのことを気に入ってくれたってことと、美緒が『迷い人』としてこちらに迷い込んだ縁もある。そんな美緒にこれをやろう」

 天史郎は胸元から翡翠でできた手の平サイズの首から下げられるように紐を通した勾玉を取り出した。彼はそれを美緒の首に下げてやる。

「これには俺の妖力が込められている。美緒が元の世界に戻って、またどうしても辛くなった時、俺たちに会いたくなった時、満月の夜に神隠しの森で、両手で握りしめて強く願え。俺たちの世界に行きたいと」

「そうすれば、また、ここに来れるんですか?」

「あぁ。これは美緒にだけ特別だ」

 美緒は勾玉に目線を落とす。満月の光できらりと輝く。猫の姿に戻った白雪がぴょいと美緒の肩に乗る。

「美緒はあたいたちを見ても怖がらなかった。逆に心配になるくらい、人の役に立とうと必死だった。だから、本音を言うと、あたいは帰したくない。帰っても美緒が辛いだけだと思ったから。でも両親が反省して、美緒を心配しているんだっていうのなら、ちゃんと帰るべき。そこが美緒の居場所だからね。だけど、せっかくこうして出会えたんだ。たまにはこっちに顔を出しに来なさいな」

「ゆーちゃん、ありがとう。天史郎さんもありがとう」

「俺も美緒を気に入ったから、また会いに来てほしいから、それを与えただけさ。さぁ、早く着替えておいで」

「はい!」

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