閑話 医務室にて(アイリスとカリーナ)

## 御令嬢たちの密談の直前の話です。


———


「カリーナ様、付き添い有難うございました。」


バートラント侯爵に襲撃され肩を斬られたアイリスは、その場に居た女騎士カリーナの手を借りて城の医務室にやって来ていた。


傷はそこまで深くは無いものの、歩くと肩が揺れてその度にアイリスは痛みに顔を歪めていたので、そんな彼女の様子を見かねたカリーナは、彼女を抱き抱えると、颯爽とお姫様抱っこでアイリスを医務室まで運んだのだった。


「すみません、カリーナ様、本当に……重かったでしょう……?」


アイリスは顔から火が出そうな程恥ずかしかった。

騎士とは言え同性のカリーナに自分を運ばせてしまった事も申し訳なかったが、医務室に来るまでに、彼女に抱き抱えられて移動する姿を多くの人に見られていたのだ。



「いいえ、アイリス様は羽のように軽かったですよ。」

カリーナはニコリと微笑みながら、そう答えた。

その受け答え方は完璧に貴公子で、うぶな御令嬢ならば、きっと二、三人は卒倒させただろう。

それ程までに、彼女は凛々しくて格好良かった。


「それに……これ位はさせて下さい。私はアイリス様の一番近くにいたのに、貴女が危険だと分かっていたのに、何もしなかったのだから。」

カリーナは申し訳なさそうに謝罪の言葉を続けた。

彼女は、囚われていたアイリスに対して何も助けなかった事を、引け目に感じていたのだ。


「貴女はアーネスト殿下の騎士だったのですね。だから、侯爵が私を見張る様に命令されていた筈なのに、どこか一歩引いていて、熱心ではありませんでしたので、貴女の態度が不思議だったのですが、成程、納得しましたわ。」

「はい、そうです。アーネスト殿下の命で、バートラント侯爵に従っているフリを続けなくてはならなかったので……。貴女があんな怖い目にあっているのに、ただ見ているだけしか出来なくて、お話も、必要最低限のことしか教えられなくて、本当にごめんなさい。……」


「いいえ、少なくとも初日に目が覚めた時にカリーナ様が居てくれたお陰で、私は冷静で居られましたわ。貴女が居てくれて良かったです。」

アイリスは自分を責めるカリーナの手を取って、微笑みかけた。彼女を恨む気持ちなど、一欠片もないのだ。


「しかし私は、騎士でありながら何もしなかった。本当にもう少しでアイリス様に取り返しがつかない事が起きるところでしたのに……」

「全部上手くいったんだから、気にしなくて良いのよ。それにね、私はよく分かっているのです。高位貴族、ましてや王族の命令には逆らえない事を。何故ならうちだって弱小貴族だから。だから、私もレナード殿下の侍女やっているんですよ。逆らえなかったから。」


アイリスは、自分を戒め続けようとするカリーナを優しく慰めた。

身分を重んじる貴族社会においては、目上の者からの命令を断るなんて事は出来ない。アイリス自身がそれを良く分かっているのだ。ルカスに有無を言わさずにレナードの侍女にさせられてしまった経緯があるから。

だから、カリーナ自身を責める気持ちはなかったし、彼女にも、自分自身を許してあげて欲しかったのだ。



「アイリス様は、嫌々レナード殿下の侍女を務めているのですか……?」

その言葉に、それは意外だという感じの驚いた様な表情で、カリーナは顔を上げてアイリスを見た。


「う……、まぁ、最初はね……。王太子殿下付きの侍女だなんて、分かりやすいくらい妬みやっかみの格好の的だからね。」

「そうだったのですね。それなのに、こんな大きな事件をまで巻き込まれて、傷まで負ってしまって、なんとお可哀想な……」

「あっ、でもね、それは最初だけよ。今は違うわ。私は、レナード殿下にお側仕えするとこを自分で望んでいるわ。あのお方を側でお守りしたいんです。」


アイリスは慌てて説明を付け加えた。このままでは、レナードに、嫌がる令嬢を無理やり侍女にした横暴な主君という悪いイメージがついてしまうかも知らないから。

だからアイリスは、自分は望んでレナードの侍女をやっている事を、強調したのだった。



「その辺の感情は、カリーナ様、貴女だって同じ気持ちなのでは無いかしら?アーネスト殿下に忠誠を誓っているのでしょう?」

「忠誠……まぁ、そうですね。私はあのお方に一生ついて行こうと決めていますね。」


「そうでしょう?一生お側に居たいと思うくらい、お慕いしているのでしょう?私も同じですわ。命令などではなく、レナード殿下だからこそ、私はお側に仕えたいのです。この想いは決して外に出してはいけず、報われないけれども、彼を側で一生支えたい。そういうものですよね。」

