無能と呼ばれた竜使い

猫野早良

第1話 無能と呼ばれた竜使い(前編)

 昔からこの帝国には竜がいた。

 竜は人々の労働力として、競技用生物として、さらには軍事兵器として様々な面で活躍している。

 元々は恐ろしい魔物だったはずの竜たち。

 しかし今、彼らは人間の命令に従っている。

 それを可能にしたのが、『竜使い』と呼ばれる者たちだった。


 帝国には竜使いの一族がいる。

 彼ら一族には代々、『隷属テイム』という竜を従える不思議な力を持つ子供が生まれ、それにより竜たちを支配していた。

 竜使いの一族の起源は、何百年も前にさかのぼる。荒れ狂う竜を鎮め、付き従えた若者が竜使いの祖先だと言われていた。


 そんな竜使いの一族に、も生まれたのだけれども……



「この無能がっ!」


 ザバァと頭から水をかぶる。一瞬遅れて、バケツの水をかけられたのだと理解した。

 ポタポタと髪から水滴が垂れる。

 少し顔を上げて伺うと、歪んだ笑みを浮かべる兄弟たちの姿があった。


「ぼさっとしてないで、掃除しろっ!キリキリ働けっ!」

「そうだよ。ジェイ兄さんはそれくらいしかできないんだからさぁ」

「まったく、一族の恥さらしだよな。『隷属テイム』の力を持たない、役立たずなんて」


 子供の頃からずっと、幾度となく繰り返された光景。

 いつもの罵倒に、僕はへらりと笑って返す。

 ここで泣いたり怒ったりすること、余計に兄弟たちを刺激して、拳や蹴りが飛んでくる結果になるから。

「ごめんなさい。すぐにやります」 

「なんだよ、ヘラヘラ笑ってキモイやつ」

 想像通り、興が冷めてしまった様子で、兄弟たちはその場から立ち去った。



 僕の実家は、いわゆる竜使いの一族の直系で、父親も兄弟も皆『隷属テイム』の力を持っていた。

 しかし、どういうわけか、兄弟の中で僕だけがその力を受け継がなかった。

 それ故に、僕はこの家の最底辺なのだ。



 『隷属テイム』の力を使えない僕は、竜を従わせることができない。僕ができるのは、竜たちの身の回りの世話くらいだった。

 餌をやり、彼らの糞尿を掃除し、寝床を整え、体を拭いてやる。

 下働きの使用人たちがやる仕事で、竜使いのやることではない――そう、他の兄弟たちは思っている。

 無能なお前にお似合い、自由もなく一生底辺のまま飼い殺し――そんな風に言われたこともあったけれども、僕はこの仕事が嫌いではなかった。


 だって、竜が好きだから。


 あんなに強く、恐ろしく、美しい生き物はいない。

 竜ほど素晴らしい生き物はいない――と僕は思う。

 竜使いの才能がなかったのは残念だけれども、日々を竜たちと一緒に過ごせることは、僕にとって数少ない幸福だった。



 僕は汗びっしょりになりながら、竜舎で働く。

 竜たちは一個体につき一つの部屋―――竜房が与えられていて、そこを掃除するのだが、これが結構な重労働だった。

 本来の竜は、空気中の魔力をかてにしていて、ほとんど食餌はしないらしい。だが、帝都ここでは魔力が希薄なようで、竜に必要な魔力が不足していた。

 足りない魔力分は食餌で補うしかない。

 そして、竜は程度の差こそあれ皆巨体だ。その巨体を維持するためには大量の餌が必要なわけで――もちろん、ものも大量である。


 僕がせっせと竜舎の掃除に励んでいる傍らで、他の下働きたちはあまり仕事熱心とは言えない。必要最低限……いや、それを下回った世話しかしないのだ。

 彼らからすれば、安い賃金でどうしてキツい仕事を一生懸命やらなければならないのか――ということなのだろう。


 汚い竜房で、大きな体を小さくしている竜たちを見るのは心苦しい。

 もう少し賃金を上げるか、もしくは人手を増やし欲しい、と何度も竜たちの所有者オーナーである父に訴えたが、取り合ってはもらえなかった。

 能無しと話すことなどない、とでもいうように。

 この家のトップである父がそんな風だからか、他の竜使いも竜の扱いが酷い。

 彼らは竜たちを道具としてしか見ておらず、一匹一匹が心持った生き物と捉えていないのだ。


 しかし、たとえ劣悪な環境に置かれても、竜たちは竜使いに反抗できない。

 『隷属テイム』による支配は絶大で、主人の命令に背くとの戒めにより、たちまちのたうち回るような痛みが竜を襲うのだ。


 そんな苦しみから竜たちを解放してあげたい、と僕は何度思ったことか。

 でも、悲しいことに僕にはその力はなかった。

