魔眼保有者
……その後、なんやかんやありつつも、無事二時頃には、本題に入ることが出来た。
神花と先生が座りながら対面していて、俺はそれを傍目に壁に寄りかかる。
「気分はどう?」
「はい……凄く良いです。あの、ここは……」
「ここは神聖な物で溢れているからね。低級な霊なんかは、たちまち浄化されるよ」
少し狭い部屋だが、その狭くしている要因が、この壁なんかに掛かっているタペストリーやチャーム等だ。先生が言っていたように、これら全てが聖なるものだ。
先生が日本を渡り歩いて本当に信頼できる所から発注しているので、小さなものでも、お守り以上の効果がある。
先生が彼女の頭の後ろに手を回しながら言う。
「目は見えないけど――琴音ちゃん。目は見えないけど、視えているんだよね?」
先生は彼女の包帯を取り除きながら、そう言った。
包帯が外された彼女は、やがて静かに、ゆっくりと――その瞼を開けた。
「う、お……」
その瞳の色は、青と紫を混合させたような、幻想的で神秘的な色合いをしていた。
その瞳を見た俺は、そのあまりにも美しすぎるその瞳に、魅入られていた。
頬をひっぱりながら、俺は彼女の目を見て、やっぱりと確信する。
これは自然発生したものではない――人工的だ。
その瞳は悪しきものを看破する瞳にして、誰かに災いを振りまく瞳——俺は、この眼の名称を、知っている。
「「魔眼」」
俺と先生が、同時に口を開いた。
先生が続けて言う。
「古来より、魔眼というものは『邪視』として中東、ヨーロッパに広く伝わっている、民間伝承の一つだ。見たものに災いを。魔眼の種類にもよるが、中には見ただけで相手を殺せると言った、チート地味た能力を有している魔眼もある。
『アイアスの聖骸布』を身に着けていたから、やっぱりと思ったけど、これほどとはね……もう少し、氷室に言っておけばよかった……」
先生が本当に悔しそうにそう言うと、神花のその小さな体を思い切り抱きしめた。
目が見えない彼女は、いきなりの行動に目を丸くさせると、だがしかし次の先生の言葉に、涙を浮かべた。
「怖かったね。辛かったね、よく頑張った。後は先生と、白夜君に任せなさい」
ぽんぽんと、背中を優しく撫でる先生に、神花はただ静かに、嗚咽を漏らしながらこくりと頷いた。俺はただその様子を眺める事しか出来なかった。
……流石に男がいるのはどうだろうかと察して、お茶でも淹れる事にした。
先生の職場は自宅と兼用しているので、奥にある大きなキッチンで三人分。
シュンシュンと熱湯を注いで、レモンの薄切りを添える。このお茶にはリラックスする効果がある。今の彼女にはピッタリだろう。
その時、奥の扉から先生が出てきた。
「寝ちゃった。よっぽど疲れていたんだろうね。護衛があったとはいえ、彼女、イギリスではあまり外に出ていなかったようだから」
「イギリス!?」
「あぁ。彼女はイギリス人の母親と日本人の父親を持つハーフだよ」
あぁだからか。最初に先生が遠路遥々……って言ってたのは。
確かに、色白なところとか、明らかに日本人じゃないよな……。
きっとあの魔眼の色合いも、元々がそうだったから、あんな色になったんだろうな。
先生は右手に持っていた包帯……いや、聖骸布を見ながらため息を吐いた。
「アイアスの聖骸布に覆われているのに、彼女はまだ、呪いが見えた。それほど強い魔眼らしい」
アイアスの聖骸布は、それに包まれた物の『邪気』を封じる能力がある。
俺のこの右手にあるドライビンググローブも、この聖骸布を加工して作られたものだ。これが無ければ日常生活が困難になるので、なるべく着用しているのだ。
だけど、この聖骸布でさえもカバーしきれない程、彼女の持つ魔眼は強力だ。
