第53話 犯人
アイリスが怪我をしてから五日目。
傷がまだ治っていないので侍女としては働いていないが、レナードが前回眠ってからもう五日が経っていたので、そろそろ再び彼が眠りに落ちてしまう危険な気がして、用心のためにアイリスは彼の執務室のソファーに座って待機していた。
目の前ではレナードとルカスが相変わらず山の様な書類黙々と片付けている。
(……ルカス様がどっかに行けば、殿下とお茶を飲めるのに……。ルカス様どっか行かないかしら。)
そんな不謹慎な事を考えながら、アイリスはレナードを見つめていた。
初めの頃こそ、畏れ多くてその姿をまともに見る事も出来なかったが、こうしてお側に居られるのはあと少しなのだ。アイリスは彼の姿を脳裏に焼き付けたくて、目を逸らさずに執務に励む彼を見つめた。
そんな風に部屋での時間が静かに流れていると、不意に執務室のドアがノックされて、こちらの返事も待たずにドアを開けてある人物が部屋に入って来たのだった。
「やぁ、相変わらず忙しそうだね。」
「……何の用だ?」
そのような失礼な真似を出来るのは一人しかいなかった。執務中に現れたアーネストに、レナードはチラリとドアの方を見ると、直ぐに視線を手元に戻して素っ気なく要件を伺った。
何の要件か知らないが、見ての通り仕事は山積みで、アーネストは構ってる時間など無かったのだ。
けれども、アーネストから発せられた次の言葉で、レナードは直ぐにまた顔を上げて、彼を注視する事になるのだった。
「つれないねぇ。折角呪いを掛けた犯人の手がかりを見つけて来てあげたのに。」
「それは本当か?!」
「……さぁ、どうだろうね?」
今迄どれだけ調べても見つけることが出来なかった呪いの手がかりを、アーネストは見つけたと言うのだ。
レナードは俄かに信じられなくて、確認の為に聞き返したが、アーネストはレナードからの確認を意地悪そうにはぐらかしたのだった。
彼の性格上、すんなりと全ては話してくれる訳がなかった。
アイリスはそんなアーネストの表情に何だか違和感を覚えていた。彼の性格ならば、こういった場面ではもっと生き生きとした悪戯を仕掛ける子供のような顔をする筈なのに、今の彼は、なんだか不機嫌そうで、まるで何かに失望しているようだったのだ。
「アーネスト殿下、なんだかつまらなそうなお顔をされてますね。もしかして、レナード殿下に呪いを掛けた人物は、アーネスト殿下の期待する様な意外性のある人物ではなく、ありきたりな人物だったのでは無いでしょうか?」
アイリスは思い当たる事を聞いてみたのだが、この指摘はそのものズバリ当たっていたのだ。
アーネストは一瞬驚き、そして直ぐにパァっと顔を明るくすると、嬉しそうにアイリスに詰め寄ったのだった。
「……本当に君は聡いねぇ。レナードの侍女にしておくのが勿体無いよ。ねぇ、本気で僕の侍女にならないかい?」
「アーネスト!!」
不真面目に振る舞うアーネストにレナードは腹を立てたようで、大きな声を出して彼を睨んだ。
「そんなに怒らないでよ、冗談なんだから。おぉ、怖いなぁ。」
口ではそうは言っているものの、全然怖がってる様子を見せずに、むしろ面白がっているようにアーネストは肩をすくめてみせたのだった。
「そうだよ。アイリス嬢の推察通りさ。レナードに呪いを掛けた犯人は、数多くいるレナードに恋する御令嬢の一人だよ。僕としては、もっと想像も出来ないような深い話を期待してたんだけどねぇ。御令嬢の暴走は、まぁ、想像の範囲内だよね。」
「それで、一体誰なのですか……?」
ルカスも仕事の手を止めて、アーネストに注目した。この部屋にいる人物は、みんな固唾を飲んでアーネストの口から出て来る次の言葉を待っていた。
「バートラント侯爵の娘の、デリンダ嬢だよ。侯爵家に潜入していたカリーナが、デリンダ嬢が黒魔術に傾倒していたと教えてくれてね、で、ちょっと調べさせたらこんな本を見つけてくれてね。」
そう言って、アーネストは黒い背表紙の古い本をルカスに手渡した。
その本には、古の魔女の禁術が書かれており、その中の一つに、念を込めた針で刺すと相手を絶対に起きない眠りにつけさせることが出来る呪いと言うのがあったのだった。
「これは……殿下に現れている効果とは少し異なるようですけど、でも恐らくこの呪いを殿下はかけられたんでしょうね。」
「そう言えば……一ヶ月くらい前に、届けられた封筒を開けた時に、針が仕込まれていて指に刺したことがあったな。あの時は、私に対する良くある嫌がらせだと思って毒も塗って無かったし怪我の手当てだけして気にも留めなかったが、その話を聞くと、きっと、その時なんだな。呪いがかけられたのは。」
誰がいつ、どのようにレナードに呪いを掛けたのか。今まで分からなかった事が、一気に明らかになっていく。
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