神域突入


 翌朝、白いワゴン車が一台、軽快に高速道路を走っていた。

 現在午前九時――前にいる車は無く、かといって対向車線にも車の陰は一つとしてない。かといって車の速度は至って平準で、時速九十キロメートルを保っている。

 緩やかに通り過ぎる景色は、高層ビルから平原へと変わっていった。

 一体幾つ県を超えたのだろうか……。


「……それで、昨日の夜に送られたものは、本当なのかい?」


「はい」


「それは……何とも言えないね。無論私がやる事は変わらないし、ただこれで過度な手助けは出来なくなってしまった。本格的に白夜君頼りになっちゃうねこれは……」


 先生は少しだけ考えこむと、俺に向かって言った。


「やめるなら、今の内だよ? 今まで危険な事一杯させちゃったけど、こればかりは。いや、その前に私が無理やり止めさせるから、流石に死ぬことは無いけれど、それでも後遺症は残るかもしれない」


 先生は普段、明るくいつも冗談を言う人だ。

 だけど、こういう時は真面目に言う。

 十年以上も長く付き合っている、もう一人の母親とも言える様な人だ。

 先生が俺の事を本気で心配しているのは分かってる。だけどそれと同じくらいに、神花を助けたいという気持ちがあるはずだ。


 そして俺も――そう思っている。


「大丈夫です。既に覚悟は出来てます」


「……これが終わったら、特製ラーメン奢るよ」


 やった! よぉし、やる気出て来たぞー!!


