第2話 無能と呼ばれた竜使い(後編)
背中が傷らだけ、所々に裂傷がある。
竜房で痛々しく血を流す竜を見て、僕は言葉を失った。
竜はその体を硬い鱗で覆われていて、普通の剣なんかでは傷一つつけられないはずだ。
ただし、我が家には竜用の鞭があった。
特別な鉱石で作られた棘がびっしりとついた鞭で、竜の硬い鱗さえ裂くことができる。それは、『
「鞭でやられたんだね」
僕は目の前の竜に話しかける。
黒い鱗とひときわ大きな体を持つ雌竜で、長兄の管理する子だった。
長兄は短気で、
僕が傷の手当てをしようとすると、黒竜は唸り声を上げて威嚇した。
「大丈夫だよ。手当するだけだから」
できるだけ優しい声音で説得を試みるが、黒竜は牙をむき出しにする。そして、そのまま僕の腕に食らいつこうとしてきた――瞬間、
「―――っ!!?」
竜の体にまとわりつく鎖が見えたかと思うと、それが竜を締め付けた。声にならない声で、黒竜が悲鳴を上げる。
これが『
この屋敷の竜たちは皆、帝国の人間を傷つけないよう命令されている。それを黒竜が破ろうとしたせいで、『
『
「僕は君を傷つけたいわけじゃないんだ」
そう言っても、僕の声は彼女に届かなかった。
どうすれば良いのだろうか……僕は途方に暮れる。
その時――、
「ピギャ」
「えっ!?」
聞きなれた声に慌てて振り返ると、そこにはルークスがいた。
「ちょっと、どうして?幼竜舎から出てきたの?」
「ペギャア!」
嬉しそうな声を上げるルークス。彼は場の空気などまるで読まず、僕の腕に自分の頭をこすりつけていた。その様子を、じっと黒竜が見つめている。いつの間にか、唸り声が止んでいた。
「ピーギャ?ギャギャッ!」
ルークスが黒竜に向って鳴いた。まるで何かを必死に訴えているようで、僕は静かにその様子を見守る。
「ピギャ、ピギャ」
鳴き続けるルークス。一方、黒竜からの応答はない……と思っていたら
「……フゥ」
彼女は大きく息を吐いた。それは人間がため息を吐くときの所作にそっくりだった。
そのまま黒竜は目を閉じ、眠ったように静かになる。
「ペギャァ!」
ルークスが僕の方を見た。
「手当てして大丈夫ってこと?」
「ピギャギャ」
こくこくとルークスは首を縦に振る。
僕は恐る恐る黒竜に手を伸ばした。しかし、彼女はもう唸ることも牙をむき出しにすることもしない。
「ちょっと痛いかもしれないけれど、我慢してね」
僕はできるだけ丁寧に、痛くないように、黒竜の傷を消毒し、薬草をすり潰した軟膏を塗る。
その間、ただただ黒竜は大人しくしていた。
*
僕はルークスを撫でながら、ぼんやり考えた。
もしかしたら、ルークスは本当に特別な竜なのかもしれない。
黒竜とのやり取りは、まるでルークスが彼女に手当を受けるよう、説得したようにも見えた。
こんな子を果たして『
僕はルークスを……。
「なんだ。その竜、育ったのか」
突然背後から声がして、僕はギョッとした。
そこに居たのはこの屋敷の主、竜使いの長、そして僕の実父だった。
父が幼竜舎に来ることなんて滅多にない。なのに、どうして――?
混乱する僕をよそに、父は値踏みするようにルークスを見た。
「白い竜がここまで育つとは……。これは金になるぞ」
ニヤリと父親は嫌な笑みを浮かべる。
「北区のサーカス団ならいい値で買い取ってくれるだろう。白い竜なんて良い見世物になるからな」
その言葉を聞いて、僕はサッと血が引いた。
父が口にしたサーカス団は、竜の扱いが悪いことで有名だ。あそこに送られた竜は、危険なショーにさんざん使われて、早死にしてしまうという噂もある。
「父さん!それだけは、止めて!ルークスをあんな所に売らないで!!」
必死になって訴える僕を、父は馬鹿にしたように見下ろした。
「なんだ。この竜に名前なんてつけたのか?」
「父さん!お願いします!どうか……っ!!」
「だめだ、だめだ。家長のわしがもう決めた。これは決定事項だ」
「父さん!」
「うるさいっ!!」
父の脚にすがりついていた僕は、まともに
「――かはっ」
息もできず、地面に這いつくばる。そんな僕を、心配そうにルークスが見ている。
「ぴぎゃぁ……」
もう迷っている時間はない。
僕は腹をくくった。
*
皆が寝静まった深夜、僕はこっそり起きて門へと向かっていた。
簡単な旅の荷物を詰めた斜め掛けのカバン、そして背には大きな籠――籠の中にはルークスとその兄弟たちがいる。
「ペギャ」
「皆、静かに」
幼竜とはいえ、四匹も背負えばズシリとした重みがあった。彼らの命の重さである。
僕は今夜この屋敷を抜け出し、ルークスたちと一緒に逃げるつもりだった。
手持ちのお金も心もとないし、この先どうなるかも分からない。父や兄弟に見つかれば、きっと酷い罰を受けるだろう。
それでも、僕ができる最良の手がコレなのだ。
僕はできるだけ素早く敷地内を移動する。
この屋敷の塀は高く、先を尖らせた木や釘が打ち付けられていて、僕ではとてもじゃないが登れない。だから門から出るしかないのだが、目指すは正門ではなく、西の門だった。
西門はほとんど使われておらず、警備代をケチっているせいで、この時間帯には門番がいないことを僕は知っていた。
門までたどり着けばどうにかなる。
ルークスたちを幸せに育ててやれる。
僕は自分にそう言い聞かせていたのだが……、
「ピギャッ!」
月明かりの下、西門が見えてきたところでルークスが鳴いた。何かを警戒しているときの声だ。
その瞬間、周りがぱっと明るくなった。
「うそ……」
そこにいたのは松明を持った父親と兄弟たちだった。
*
もう何度蹴られ、殴られたか分からない。
「この無能!役立たずの親不孝者め!」
憤怒の形相の父が、唾を飛ばしながら声を荒げる。
そして、父に便乗する形で兄弟からの罵声が続いた。
僕の浅はかな計画など彼らにはお見通しだったようだ。
結局、僕は何もできなかった。
どうして僕はこんなにも無力なのか、涙があふれた。
「ピギャッ、ピギャッ!」
ルークスが僕を呼んでいる。
ごめん、ルークス。
君を、君たちを助けられなくて――
「お前なんぞ、もういらん!死ねッ!!」
「ピギャ―――ッ!!!」
父の怒号とルークスの悲鳴が重なった、その時――
カッと空に閃光が走ったかと思うと、
――ゴォオオオオオン!!