 できることと言えば、可能な限り愛情をもって、竜たちの世話をしてやることぐらいだ。

 それで今日も、自分が受け持っている以外の竜たちの世話もする。気が付けば、陽はとっぷり沈んでいた。



 敷地の外れ、幼竜舎の脇にある小屋が今の僕の部屋だった。

 昔は、父や兄弟が住んでいる母屋に部屋があったのだが、取り上げられてしまった。


「そんなに竜が好きなら、竜と一緒に寝起きしろよ」


 そう言ったのは、長兄だっただろうか。

 ひどい言われようだが、確かに一理ある。だって、今の僕にとっては血のつながった家族よりも、竜たちの方によほど親しみを覚えていたから。


 幼竜舎の前に立つと、

「ピギャギャ」

 甲高い声が聞こえてきた。おそらく足音で僕だと分かっているのだ。

 扉を開ける――途端に、何かが僕の胸へ飛び込んでくる。


 それは白い幼竜だった。


 彼の名前はルークス――僕が名付けた名前だ。

 生まれた時から、他の兄弟たちは紅い鱗を持つのに、この子だけは雪のように真っ白だった。



 僕にとって竜は皆大切な存在だけれども、その中でもルークスは特別な竜だ。 

 彼は一年ほど前に生まれた。

 我が家では竜の交配ブリーディングも行っていて、その中の一つにルークスの卵があった。

 生まれたばかりのルークスを見て、父と兄弟たちは、

「白い竜は育たん」

「体が弱くて使えない」

 そう口々に言い、ルークスには目もくれなかった。


 実際、卵からかえったばかりのルークスは体が弱く、自分で餌を食べるのも困難だった。

 僕は他の家族のように、ルークスを見捨てることはできず、手ずから餌を食べさせたり、調子が悪い時は一晩中看病したりした。


 そんなある日、本来の竜は空気中の魔力をかてにすることを思い出し、気付いたのである。

 僕は急いで森へ走った。探したのは満月草という魔力が豊富に含まれている薬草だ。

 何とかそれを見つけ、僕はルークスに食べさせた。


 そのままでは食べてくれなかったので、満月草をすり潰したり、煮たりして、餌に混ぜた。それでも食べないときは、無理やり給餌したものだ。おかげで、手が穴だらけになった。

 そんな苦労が実ったのか、幸運なことにルークスは元気を取り戻した。

 その後、ルークスはすくすくと育っている。今では他の子と同じように餌も食べられるし、満月草がなくても問題ないほど、体も丈夫になっていた。



「ピギャ、プギャ」

 僕が帰って来て嬉しいのか、ルークスは甘え声をあげながら、僕に頭や体を擦り付ける。首を掻いてやると、気持ちよさそうに目を細めた。

 その様子といったら、可愛いとしか言いようがない。

 ルークスの三匹の兄弟たちも、こちらに寄って来て、高い声でアピールする。

「はいはい。お腹空いたんだろう?すぐに、ごはん用意するからな」


 餌を食べた後は、幼竜たちは取っ組み合いを始めた。といっても、これは遊びで本気のケンカではない。

 僕はそれを微笑ましく眺めながら、蒸した芋――僕の夕食――を食べる。すると……、

「ピィー」

 ルークスが僕を呼んだ。

 大きな瞳でじっとこちらを見つめてくる。

 早く食べて、一緒に遊ぼう。そう言っているようだ。

「わかった、わかった」

 僕は何とか芋を白湯で胃に流し込んで、ルークスたちに加わった。


 たくさん食べて、たくさん遊んで。そして寝る。

 ルークスは三匹の兄弟たちと、一緒に丸まって安らかに眠っている。

 その様子を見て、僕はとても幸福になった。

 無理だと分かりつつも、この光景がずっと続けばいいのに――そう願ってしまう。



 幼竜の世話は僕の担当で、幼竜舎が敷地の外れにあることもあり、此処には僕以外の人間がほとんど来ない。

 だから、ルークスたちは人間のことなど気にせず、こうやってのびのびと過ごしている。

 でも、それもあと数週間のことだ。

 もうすぐそこまで、期限タイムリミットが迫ってきていた。


 もうじき、この子たちは父や兄弟によって『隷属テイム』されてしまう。一歳を迎えた幼竜を『隷属テイム』するのがこの一族の習わしなのだ。

 一度『隷属テイム』されれば、ルークスたちは自由を失い、たとえどんな酷い仕打ちをされても竜使いに反抗できなくなる。

 今の僕にはそれが耐え難かった。


「どうして僕は何もできないんだろう」

 ただただ、無力な自分が恨めしかった。



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