「――ったく、現金な奴だなお前は」


 その時、

 そう、今このワゴン車に乗っているのは、俺と先生と最後部座席に乗っている神花と――もう一人。


 運転手でもあり、先生や俺と同じく

 金髪に紅蓮の瞳——イタリアの血を引いていて、名前をヴォルニアス・アルバス。

 基本的にこの業界、大きな団体が牛耳っている状態にある。

 アルバスはその内の一人で、団体と袂を分かれた先生は所謂フリーランスの霊能力者だけど、こういう場合は助けてくれる良い奴。


 良い奴なんだけど……何故か俺に対する当たりが強くて、たまに突っかかる事がある。


「うるせぇな、一度も食った事ないだろ、灰骨のラーメン!」


「僕はそんな庶民の食べ物食べた事ないね!」


 ……とまあ、こんな感じで喧嘩とはいかないが、言い合いにはなる。

 でも悪い奴では無いし、俺も先生も車の運転免許を持ってないので、こういう時は役に立つ。


 そして――。


「今日は悪いね、アルバス――それで、団体の動きは?」


 アルバスは、団体の行動を先生に伝える、所謂スパイ的な行動もしている。

 団体と言っても世界を股に掛ける程の大規模なもので、一説ではあのフリーメイソンと同等の秘密組織としてオカルト雑誌に紹介されたりもしている。


「えぇ……最近は、過激な行動が少なくなりました。とはいっても、まだ呪術が根強く残っている所では、強硬策もあるかと。けど、誰かが死んだとかそういうのはありません」


 道はやがて高速道路から市街地へと変わっていた。

 閑散された道は寒気すら覚える。市街地といっても、人は一人もいないのだ。

 だってここは――廃村と化してしまった街だから。


 その後ゆっくりと勾配していき、整備された道から山道に変わった。

 ガタゴトと揺られながら、俺は徐々に心臓が痛くなりつつある事に気づいた。

 ここから早く出たい――それはまるで、先生の家に来た時と同じ感覚。


「ここは神域に近い。アルバス、少し速度を上げてくれ」


 先生の言葉に、車の速度が上がった。

 何とも言えない気持ち悪さに苛まれながら、俺は荒れ狂う心を抑えつける。

 これは何も『神域』に来たせいでは無い。俺の体が問題なのだ。

 やがて、車はとある地点に止まった。スライド式のドアを開けて、日差しを浴びつつ背を伸ばす。四時間弱、椅子に座りっぱなしだったからな……体中からパキパキと音がする。


「――お疲れ様です、神崎殿」


「やあ、今日はよろしくお願いするよ」


 蝉の鳴き声と共に、作務衣姿の坊主が数人こちらに駆け寄って来る。

 ここは名前も無い寺だ。いや一応あるにはあるんだが、ネットにも載っていない所なので、詳細は省く。


 先生は軽く挨拶して、ワゴン車の方を指さす。


「依頼者はまだ寝ている――白夜君、悪いけど君が本堂まで運んできてくれないか?」


「えっ、俺がですか!?」


「私では力が足りない。アルバス君はこれからやる事があるし……ね? 男の子なんだから、ほら、ファイトファイト!」


 ワゴン車の最後部席――三席を贅沢に使って、横たわっている少女――神花琴音。

 彼女は今眠っている。それは昨夜のあの一件があって寝られなかったという事もあるが、本当の理由は睡眠導入剤を飲んでいるから。恐らく数時間は何をしても起きない事だろう。


「ヤバい、一気に犯罪感増したな。後で怒られないか心配だ」


 そんな独り言を呟きながら、俺は慎重に起こさぬ様に彼女の体を持ち上げる。

 ……何となく予想していたが、物凄く軽い。心配になるぐらいに軽い。

 何て言うんだろうか……こう、乳児を持ち上げる様なむちむち感というのだろうか……触れた時の肉質感が無い。あるのは骨と僅かな脂肪。色々な意味で悲しくなってきた。後で絶対ラーメン食べさせよう。


「そんな持ち方をしては可哀そうだ。レディの扱い方も知らんのか? どれ、僕に貸せよ」


「……べぇーっ!」


 何となくムカついたので、俺は山頂付近に聳え立つ本堂を見据えて、長い石段に一歩踏み出した。


 その後本堂に辿り着いた時には、汗びっしょりになりながら、彼女を無事本堂の方に運ぶ。座布団に頭を乗せてすーすーと眠っている神花の顔はいつも通りで、まるで人形でも見ている様だった。


「お疲れ様、それじゃあ早速悪いけど、これから儀式を行うから、君たちは私が呼んだ時に直ぐに来て欲しい。何しろこっからは時間との勝負なんでね。なるべく力のある人を集めて欲しいな」


 坊さんから貰った冷えた麦茶を飲んでいると、先生がそう指示を仰ぐ。

 本堂の奥には大きな龍の像があり、その凛々しい目つきを見ると何故か縮こまる自分がいる。


 像の前には蝋燭が二本、火がゆらゆらと揺れている。


「今から君の精神を琴音ちゃんに乗り移らせる。言わば原因療法だ。本来であれば君の右手を用いて呪いの矛先を別の方に変えるいつものスタンダードな方法をしたかったけれど、どうやらその猶予は無さそうだしね」


 俺はその後、先生の忠告を聞きながら、寝っ転がってそっと神花の隣の方にあるもう一つの座布団に頭を付ける。

 右手で眠っている彼女の手元に触れる。


「準備OKっす、いつでもいけます」


「了解。――我、瀬織津姫之分御霊を与えられし者也、守護神白龍又は西海白竜王敖閏之名の元に私が導き私が倣う。天は今ここに、神代の身をここに、邪呪の身をここに、天祖神・恵霊玉。産土神・依身玉。父母神・笑愛玉。祓ひ玉ひ清め玉ひ――」


 先生の祝詞が聞こえる。すると意識が段々とぼやけてきた。

 ぐるぐると、天井にある木目が段々と婉曲しつつある。

 その時――僅かに、神花の手がきゅっと右手を掴んだ気がした。


 昨日の夜の出来事が脳裏を過る。


(大丈夫だ――俺が必ず、お前を救って見せる)


 ただ一つ、あの夜に誓った言葉を再度誓いながら俺は、暗闇の渦の中、魂を引き摺られる感覚と共に、常世から逸脱した。




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