ものすごい雷鳴が轟いた。
急な雷に、父や兄弟たちの動きが止まる。
「雲もないはずなのに雷?」
「どこかに落ちたか?」
「かなり近いかも」
皆がざわめくのを横目で見ながら、僕は別のことを考えていた。
雷と同時に、僕の耳には不思議な音が聞こえていたのだ。
何かが壊れるような音だ。
例えば、体の自由を奪う鎖が雷に打たれ、粉々に壊れてしまったような……。
「お、おいっ!アレ!」
兄弟の誰かが僕の後ろを指さす。
僕は何とか首を持ち上げ、そちらを見た。
涙でぼやけた視界に、何か大きなものが複数……闇夜に浮かび上がっていた。
それが竜たちだと――少し遅れて気づく。
そう、竜舎に入れられているはずの彼らが、なぜか今この場にいた。
そして、皆――いつもと様子が違う。
「脅かすなっ!なぜ勝手に出てきているんだ!」
長兄が竜に怒声を浴びせた。しかし、竜たちは怯む様子もない。
それが癇に障ったのか、彼は『
「さっさと元の場所へ戻れ!!」
『
――はずだった。
「……え?」
しかし、いつまでたっても『
「一体、どうなって……」
呆然とする長兄。その前にゆらりと黒竜が現れた。
以前、怪我をしていたあの雌竜だ。
彼女の大きな尾がゆらりと動き――
「はぐぅ!?」
長兄の体をそのまま吹っ飛ばした。
*
辺りは騒然となった。
もはや皆、僕のことなど気にしている場合ではないようだ。
竜使いたちの『
そして、『
暴れまわる竜たち。あちらからも、こちらからも、逃げ惑う父や兄弟たちの悲鳴が聞こえてくる。
「ピギャギャ」
そんな中、ルークスが僕の方にやって来た。
彼は何度も僕の腕や顔を、必死に舐めてくる。どうやら心配してくれているみたいだ。
「僕は大丈夫だよ、ルークス」
「ペギャァ!」
「ねぇ。ルークス……まさか、君が皆を自由にしたのかい?」
「ピギャ?」
ルークスはよく分からないというように、首をかしげてみせた。
その時、のしのしと黒竜が僕の方へやって来た。
彼女は落ち着いた目で僕を見つめ、
「……」
無言のまま僕に背を向けた。
「ペギャペギャ」
「もしかして、乗れってこと?」
「ピギャッ!」
ルークスに促されるがまま、僕は黒竜の背にまたがる。彼女は嫌がるそぶりを見せない。
気になって、以前の怪我を確認すると、すでにほとんど治っていた。凄まじい回復力だ。
ルークスとその兄弟たちも、黒竜の背によじ登る。彼女はそれを振り返って確認し、
「……」
無言のまま、羽ばたいた。
僕たちは空を舞った。
黒竜はどんどん高度を上げていく。元いた屋敷が遠のき、小さくなっていった。
僕や黒竜から少し遅れて、他の竜たちも屋敷を飛び立つ。
いつのまにか黒竜を先頭に、二十近くの竜の群れができていた。
悠々と空を飛ぶ竜たち――これこそ僕が夢に見た理想の姿だった。
そして夜が明けてきた。強烈な光が闇を照らす。
ふと僕は後ろをふり返り、息を呑んだ。
王都の上空に何十……いや、何百という竜の姿があったのだ。
『
今や、帝都中の……もしかすると国全土の竜が自由の身になっていた。
「これから……どこに行こう」
ぽつりと僕が
「ピギャ」
元気のいいルークスの返事が返ってきた。
その目はきらきらと輝いている。
「そうだね、ルークス。どこにでも行けるね」
僕は朝日のまぶしさに、目を細めながら言う。
「だって、僕たちはもう自由だから」
無能と呼ばれた竜使い 猫野早良 @Sashiya
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