ホテルでの一夜
……それから、数時間が経過して。
明日は早いという事で、神花は十時ごろに眠っていた。
俺はもう一度部屋の四隅に盛り塩を用意したりと、俺ももう眠い、いくら右手があるとは言え、最低限の防御はしとくべきだろう。
「天司さん……」
その時、神花の声が聞こえた。
「悪い、起こしちゃったか? ……あと長いから白夜で良いよ」
「一文字しか違うじゃないですか……。あの、白夜さんはこういう事どのくらいやっているのですか?」
照明を消しながら、俺は彼女の問いに答える。
「一年半ぐらい……かな。俺がこの右手になってから、先生の下で御祓いとかやっているのは」
今思えば、懐かしいものだ。
俺の身の周りに霊障が起こり始めたのは、それこそ中学時代になるのだが、根本的な……それこそ右手の異能に目覚めたのは、本当につい一年ほど前の事だった。
ふかふかの椅子に座りながら、背もたれに背中を預ける。
これなら十分に寝られそうだ。何なら、俺のベットよりもふかふかだな……。
体はまだ洗っていないが、なに、明日の朝早起きして洗えば良いのだ。
ふわあぁ――――。
とにかく、眠いな……今日は……。
「少しだけ羨ましいです。白夜君はあんな怪物と戦える力が、あるんですから……」
右手の、聖骸布に巻かれた呪わしき右手を見る。
確かに、これに何度も救われた。これを使って何度も、多くの人達を助けてきた。
……神花は霊が見えるが、それに対抗できる手段が無い。
確かに神花から見れば、これは羨ましいものに値するのだろう。
「でも俺はこの手を持ったことに、一度も感謝したことは無い。手放せるなら今に直ぐにでも手放してしまいたいよ」
右手を開閉させながら、そう呟く。
何なら――と、俺は言葉を続けた。
「逆に呪いとか幽霊とか、そう言うのが視えるお前に少し、良いなと思っている」
「な、何でですか? この眼のせいで、私がどれだけ――」
そこだけ言って、彼女は察したかの様に、押し黙った。
神花は神花なりに苦労している。
だけど、それは何も彼女だけではない。俺もこの右手に振り回されている。
俺には祓える力はあるけど、視る力は無かった。
だから神花の様に逃げるという選択肢なんて俺には無かった。
いつだって戦うしか無かった。俺は別に総合格闘技なんてものは習ってないし、柔道とかは授業でやった事がある程度だ。
つまるところ、俺は至って平凡などこにでもいる普通の高校生となんら変わらない。
戦える力はあるけど、それを持つ人間が通常であるならば、宝の持ち腐れどころではない。この右手は、視える力があって初めて真価が発揮されるものだから。
「ごめんなさい……貴方も苦しんでいる事を忘れていました」
「良いよ別に。今は自分の事だけを思っていな。それに……最近はコイツの扱い方も少しは慣れて来たから」
静寂。耳を撫でるような静寂だけが、場を制した。
俺はもう眠いので、意識を暗闇の中に沈めている最中だった。
「——私は、誰にも必要とされてないんです」
その静寂を切り裂くように、神花の声が聞こえた。
急遽意識を暗泥の沼から引きずり戻して俺は口を開ける。
「どうしてだ?」
ダメだ。どうしても欠伸交じりの声が出てしまう。
俺は起き上がって、神花の方を振り向く。
神花は天井の方に顔を向けていて、包帯は外しているのだろう。
青々しい瞳が、月光に照らされていた。
「私のお母さんは、私を産んでまもなく死にました。お父さんは会社で忙しくて、私の面倒を見切れないとの事で、私は生まれたときからイギリスの叔母の方に預けられました」
淡々と、神花は他人事の様にそう呟く。
俺は黙って聞くことにした。
「既にお父さんとの縁は無くて、本当は私はお母さんの方の姓を貰うはずだったのです」
そう言えば、先生からちろっと聞いた事がある。
神花の母親の家は――物凄い大富豪なのだと。
世界経済に影響を与える、そんな力のある家なのだそうだ。
「けど、それは私のこの目が見えない事で全てが無くなりました。お屋敷の本館には入れて貰えず――その内、私は離れにある別館で過ごすことになりました。別館には誰もおらず、私は多くの時間をその別館の一室で過ごしました。傍にはメイドがいましたが必要以上の会話はしてくれませんでした」
