君が望むもの
「治さない……なんて、そんな……」
余程ショックだったのか、起き上がった神花の瞳は揺らいでいた。
淡い水色の瞳が、怪しく光って見える。
「当たり前だろ、何でそんな生きたいと思わない奴なんかに、俺と先生が命を張らなければいけない」
その言葉に、神花は狼狽して何も言わなかった。
「先生はお前をどうにかして助けようとしているけど、それは元々先生はお前を知っているからだ。だけど俺はお前なんか知らないし、今日初めて会った。悪いがそんな命を懸けてまで救う程、俺は聖人じゃない。それに命を懸けて解呪したとしても、結局お前はいつも通りの生活を送るだけだ。何もしない、努力もしない……それじゃあ、俺達が何のために頑張ったんだってなるよ」
「…………」
「別にさ、俺だって別に助けたくない訳じゃない。そりゃ依頼者の為なら死地に行くことも覚悟しているし、実際行った事もあるんだけど……みんな未来を望んでいる、夢を追いかけている……それを呪いで邪魔するのは邪推で邪悪だ。――呪いを断ち切って依頼者を前に送り出すのが俺達の仕事だ。だから、前を見る事をしないお前を助ける事は出来ない」
そこで俺は今一度深呼吸して、立ち上がる。
もう見ないふりはしない、改めて――神花の魔眼を直視する。
その蒼の瞳はどこまでも儚く、どこまでも美しく――幽世を映していた。
「いつまでも現実から目をそらすなよ神花琴音――お前の望むものはなんだ? お前の夢は? この世界でお前は何になりたい?」
彼女の魔眼はやはり危険だ。
毒は、見過ぎると自分も毒になる。
現実を許容する暇も無く、異物を常に見せ続けられ、先生の懸念通り神花の思考は変わった。
凡人とは別の世界を見続ける彼女は、果たして人間なのか。
感覚はあっても、それを確認できる目が無ければ意味はない。百聞は一見にしかずというか――人は結局は、自分で見たものでしか判断材料を持ちえないのだから。
だから、神花琴音は現実が認識できない。
思考はいつだってあちらよりで、語る言葉はどこまでも虚無に満ちている。
もしかしたら、今ここにいる自分は化け物かも知れない。
そんな、他の人が聞いたら馬鹿みたいに思う、そんな分かり切った事でさえ、彼女にとっては分からないのだから。
普通の人間では無理だ。
何故なら、普通であるならば普通であるという肯定しか出来ないから。
それでは彼女に届かない。
だが――。
異例であり変通、故に特例であり反通である俺ならば。
「お前は人間だ、神花琴音。少し虚弱で色白で、誰もが羨む程の美貌を手にしておきながら、それに気づく事も出来ない――ただの、女の子だ」
「……!」
そうだ。
普通であるから、彼女の心には届かない。
だから、化け物で怪物である俺が反対する。
「もう暗い事は考えるな。明るい話をしよう。そうだな……俺は、この依頼が終わったらラーメンが食べたい」
「ら、ラーメン……ですか?」
「あぁそうだ。イギリスのお嬢様はラーメン食べた事は無いか……? まあ簡単に言うならスープスパゲティのジャンク版だ。結構美味いぞ」
因みに俺が好きなのは王道の豚骨ラーメンだ。
早い上に美味い。ドロドロのスープが癖になるのだ。
いつも依頼が終われば先生と一緒に食べている。
神花はむっとした表情で、知ってますよそのぐらいと言った。
「日本のソウルフードだと聞いた覚えがあります。私はまだ食べた事がありませんが、とても美味しいらしいですね」
「あぁそうだ。食べてないのは人生めちゃくちゃ損してるぞ」
「そ、そんなに……」
「これが終わったら、一緒に食べるか」
俺は神花がラーメンを食べている姿を想像しながら、それが何だかおかしくて笑ってしまう。神花は殊更何がおかしいんですかと、拗ねた口調で言っていた。
「神花はどうだ? これが終わったら、何がしたい?」
「……私、は――」
神花は少しの間黙って、やがてぽつりぽつりと呟いて言った。
