『業の法則』


 先生との出会いは、十数年前に遡る。

 先生は霊能力者でもありながらピアノ教室を開いていた。

 あの時入った個室——あれが、先生の職場なのだ。

 俺は物心つくときからそこに通っている。理由は至って単純。俺が生まれた時にピアノブームが沸き起こり、それに便乗した故だからだ。


 先生には四人の子供がいる。長男長女、次男次女と順よくだ。

 そのうちの次女と次男に関しては俺の後輩にあたる。

 だからか、先生は俺も子供扱いするのだ。それは神花も同じことなのだろう。

 先生はこういう所がある。全く昔の頃ならともかく、今だと恥ずかしさが勝る。


 夕暮れの、茜色の空が豚汁の匂いと共に辺りを包み込む。


 俺と神花は今、池袋方面へと歩いていた。神花の目元には聖骸布がキチンと巻かれてある。通り過ぎる人がちらりちらりと、俺たちの方を見ている。ったく、確かに奇抜なのは分かるが、もう少し隠せないものかね。


 頭の中で、十分前に言われた言葉を思い出す。


『あの女性は水死した霊だね。勿論、ここらに大きな川なんてもんは無いし、水死体が発見されたという話も聞いた事が無い』


 一時間前の、あの女の霊の事を思い出す。

 あの異様に膨れた四肢と、水滴はそう言う意味だったのか。

 幽霊というのは基本的に、死んだときの状態で現れる時が一番多い。

 こういうのは大抵地縛霊だったり、浮遊霊だったりするのだが、アイツは――明らかに、殺意を持っていた。こういう場合『死霊』という。


 基本的に死霊とは人に憑りついて災いを呼び起こしたり、もっと格が高いものはそのまま呪い殺したりするものだが――基本的に、そういうのは恨みを買った人物だけにしか憑りつかないものだ。あとは、死の直後に親しい者のもとに挨拶に現れたり、さらに親しい者を殺して一緒にあの世へ連れて行こうとする話もある。


 だけど、俺はアイツを知らない。


 縁がある訳でも無いし、ましてや今初めて会いましたって感じだ。

 それでいきなり殺そうとしてくるとか、もはや何なんだよアイツって感じだ。

 サイコな野郎とか、この業界には沢山いるが、あんなのは初めてだ。死んでいるけど。


『それにあの霊は見ても中級だけど、私の結界を解ける程の腕前は持ち合わせていないようだ。君を襲ったことも併せると――明らかに、第三者の介入が見受けられる』


 第三者の介入——霊や呪いを操る者『呪詛師』。

 どうやらこの一件は、思った以上に深いのかもしれない。

 恐らくは、神花に呪いを掛けた者の一派だろうと先生は言っていた。


 西洋の呪術・魔術は今でも根深く信仰されていて、その中には黒魔術といったものもある。黒魔術は霊などを媒介に様々な事をするが、中には生贄を用いて悪魔なんかと契約を交わす者もいたのだそうで。


『こういうのは万国共通だよ。日本だって人身御供とかあったりして、神様だとかに願い事をするだろ? 最近だと『コトリバコ』とか、あぁ言う下法の術ってのは、今も昔も変わらない。何かを得るという事は必然的に、何かを代償にしなければならない』


 日本においても、生贄とかの代償を払った呪いを解くのは難しい。


 ……もしもだ。

 もしも、神花の魔眼の呪いが、だったら――。


「……なあ、」


 言いかけて、止めた。

 今一番恐怖しているのは神花の方だ。

 俺が弱気になってどうする……せめて俺だけは、強気で彼女の傍にいてやらないと。


「……飯、何か食べるか?」


 明日からはついに御祓いの儀式に移る。

 本当は必要な順序を踏まえてやらないといけないのだが、予想外の第三者の介入に先生があれこれ手順をすっ飛ばしたのだろう。神花のお父さん――氷室健斗さんは今現在海外にいるそうで、何度か御祓いの一報を入れているのだが、一向に出てこなかった。


 御祓いの件について、先生は本堂を使う際、必ず依頼者の親にこの件を伝える(神花の場合、先生が無理やり連れてくるよう頼んだので、依頼者は氷室さんという事になるのだが)。何故なら――もしかすると、失敗して殺されるかもしれないからだ。