「そう言えば、さっき氷室とか言ってた様な気がするんですが、お知り合いですか?」
先ほど先生が口に零した名前……氷室。
「彼は私の古い友人でね……琴音ちゃんの、父親だ」
「……っ」
だが彼女の名前は神花琴音だ。氷室では無い。
と、なると……。
「離婚……」
「離婚……というのは、また少し違う。彼女の母親は、琴音ちゃんを出産すると同時に、死んでしまった。元々体が弱い方だったんだけど……」
話しを聞くに、神花の母親——アイリ・エンハンスと父親である氷室健斗は、先生の大学時代の友人であり、今は疎遠になっているが、昔は結構な仲だったらしく、先生の旦那さんとよく一緒に旅行等を行っていたらしい。
「エンハンス家は、結構名の知れた富豪でね。当時は親が結婚にひどく反対していたそうなんだけど、氷室君が新しく会社を設立してね、それが軌道に乗り出した頃にもう一回プロポーズして、それが認められてようやく……て、感じだった」
そう言う先生の表情は、今まで見た事が無いほど陰鬱な表情をしていた。
確かに、それは壮大な愛の物語だったのだろう。
そのラストが悲惨なものになってしまったのは、現実故の無情さとしか言いようが無い。
「ん? それなら何で神花は、神花性を名乗っているんですか?」
「……五歳ごろまでエンハンス性を名乗っていたんだけどね。時系列順から見て、彼女は五歳頃に、呪術師から呪いを掛けられている。大方同業者による仕業だろうけれど……エンハンス家は彼女を疎ましく思ったそうでね、遠くの日本にある親戚の名前を付けたそうだ。……自分たちとは関わりが無いって言う意味だろうね」
……そんな、事があるのか。
呪いを掛けられたからって、縁まで切るなんて……。
想像すら付かない。貴族というのは、皆こういうものなのか?
だが、確かにそれなら辻褄がある。
彼女は現実世界が見えていないが呪いの世界は見える魔眼を持っている。
なのに、俺に説明する時はえらく具体的に話すのだ。
最初から見えないのであれば、あのような説明は出来ない。
「彼女の持つ魔眼は貴重で、そして強力なものだ。自衛能力を持たない彼女は恰好の的で……正直に言うと、今生きている事自体奇跡みたいなものなんだよ」
強い魔眼には、その存在自体邪悪なものを呼び寄せてしまう。
先程みたいに、害を加えないものもいるが、寧ろそっちは希少だ。
そもそもあれは――見られていると言う神花のストレスから作り出されたものだから。
本当に運が良い……。
先生にカップを渡しながら、俺は席に着く。
丁度いい、彼女が寝ている今、聞かなければいけない事を聞かなくては。
「それで――今回の報酬の目処は如何に?」
そう、神花には悪いと思うが俺にとって金は重要なのだ。
慈善事業でやるには、この界隈はあまりにも危険すぎる。
簡単なお祓い等は、千円程度でやってはいるが、呪術……それも長い間蝕み続ける強力な呪術は、十万程度で行っている。
それに、これは先生からの受け折だが、お金を貰う事でこっちも責任感が生まれる。この界隈は油断が即命取りになる。だから先生は相手がだれであれ、お金を請求するのだ。
すると先生は右手の指を一本立てると、もう一つの手を丸にした。
「十万……!?」
「桁が二つ足りない。今回は白夜君だけではどうも荷が重いから、私も参戦する」
確かに、俺個人の力であの呪いに立ち向かうのはリスキー過ぎる。
呪いの解呪は、下手にやると解呪しようとした人にも災いが起こる。
俺たちはこれを『しっぺ返し』と呼んでいて、流石にここまでの呪いとなると、命が危ぶまれる。まあ、少し高すぎるような気がするが、妥当な値段だろう。
「片目で一千万、両目で三千万だ。氷室はポンと三千万出したよ」
