第36話 天幕の裏で

「殿下、少し失礼します。」

そう断りを入れて、アイリスはレナードにピッタリと身を寄せた。

自分の魔力をレナードに効率的に渡すためには身体的接触が必要で、アイリスはもう少し身体を密着させると、意識を集中させた。


(お願い……鈴の音はまだ止まないで!!)

人に聞かれぬ位の小声で、アイリスは古語を何度も何度も繰り返し唱えた。


すると、アイリスの狙い通り、鈴の音は一分経っても、二分経っても、まだ鳴り響いたままであった。

そうして、曲が終わるまでの間鈴の音は鳴り続けて、アイリスはこの危険な賭けに勝ったのだった。


室内楽団の演奏が止むと、鈴の音はさっきより周囲に響き渡ったが、幸いな事にその鈴の音を気にする人は余り居なかったし、気になった人も、不思議そうに周りを見渡す程度であった。


「殿下、休憩しましょう!!」

「あぁ、そうだな……」

アイリスは鈴の音が人々の注目を集めていない事を確認すると、直ぐに周囲を見渡して、近くの天幕の側に控えているルカスを見つけた。


事前に何かあった時の為の対処方法として、ルカスやカーリクスが人気のない場所を確保するので、鈴の音が鳴ったら直ぐにそこへ避難するよう取り決めていたのだ。


なのでアイリスはレナードの手を引くと、ルカスが確保したその天幕の裏の休憩スペースへ急いで駆け込んだのだった。


天幕の裏へアイリスとレナードが滑り込むとほぼ同時に、鈴の音は止み、レナードはアイリスにもたれかかる形で呪いの眠りに落ちてしまった。


(重い!!)


流石にアイリスは自分より上背のあるレナードの全体重は急には受け止めきれなくて、意識のない彼にのしかかられたまま、彼女は床に崩れ落ちて、レナードに覆い被されるような形で倒れ込んでしまったのだった。

非力なアイリスでは、レナードを退かすことも出来ないので、彼女は身動きが全く取れなくなってしまったのだ。


自分の顔の直ぐ横に、レナードの顔がある。身体が密着して、彼の髪が当たる頬がくすぐったく、アイリスの胸の鼓動はどんどん早くなっていった。


(早く、解呪をしなければ……)


アイリスは何とか顔の向きを変えると、レナードと向き合った。


二人のお互いの顔の距離は数センチしかない。こんな至近距離で彼の顔を見つめる事になり、アイリスの胸の高鳴りは静まる事を知らなくなってしまった。自分の気持ちに気づいてしまったからには、彼を異性として意識してしまうのだ。


混乱と動揺と、言い表せぬ感情でアイリスの気持ちはいっぱいいっぱいだったが、それでも、アイリスは自分の役目を全うしようと、瞳を閉じてそっとレナードに口付けを贈ったのだった。



「……?!す、すまない!!!」

アイリスからの口付けによって意識を取り戻したレナードは、自分がアイリスに覆い被さって床に倒れ込んでいる事に気づいて、慌てて身体を起こし、彼女から離れた。


「殿下……」

「すまない!本当にすまない!!意識が無かったといえ、何と言う事を……」


慌てふためきながらも、レナードは手を差し出してアイリスを助け起こして、それから、気まずそうに何度も謝罪の言葉を繰り返すのだった。


「殿下、これは事故です。お気になさらないで下さい。それより、今解呪を行ったのでこれで暫くは眠る心配は無いと思います。この後は、他の御令嬢たちをお相手にしても問題ないかと思います。さぁ、早く会場にお戻り下さい!殿下は主役なのですから。」


「けれども君には……」

「本当に私は大丈夫ですから。少し疲れてしまったのでここで休憩してから部屋に下がらせて貰いますわ。ですから、殿下は私の事など気にせずに、早く会場にお戻りになって下さい。でないと、私が頑張って夜会に出席した意味が無くなってしまいますわ。」


「……本当にすまない。有難う……」

苦しそうな声でそう告げて、けれども次の瞬間には王太子たる堂々とした態度になって、レナードは颯爽と天幕の外へ出て行った。


自分が夜会で失敗しないように彼女は協力してくれたのだ。そんな彼女の想いを無駄にしない為にも、レナードはアイリスの事が気になるが、後ろ髪を引かれる思いで天幕を後にしたのだった。



そしてアイリスは、そんなレナードが天幕の外へ出たのを見届けると、そのまま静かに身体が崩れ落ちて、再び床に倒れてしまった。長時間レナードに魔力を渡し続けたことで魔力切れを起こしてしまったのだ。


(あぁ……ここが天幕の中で本当に良かったわ……)


ここでなら倒れても誰にも迷惑にならない。そう安堵した瞬間、アイリスの意識は途切れたのだった。

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