それは……極々普通の事だった。
ゲームがしたい、映画が見たい、本が読みたい、学校に行きたい、思い切り遊んでみたい……そんな、日常の事を話した。
そう、何も特別な事は無い。
彼女はただただ、どこにでもある事を――普通の事を、したかった。
それが彼女の夢だった。
自身の夢を語る彼女の眦からは、薄っすらと涙が見え始めた。
奥から見える淡い月光が、涙に反射されて輝いて見える。
それは蒼色の魔眼と相まって、何とも神秘的に見えた。
「私は……普通になりたいです……っ」
最後に神花は、嗚咽を堪えながらそう言い切った。
恐らく誰にも明かさなかったのだろう。語り終えた彼女の顔は、先ほどの冷めた顔つきでは無く、赤く火照っていた。
……それから少しして、神花は落ち着きを取り戻したかの様に、鼻を啜りながら俺に訊いた。
「なんで白夜君は、そんなに平気でいられるんですか……? あんなに、さっきも死ぬかもしれない様な、怖い目に会って来たんですよね?」
「……あぁ、そうだな」
「そんな体になってしまって……なんで、普通に戻りたいと願わないんですか? 貴方には、その力があるはずなのに……」
神花の言う事は確かだ。昨日の件も含め、俺は何度も死ぬような目に会って来た。
だけどそれを、俺は悔んだりはしなかった。
普通に戻りたい――か。
……そこで俺は昔、先生に言われた言葉を思い出した。
今の神花にはどう伝わるか分からないけど、それでも、少しでも気を紛らわせられるのであれば――。
「呪いも祝福も結局は人の受け取り方次第。誰かにとっての祝福が、当人にとっては呪いになる。逆も然り。根っこの所は同じなんだよ。人と人との繋がり、そこに脳みそと心がある限り、どうしてもその連鎖は続いてしまう」
「――――」
「まぁ先生の受け折りなんだけど。俺はこの力を憎んで恨んだけど――それでも諦める事はしなかった。今じゃ半人前の呪術師だ」
まあ俺の場合、相手に呪いを掛けるとちょっとしたものでも直ぐに死に直結するものになるから、呪いを掛ける事は出来ないんだが。
それに何度も言うが、俺には霊が見えない。半端な力を持っているから感性だけが研ぎ澄まされているが、それ以外は普通の人となんら変わらない。
「――運命だと思った。俺がこの右手になってしまった時……そう思ったんだ。俺がこうなってしまったのも、何かの運命。だから俺はこうして先生の下でバイトして、そして――神花に出会った」
ここまで言ってきて、何だか恥ずかしくなってきた。
神花は無言を貫いていて、もしかしたらもう眠ってしまったのかもしれない。
顔は俺と真反対のガラス窓の方に向いていて、こっからだとよくわからない。
「俺はずっと逃げ続けて来たんだよ。普通に戻りたいって願った事もある。だけど今は――――」
「……?」
「い、いや……何でもない」
今一瞬、とんでもないくらいのイタい台詞を吐きそうになった。
そんな言えるわけが無いだろう……俺と彼女はまだ、会って一日と経っていないんだから。
――この力はきっと、君を救うためにあったんだ。
だなんて、そんな台詞絶対言えないな……。
「白夜君――」
……神花は、どこか他人ごとの様に自分を話す癖があった。
きっとここに来たのも、誰かに言われたからに違いない。
だけど――。
「私は、魔眼を治して貰って、普通に戻りたいです……」
「あぁ」
「お願いします白夜君。――私の魔眼を、治して下さい」
そう揺るぎない視線で言った彼女の顔は、もう他人事と受け止めていなかった。
ちゃんと今の自分を認めて、何とかしようと足掻く者の顔になった。
その言葉に、俺はコクリと頷いて。
「勿論だ――我が師・神崎伊織と『
最後に、そんな痛々しい台詞を吐いて俺は、決意を固めた。
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