 呪いの解呪を失敗した際、しっぺ返しが行われる。


 『人を呪わば穴二つ』という言葉がある。

 意味は、まあ文字通り人を呪えば自分にも帰って来るよという意味合いであり、密かにやっても簡単なものであっても、それらは巡り巡って自分に帰って来る。


 呪いとは、どこまでいっても『カルマの法則』に従うものだ。

 いわば、それで完結している関係。呪う側と呪われる側という関係だけで済んでいる。だが、そこに現れるのが同じ力を持って、呪いを以て呪いを解呪する呪術師だ。


 これは『カルマの法則』における例外的な存在で、だから失敗すれば呪い呪われるといった呪術的なカルマの法則が一斉に第三者である自分たちに牙を向く。


 だから先生も俺も真剣だ。命が掛かってるんだ、もとよりこういうのに怠慢といったものは命取りになる。解呪は正しく体力勝負。俺も、そして神花も今の内に食べて精を付けなければ。


 ==


 その後、なんやかんやあり、俺たちは池袋にあるホテルの中でも最高級のホテルの一室にいた。


 いや、なんやかんやあってって、何があったんだよと言いたい気持ちは分かる。


 少しだけ細かく言うのであれば、あの後神花は何も口にしないままホテルのエントランスを通り、そこで俺も解散……という流れになると思いきや、どうしてか俺も入るのを許可されて、有無をいう暇もなく、ここまで着いてきてしまったという訳だ。


 恐らく、俺が介護の人に見えたのだろうか。


「すっげぇ……」


 踏みしめるのが申し訳ない程の絨毯に恐る恐る足を付けながら、神花は手触りで部屋の鍵を開けるセンサーに触れると、持っていたカードキーを触れた。

 カードキーで開けられた扉の先には、想像しがたいほどの光景が広がっていた。


 全体的に落ち着いたオレンジ色の照明が、扉を開けた瞬間に、部屋の主人をもてなすかのように灯った。道の奥行きの先には、大きな窓ガラスがあり、そこからは池袋の夜景が一望できる。何とも言えない、良い匂いが辺りを包み込んで、不思議と、人の気分をリラックスさせる。実家の様な安心感。これが高級ホテルが持つ不思議な魔力なのか。


 神花は壁伝いに、キングサイズもあるベットの上にばふんと乗った。

 そのせいか、元より薄い衣服の色々なところがはだけて、色んな所が見えそうになる。


「……と、取り合えず俺は帰るからな! 明日、また迎えに行く」


 俺はぷいと視線を逸らしながら、扉の所に行こうとすると――。


「待って、下さい」


 その手をぎゅっと掴まれた。

 柔らかくて、温かい小さな手。こそばゆい感覚に、けど俺はそれを振り払う事が出来なくて、彼女の目元を見る。聖骸布を解いた今、彼女にはあらゆる呪いが見えているのだろう。


 ――だというのに、彼女は今こうして俺の手を掴んでいる。


「神花…………」


 分かっている、彼女がこうして俺の存在を認識しているという事は――つまるところ。


「分かっているんだろ――? 


 彼女の手をやさしく離しながら、俺は近くの椅子に座りながら、彼女と真正面に見向き合う。


「……っ」


 神花は少しだけ視線を逸らして、でも体はこっちの方を向いていた。

 分かっている、直視は難しいものな。


「思えば、初めて出会った時もお前は俺の存在だけは認知していた。それは決して、俺の右手にあるアイアスの聖骸布の力だけでは無い」


 そう、彼女が見えるのは呪いのみ。

 人や、物体などは見えない。辛うじて、そのものに憑く存在を見る事は出来るだろが、そのもの自体は見えないはずだ。


 ……心底、反吐が出る。


 彼女に対してではない、自分に対してだ。

 神花は、こんなバケモノと一緒にいてくれたのだ。しがみついて、命を助けてくれたのだ。


 彼女はどんな気持ちだったのだろう、自分を助けてくれる相手が、まさかこんなバケモノだなんて思わなかっただろう。


 それでも彼女は信頼してくれた。

 

 本当に、彼女は優しい。そう思うと、途端に彼女の見る目が変わる。


 はだけた純白のワンピース。シミ一つない白い肌。

 折れてしまいそうな程細い腕と足、そして――

 青と紫の混ざった幻想的な色合いをしている魔眼。


 それら全てが、神花琴音を構成するもので、それは今にでも崩れてしまいそうな程、儚く感じた。


 途端に、胸が苦しくなる。

 俺はその苦しさを誤魔化すかのように、彼女にこういった。


「――だけど、今はまだ我慢してくれ。事が終わったら必ず、真相を明かすから」


 その言葉に、神花はこくりと頷いてから、俺に手を差し伸べた。

 その手を握りしめると、彼女は言った。


「……お風呂」


「はい?」


 ……その、あまりにも突拍子もない言葉に、俺の頭は一瞬フリーズした。

 何かの聞き間違いかもしれない。俺は彼女にもう一度聞いた。


「お風呂、入りたいです」


 どうやら、聞き間違いとかではないらしい。


 …………………………。


 なあ、この場合――法的に訴えられることは無いよな?

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