それは、彼女が僅か五歳の事だったという。
そんな幼い頃に、ましてや目が見えない少女を、そんな場所で一人きりにさせるなんて――……。
「でも、それが最低限の優しさだって分かっていました。だって名前も違う赤の他人になり果てた私をここに置いてくれたんですから」
――それは違う。
神花は勘違いしている。それは優しさでは無い。それは情けでは無い。
ただ鳥かごの様に、神花を俗世から隔離したかっただけだ。
「――――」
だけど、そう言う彼女の目は潤んでいて、憂いている様に見える。
あぁそうか。なら、俺はもう何も言わないよ。
その後も神花は自分の生い立ちを語った。
それは想像通りで、だがそれ故に彼女の気持ちを考えると悲しくなる。
家族には冷たくされ、いつも独りぼっち。
そんな中で唯一の救いだったのが、庭師のお爺さんだったらしい。
「名前は分かりませんでしたが、いつも私に声を掛けて下さり、色んなお話をしてもらいました」
「へぇ。優しいお爺さんなんだね」
「はい。あの人がいなかったら、私はとっくの昔に寂しくて死んでいたかもしれません。あの人は私に色々な事を教えて下さりました。炎の仕組み、大地の仕組み、自然の仕組み……点字の本なども私に下さいました。その本には色々な事が書いてあって、とても面白かったです」
欠伸混じりにそう言う彼女は、とても嬉しそうに、懐かしむように言っていた。
とても博識な方なんだなとしか思わなかった俺は、へぇと相槌を打ちながら彼女の話を聞いていた。
「そう言えば、そのころだったかもしれません」
「……何が?」
「私のこの眼が、変わってしまったのは」
――ん?
「今の話だと、まるでその眼が元々魔眼では無いように聞こえるんだが……?」
「はい、そう通りです。私が五歳の頃から目が見えなくなって、その二年ぐらい後で、幽霊などが見える様になりました」
つまり、神花は七歳の頃から魔眼保有者になったのか。
そう言えば、確かに神花は何かに例える時、色などを使って例えていた。
生まれた頃から目が見えないのならば、その色がどう見えるのかは分からないし、ましてや形容するなんて、その発想自体無いはずだ。
――そこで俺は、とある驚愕すべき事態に気づいた。
直ぐ傍にある机からスマホを取ると、先生にLINEでその情報を伝える。
まだ既読は付いていないが、この状態で電話するわけにもいかない。
そもそも先生はこの時間帯、既に熟睡している頃だろう。
「……なあ、神花」
思ったより、神花の過去は重く苦しいものだと分かった今。
俺は思ってしまった。
――今まで神花は、何を軸にして生きて来たのだろう。
視力を奪われ、親には愛されず、唯一心を開いた人も死んでしまった。
そんな状況で十年間、神花は何を思い、そして何を希望として生きて来たのか。
俺だったら耐えられない。いや、きっと誰だって耐えられないだろう。
日夜幽霊に怯え続けて、誰にも助けを呼べられない。それがどれだけ怖い事か、俺には少しだけ分かる。
「お前はこの後、何がしたい? 何がやりたい? ――何になりたい?」
「…………」
神花の反応が悪い。
それは立て続けに言った質問の解答に困っているという訳でも無くて。
ただ、どうやって答えたら良いのか分からない。
俺は、少し彼女の事を勘違いしていたのかもしれない。
俺は今まで神花の事を呪いに困っている少女ぐらいにしか思っていなかった。
「――神花」
「はい?」
だから、とても不謹慎な言葉だが、こればかりは言わなければならない。
人を助けるとか助けないとか、それを自分で決めるのは一番やりたくない事だが、今回は俺一人の命ではない。
何よりも、そんな顔で俺は彼女を見たくはない。
俺は神花に向かって言った。
「俺は、お前の目を――治したくない」
――その、あまりにも卑怯すぎる言葉を。
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