「……うん?」

「……うん??」


アイリスが切ない気持ちを吐露したのに対し、気まずそうな顔で首を傾げるカリーナを見て、ここでアイリスは、はたと気づいた。

カリーナと会話が噛み合っていなかった事に。

彼女はあくまでも、アーネストに対して抱いているのは主従関係なのだ。

優秀な上司に一生ついて行く。カリーナが言っているのはそう言う事だったのだ。


それなのに、アイリスはカリーナは自分の悩みを分かってくれる仲間だと勘違いをして、暗にレナードの事を慕っているのだと話してしまった。


「待って、カリーナ様、今のはその……!!」

アイリスは慌てて発言を取り消そうとした。この想いは外に出してはいけなかった。


「つまりアイリス様は、レナード殿下に対して、恋慕の情を抱いていらっしゃるから、殿下のお側に居たいと……」

「ちっ……違うわ!!いえ、違わないけど……でも、違うんです。」


知られてはいけないこの想いを自ら暴露してしまった事で、アイリスは酷く取り乱してしまった。


するとカリーナは、そんな慌てふためくアイリスの唇にそっと自分の人差し指を押し当てると、彼女を安心させる様にニッコリと微笑みかけたのだった。


「大丈夫ですよ、アイリス様。誰にも言いません。騎士たる者、口は堅いですから。」

「……貴女の主君であるアーネスト殿下にも……?」

「仕事の時間はついさっき終わりました。友達の恋愛話を上司に報告するだなんて、そんな野暮な真似致しませんわ。」


カリーナが男前すぎて、アイリスは肩さえ怪我をしていなかったら、彼女に抱きつきたい位だった。それ程までに、彼女は格好良かった。


「あの……カリーナ様は、私とお友達になってくれるのですか……?」

今の会話の中で、カリーナが自分の事を友達と称したのに気づいて、アイリスはおずおずと訊ねた。

もし本当にそうならば、それは素敵な事だった。アイリスは同性の友達が欲しかったから。


「勿論ですわ。私も貴女に興味がありましたの。レナード殿下にも、アーネスト殿下にも靡かない御令嬢なんて珍しいから。まぁ、でも、レナード殿下には靡いていたみたいですけど。」

「そ、そういう貴女はどうなんですの?アーネスト殿下のお側に居て、そのお気持ちは全く揺れ動かない物なのですか?!」

「……アイリス様……」

カリーナは、物言いたげな目を向けて、呆れた様な声を出した。

「逆に問います。あれだけ近くでアーネスト殿下のあの性格を見て来ているのに、どうしたら、恋慕の情を抱けますでしょうか……?」

それは、あまりにも説得力のある説明だった。


「……顔は良いですわ……」

「そうですね、顔は良いですね。……他が色々と最悪ですけど……」

カリーナはそう言って大きな溜息をついた。主君としてアーネストを崇めてはいるが、盲信的という訳でも無さそうだった。


「それでも、アーネスト殿下はカリーナ様が忠誠を誓った大切な主君なんですよね。」

「えぇ、まぁそうですね。恋人にはしたく無いですが、人の上に立つ者としては、私はアーネスト殿下の才を信じておりますから。」

「私はレナード殿下を尊敬しているから、貴女とは意見が分かれてしまうけれども、それでも、仲良くしてくれるかしら?」

「勿論ですわ。私、仕事とプライベートは切り替えられますから。」

それから二人はお互いの顔を見合わせると、ニッコリと笑い合って、握手を交わしたのだった。


こうして、王城に来て二十日ほど経って、アイリスはやっとドロテア以外の同性の友達を手に入れたのだ。


今まで、レナードやアーネストを慕う御令嬢達から目の敵にされていたが、彼女と仲良くなった事をきっかけに、他の御令嬢とも、少なからず友好的な関係を築かないかと、僅かに期待した。



しかし、現実はそんなに甘く無かったのだった。



アイリスがカリーナにお姫様抱っこで運ばれた事は噂は城内に直ぐに広まって、カリーナの事をお姉様と慕うご令嬢方からも、アイリスは敵視されてしまうのであった。


王城でのアイリスの受難は続くのだった。

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