第35話 王太子とのダンス
「苦手だって言っていたけど、上手じゃないか。」
「付け焼き刃ですが少し練習しましたし、それに何より殿下のリードがお上手なんですよ。」
踊り始めてみると、案外スムーズに踊れるものだった。アイリスは兄以外の男性とは踊ったことが無かったので、自分が上手く踊れるかずっと不安だったが、その不安はどうやら杞憂に終わりそうだった。
「こんな状況だけど、少しは楽しんで貰えてるかな?」
「……はい。こんな状況ですが、殿下と踊るのは、少し楽しいと思ってしまいました。」
ステップに慣れて、余裕が出て来たアイリスは少し笑いながらそう答えた。
「少し……なのかい?」
「そうですね。これがもっと気楽な会で、私がステップを間違えて殿下の足を踏んでも大丈夫な雰囲気でしたら、もっと楽しめたんですけどね。」
「構わないよ。足を踏んでも。自由に踊っていいよ。貴女に合わせるから、気にせずに好きに踊ってくれた方が私も嬉しいな。」
「ダメですよ!痛いですよ!、殿下に怪我させるわけにはいきませんから!」
大真面目にそう言うアイリスに、レナードは思わず吹き出してしまった。自分が優しい言葉をかけると、大抵の令嬢は恥じらって喜ぶものだったが、アイリスのこの反応は新鮮だったのだ。
自分が令嬢から足を踏まれることなどどうって事ないのに、そんな事を心配して必死になってる彼女が愛おしくも思えてしまった。
「ふふっ……君はやっぱり、面白いね。」
急にそんな事を言われて、何故そんな事を言われるのか分からずアイリスは頭の中で首を傾げたが、とりあえずレナードが楽しそうなのは分かった。口元だけしか見えていないが、彼は笑っているのだ。
そんな楽しそうな彼の様子を見て、アイリスは「……まぁ……十分楽しいですよ……」と、少し俯きがちに、恥ずかしそうに言ったのだった。
その言葉に嘘はなかった。本当にレナードのリードが上手くて、慣れてくると自然に身体も大きく動き、気持ちが良かった。ダンスとはこんなに楽しいものなのかと新しい発見だった。
王太子と踊るなんてこの先二度と無いだろう。彼は雲の上の存在なのだから。
なので今夜のこのレナードとのダンスは、生涯の大切な思い出にしようとアイリスは心に決めていたのだが、そんな今夜の思い出は、大きな失敗をやらかさないで済んだ事で楽しい記憶だけで染まりそうだった。
(こんな素敵な経験を出来るなんて、夢みたいだわ。)
そう思うとレナードに釣られてアイリスも嬉しそうに口元を綻ばせたのだった。
けれども、そんな風に不穏な事など忘れて二人が純粋にダンスを楽しみ、没頭しそうになっているその時だった。
ぐらりとレナードが少し体制を崩したかと思ったら、
リィィィィィン!!
この前と同じ鈴の音が、鳴り響いたのだ。
「殿下……?!」
「あぁ、始まった……」
それは、最悪のタイミングだった。
ワルツの曲が終わるまでまだ後二分はある。
前回と同じならば鈴の音は三十秒程度なので、それを過ぎて音が止んでしまったら、きっとレナードはその場で眠ってしまう。それは阻止しないといけなかった。
かと言って、レナードが途中でダンスを止めて人目の無い所へ引っ込むなんて事は出来なかった。彼は余りにも注目され過ぎているのだ。
アイリスは必死に考えた。
そして、ある賭けに出たのだった。
(殿下にかかっている魔法を、私の魔力で増強しよう……)
音が鳴っている間、自分の魔力を流し込み続ければ、おまじないの効果を延長出来るのではないか。
確証は無かったが、今はこれに賭けるしか無かった。
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