解呪は難しい。一番簡単なのは今の様に半分だけ解呪する事だ。それならば、後は時間に任せて穢れが薄れるのを待つだけ。そうすると自然に解呪出来るのだが――逆に、一番難しいのは、根本を断つこと。
片目だけならまだマシだが、両目となると難しい。
「それじゃあ……」
「うん、一応氷室に連絡を入れて許可が下り次第やろうか」
なるほどあそこを使うわけか……嫌だなぁ、俺あそこあんまり好きじゃないんだけど。
そんなこんなで、着々とお祓いの準備を話し合っていると――。
「あ」
「……ん?」
ピクッと、先生が顔を上げて玄関に繋がる廊下に視線を向ける。
磨りガラスの奥は薄暗く、目を凝らしても良く見えない。
だが、確かに何かの音は聞こえた。丁度救急車のサイレンの音に掻き消されて、何の音かは分からなかったけど。
先生は取り分け耳が良い。それは決して、先生が『ピアノ教室の先生』だからと言う訳ではない。俺の聞こえない何かの音に反応したのだろう。
「結界が破かれた……!? 白夜君!」
先生の焦った言葉に、嫌な雰囲気を感じ取った俺はすぐさま玄関に躍り出る。
長いフローリングの廊下の奥、靴置き場のところに、ポタリと水滴が落ちた。
その瞬間、俺の眼前にソイツは現れた。
艶の無い、乱れた長いざんばら髪に、白の死装束。ソイツは靴置き場に立っていて、ポタポタとぶくぶくと膨れている手の、その膨らんだ指先からは異臭の放つ水滴が幾度となく落ち続けている。なんなんだ……コイツは。
髪は目元を覆うように伸びていて、その青くなった唇から紡がれたのは、
「ドゥッシテ、ドゥッシテ、ドゥッシテ、ドゥッシテ」
誰に宛てたのか分からない言葉を連呼している。
下水のような、腐った水のような匂いが辺りを充満していく。
「琴音ちゃんの魔眼に誘われたか……!」
奥の方で、先生が女を睨みながら、右手に持っていた包帯を見る。
そうだ……アイアスの聖骸布は、対象を巻かなければ効果が無かったんだ。
今、彼女は眠っているとはいえ、魔眼の発する呪いは健在。
それに連れられて来たのだろうか……!?
その時、その女はぶつぶつと何か良いながらスーッと空いた扉の夕焼け空が染み出す道路の所に出た。
「待て……っ!」
俺は慌てて玄関前に躍り出て、外に飛び出そうとする。
だがしかし、その身体を引き留めた奴がいた。
驚いて後ろを振り返る。すると、そこには神花が俺の腰回りに抱き着いて、必死にしがみついていた。
「待ってください!」
一体何なのか。彼女の目は見開いているが、その先に俺の姿は映っていない。
目が見えないはずなのに、どうして俺の居場所が分かったのだろうか……。
しかし、その時。俺がその理由について分かりかけたその瞬間。
ゴーッと大型のトラックが俺の目の前を横切って行った。
それに轢かれるように女の姿が消え失せて、通り過ぎた後には影も残っていない。
どこからか、チッと舌打ちの様な音が聞こえた。
「あ、危なかった……」
神花がいなければ、俺はあのまま外に飛び出して――あのトラックに轢かれていたのかもしれない。
いや、もしかすると、あの幽霊はそれを見越して俺を誘ったのか――?
ぶるりと、悪寒が走った。久しぶりに……一年ぶりに、遅れながら死の気配を感じた。少しばかり調子に乗っていたのかもしれない。この右手はあまり万能ではない。
生かすも殺すも自分次第——
「大丈夫かい!?」
先生が慌てて俺たちの方に駆け寄ってくる。
周囲の安全を確認した先生は、俺の方に駆け寄ると神花もろともぎゅっと抱きしめられた。
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