第34話 仮面舞踏会
暫くすると慌ただしく大量のドレスを持った服飾職人がやって来たので、アイリスはドロテアと二人で夜会当日に着るドレスをその中から選んでいた。
「そうですわね、私は、この赤いドレスが良いわ。これを明後日までにサイズ直しをして頂戴。」
「かしこまりました。」
「それで?貴女はどれが良いの?」
「あっ、はい。私は一番安いドレスで……」
「何言ってるの?!ちゃんと自分に合うドレスを選びなさい?!私の命令なのよ?!」
「けれどドロテア様。どれも素敵なドレスで、私には選べません……」
二十着はあろうドレス達は、どれもアイリスが待っているどのドレスよりも上質で、質素堅実に暮らしていた彼女にとって触れるのさえ憚られるような特注品だったのだ。このようなドレスの中から一着などとても選べなかった。
そんなアイリスの態度を呆れたように眺めると、ドロテアはチラリとレナードの方を見遣った。
そして、彼が何も言わないのを確認すると、深い溜息を吐きながら面倒くさそうに言葉を放った。
「そう……仕方ないわね。ならば私が選びます。貴女はこれにしなさい。」
そう言って、ドロテアは青いドレスを指さしたのだった。
そのドレスは目の覚めるようなすっきりとした青色で、それはまるでレナードの瞳の色を連想させた。
***
そして夜会当日。
ルカスの進言が功を奏して、今日の参加者は全員仮面の着用が求められていた。
アイリスも届いたばかりの青いドレスを身に纏い、蝶のようなモチーフの仮面をつけて支度を整えた。銀の髪は黒に染め上げているので、誰も自分がアイリス・サーフェスだとは気づかないであろう。
レナードの入場のエスコート及びファーストダンスの相手は、アイリスがどうしても嫌だと頑なに受け入れなかったので、仕方なくドロテアが引き受けることになって、今まさにダンスホールの中央で、二人は華麗に踊っているのであった。
(しかし……本当に絵になるお二人ね。こうしてみると、やはりお似合いだわ。)
アイリスは自分の出番までは隅の方で目立たぬように立って、中央で踊るレナードとドロテアを複雑な気持ちで眺ていた。
仮面をつけていても分かる程華やかな二人は、ホールに居る皆の注目を集める程素晴らしかった。
二人が踊る姿は、まるで絵画でも見ているかのように本当に美しいのに、何故だかアイリスは、ざわっとした嫌な感情を抱いてしまったのだ。
この感情はどこから来たのか。
きっとこの後レナードと中央で踊らなくてはいけない事への不安から来たのだろうと思う事にした。
自分の中の嫌な感情からは目を背けた。
それよりも、次はいよいよアイリスが踊る番がやってくるのだ。意識してそちらに集中した。
ダンスの経験など練習で兄と踊ったくらいで人前で踊るなんて事は今まで一度もなかったので、アイリスは失敗しないようにと、頭の中で必死に何回も練習を重ねていたのだった。
(足を引っ掛けない。転ばない。足を引っ掛けない。転ばない……)
何度も何度もイメージを繰り返して、心を落ち着かせようと自分に暗示を試みていたのだが、残念なことに考えれば考えるほど、アイリスは訳が分からなくなっていった。
(あれ、待って……、そもそもどっちの足から出すんだっけ……?)
そんな風に一人で混乱していると、いつのまにか曲が終わり、ダンスパートナーの組み替えが始まっていた。
いよいよ自分が踊る番が来る。
アイリスは緊張から逃げ出したい気持ちでいっぱいだったが、踏みとどまってレナードから声が掛かるのを待った。ダンスの相手を務めると彼と約束したのだから。
しかし、ここで予期せぬことが起こってしまったのだった。
「素敵なお嬢さん、良ければ私と一曲踊っていただけませんか?」
端の方になるだけ目立たぬよう立っていたのにも関わらず、アイリスは全然見ず知らずの公子にダンスを申し込まれてしまったのだ。
(待って!こういう時どうするか決めてないっ!!!)
想定外の事態にアイリスは固まってしまった。この後レナードと踊らなくてはいけないから、この公子の申し出を受ける事は出来ないが、今まで夜会に殆ど出たことのないアイリスには、ダンスの断り方など分からないのだ。
公子から差し出された手を取ることも出来ずに、アイリスがその場で狼狽えて困っていると、急にスッと横から手が伸びてきて、彼女の代わりに差し出された公子の手を払い除けたのだった。
「失礼。先約なんだ。他を当たってくれないか。」
レナードが公子の手を払い除けたのだ。
彼は落ち着いた声で公子を牽制すると、そのままアイリスに向かって手を差し出してダンスを申し込んだのだった。
「やぁ、約束だよ。私と一曲踊ってくれませんか?」
「……はい、喜んでお受けいたしますわ。」
差し出されたレナードの手を取ると、アイリスの胸には安堵が広がった。今まで不安だったり怯えだったりで胸の中はぐちゃぐちゃになっていたが、彼の姿を見ると、そんな嫌な感情は小さくなっていったのだ。
レナードはアイリスから承諾の返事を聞くと、口元を綻ばせ、そのまま彼女の手を取って、中央へと歩きだした。
「待たせてごめんね。」
「いえ、こちらこそ助けていただき有難うございます……」
レナードに手を引かれて、アイリスは注目する人々の間を歩いた。人前でレナードと手を繋いで歩くのは緊張で手と足が同時に出そうだった。
いや、もしかしたら彼が上手くフォローしてくれているだけで、実際に手と足が同時に出ていたかもしれない。
仮面を付けていると言っても、彼が王太子殿下である事は、参加者は皆分かっていたので、王子に手を引かれて歩く令嬢に、羨望や嫉妬の眼差しが降り注いでいたのだが、アイリスはそんな事を気にする余裕も無い位緊張していたのだった。
そうしてダンスホールの中央まで来ると、丁度二曲目の音楽が始まった。レナードはアイリスの手を取ったままスッとワルツの構えを取ると、周囲からは聞こえぬような小声で、そっと、アイリスに声をかけた。
「よろしく頼むね、アイリス嬢」
「はい。精一杯頑張らせていただきますわ。」
仮面を付けているから口元だけしか分からないのだけれども、それでもアイリスにはいつもと同じ優しい笑みを浮かべているレナードの顔が思い浮かんだ。
彼はいつも、そうやって微笑みかけて、アイリスの事を気遣ってくれるのだ。
そんな普段と変わらぬ様子で声をかけてくれたレナードのお陰で、アイリスの緊張は少し和らいたのだった。
そして彼にリードされて、アイリスは軽やかにワルツを踊り始めた。
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