腕を取られた少年と、魔眼の少女

天野創夜

幻手の略奪者


 ――その日、俺は先生に呼ばれた。


 2023年の春頃、まだ季節は冬のままで、だけど日を重ねるごとに温かくなっていくこの時期。俺はいつもの黒いパーカーを羽織りながら、桜舞う大通りを歩いていた。


 高校三年生の春、いつもなら勉学に身を費やすはずだが、今日だけは違う。

 なだらかに上に上がっていく坂を下りながら、僅かに浮き出た汗を拭いながら、俺は目的の場所に辿り着いた。


『良い案件がある。今日の午後一時半ごろに依頼者が来るから、私の家まで案内してくれ』


 そんな一文のメッセージを見た瞬間、俺はシャーペンを置きスマホをポケットの中に入れて、家から飛び出した。何故なら、そのメッセージを見たのが午後の一時だったから。


 そんなこんなで、ようやく目的の場所——大塚駅に来る。

 依頼者の外見などは言われていないが、どうやら女の子らしい。

『会えば分かるよ』と、先生は言っていたが……。

 相変わらず人が少ない大塚駅周辺には、変なオブジェクトで一杯だ。


 その変なオブジェクトの一環である、駅前の、白く丸いベンチの形をした物体の周囲には、少しの人だかりができていた。

 何だろう……誰か、ここでパフォーマンスでもやっているのだろうか。

 つい気になってしまって、前に躍り出る。

 そこで気づいた――観衆は、何かあってここに集まった訳ではない。


 ――その、彼女の外見があまりにも特殊過ぎて、つい目を奪われてしまうのだ。


 日本人とは違う、白くシミ一つない肌。

 純白のワンピースを着ていて、小麦色の麦わら帽子を被っていた。

 腰まで伸ばした亜麻色の髪は、まるで一本一本輝いて見えて、何とも言えない色合いを醸し出していた。


 右手には持ち手が黒くそして真ん中には赤色、そして先端は白色の杖を持っていた。

 誰もが、その杖を知っている――『白杖』だ。

 そう、彼女は目が見えない。それは手に持っている白杖で推し量れる事だ。


 俺は白杖を見て、彼女の目元に視線を向けた。

 ツバの広い麦わら帽子で見え隠れするその口元の、更にその上を――。


「……え」


 ここまでくればちょっとした、いや大分可愛い少女だという事が分かる。

 だがここまでの人だかりが出来たのは、やはりおかしい。

 そもそも、ここまでの人だかりにしてしまったのは、偏に、彼女が盲目だったからだろう。


 だが、その真の理由は――彼女の、目元にあった。


 真っ白な包帯が、彼女の目元を覆うように、ぐるぐる巻きにされていた。


 いくらなんでも、それは無いだろう――というのが、率直な感想だった。

 恐らく、この場にいる全員が、そう思ったのだろう。現に俺は呪術廻戦の五条悟を思い出していた。

 

 普通にすれば良いのに――と、どこからかそんな声が聞こえる。

 全く、目が見えない事を良い事に好き勝手言ってくれる。

 俺は一歩、人だかりの前に足を踏み入れた。


「……誰、ですか?」


 俺の気配に気づいたのか、彼女は俺の方を見ながら言った。


 びくりと、彼女の華奢な体が震えているのが分かる。

 俺は怪しいものでは無いという事を手を振って訴えるが、目が見えない彼女にとって何ら意味を成さない事を思い出した。


 俺は息を吐いて、彼女に言った。


「俺の名前は天司白夜あまつかさびゃくや。君が――神花琴音かんばなことねさん……ですよね?」


 人々の視線が俺たちに集まる中、彼女はしばらくの間黙り込み、やがて言った。


「もしかして、お父様が言っていた――『幻手の略奪者イマジナリー・ハンド』様ですか?」

 

 うーわ……相変わらず、凄い異名だな。

 僅かに赤面しながら、あぁと小さく頷く。

 ハッキリ言ってこの呼び名、いい加減止めて欲しいが、残念ながらこの異名は俺が知らない間に広く広まっているらしい。


「先生が待っている。付いてきてくれ」


 ここから先生の自宅まで、徒歩で二十分弱。

 あまり時間は掛けたくない。だが彼女は困ったように、あのと言った。

 ……右手にある黒色のドライビンググローブを外す。


右手を貫くかのように、電撃が走るような感覚で、俺はようやく理解した。


 成程、どうやら彼女は動けないのではなく、


「――えるのか?」


「え、あ、あの……っ」


 神花の言葉に、俺はそこで諸々の状況を察した。

 全く……先生も、面倒な案件を持ってくる。

 その分の報酬は、ちゃんと頂くとしよう。


「もういい、大方の事情は分かった……どこにいる?」


「え……?」


「俺は殴る専門だ。視る事は出来ない。どこにいる?」


 神花は震える指を、自身の右隣にある虚空を指すと、小さな声で。


「小さくて、沢山の目を持った、あ、あの……!」


「もういい、分かった。……今まで我慢して偉かったな」


 こんな人の気配がする中で、ただ一人、恐怖に耐え続けていたのか。

 それはどんなに怖く、辛い事だったのか。俺には分かる。

 彼女の右隣にある虚空に、俺は右手を差し出す。


「捕まえた」


『ミギュ』


 この右手は万物を掴む右手。

 あらゆるものに干渉する魔手。

 それは、理を逸脱した、この世あらざる存在のものでさえも――だ。

 この右手で掴んで、触れて、初めて分かる。

 コイツの存在を、視覚出来る。


 それは紫色の体表で、ぬるっとしていて、顔に当たる部分は無数の目で覆い尽くされていた。


「……消えろ」


 あまりにも見苦しいから、右手に力を込めて、俺はその存在を――握り潰した。

 ブチッと、最後の断末魔はミギュッだったか。

 血など一滴も流れない。ただ、見えない銀色の砂みたいな物が、風に乗って街に流れて行った。


 ==


 それから数十分が経過して、俺たちはとある一軒家に辿り着いた。

 そこは、他の人からしてみれば何も変哲もない一軒家なのだろう。

 だが、彼女からしてみれば、その家はどんな神聖な教会よりも神々しいものだそうで。


 ――俺からしてみれば、ここは、安らぎの場所だった。

 だけど、今は違う――一分でも長くいれば、体が壊れてしまう。正に毒地だ。


 微かに聞こえるピアノの音。その音に神花は安らぎの顔に、俺は僅かに顔を顰めた。

 扉を開けて、玄関を通り過ぎて直ぐ左の扉。

 そこが、先生の職場だ。


 扉を開けた先には、黒色のピアノが一台あった。

 そのピアノを弾いている茶髪の女性が――俺の、先生だ。

 先生は俺たちに気づくと、引きかけた指を止めて、彼女の元に歩み寄った。


「ハーイ! 遠路遥々ご苦労様、君が神花琴音ちゃんだね?」


「えっ!? あ、あの……」


「私の名前は神崎伊織。君のことは実は前から知ってたんだ。私のことは気軽に先生って呼んでね?」


 神崎伊織こと――先生は、神花の手を握りながらそう朗らかに言った。

 神花はきょとんとしているが、少し唇を綻ばせて、よろしくお願いしますとそう言った。

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