第29話 呼び出し
記念式典から一夜明けて、アイリスはいつものようにレナードの執務室へ出仕に向かっていた。
昨日、眠る呪いが発動したので今日は恐らく彼が眠る事は無いだろう。なのでいつ自分の出番が来るか待ち構えておく必要もなく、今日の出仕はいつもより気分が楽であった。
傍目には分からないが、そんな風に気分良くアイリスが歩いていると、不意に見ず知らずの下女に声をかけられたのだった。
「あの、アイリス・サーフェス様でございますか?」
「えぇ。そうだけど?」
全く見覚えのない下女に、アイリスは怪訝そうに首を傾げた。呼び止められる心当たりなど無いのだ。
「あの、アイリス様をご案内するように申しつかっておりまして、一緒に来ていただけますでしょうか?」
「一体どなたのご命令なの?」
「……それ……は……。殿下です……」
たじろぎながらそう言う下女の様子に、明らかに嘘だろうとは思ったが、アイリスはこの誘いにあえて乗る事にした。もしかしたら、レナードに呪いをかけた犯人が接触して来て尻尾を見せるかもしれないからと思ったからだ。
***
「こ……この部屋でお待ちください……」
そう言って案内されたのは、城の一室の立派な応接間であった。下女はアイリスを案内すると、そそくさと部屋を出て行ったのでアイリスは詳細も分からずにその部屋に一人で取り残されたのだった。
豪華な内装は落ち着かなかったが、待てと言われたのでアイリスはソファに腰を下ろして、仕方なくそのまま一人で大人しく、人が来るのを待ってみた。
……しかし、三十分は待ったと思うが、待てど暮らせど一向に誰もやって来ないのであった。
(……えっ、これいつまで待てば良いのかしら……?)
アイリスは流石におかしいと思い始めて、そしてある結論に辿り着いた。
(あ、これ、きっとただの嫌がらせだ……)
以前絡まれたデリンダを筆頭に、レナードに恋心を寄せる御令嬢方から自分が良く思われていない事は分かっていた。
なので、これも嘘の呼びつけでアイリスを待ちぼうけさせてレナードの元に向かわせるのを邪魔したかっただけのだろう。
地味な嫌がらせにまんまと引っかかってしまったと、アイリスは自身の未熟さに苦々しく思った。
(誰も来ないのなら、もう行っても良いわよね?)
昨日解呪をしたから今日はアイリスが側に居なくてもレナードは大丈夫だと思うが、それでも仕事は仕事なので、アイリスはレナードの元へ向かおうと、ソファから立ち上がりドアに向かって歩き出した。
すると……
誰も来ないであろうと思われた部屋に、人が訪れたのだった。
それも、思いもよらない人物が。
目の前に現れた人物に、アイリスは目を丸くして驚き、それから慌てて頭を下げた。
「殿下が呼んでいる」と言った下女の言葉は本当だったのだ。
アイリスの目の前に、レナードの腹違いの弟であるアーネスト第二王子殿下が現れたのだった。
「君がアイリス?」
「はい。私がアイリス・サーフェスでございます。」
頭を下げたままアイリスは答えた。レナードがあまりにも親しみやすいので忘れてしまいそうだが、自分の身分は田舎の貧乏伯爵の娘であり、本来なら王族と直接会話するなど考えられない立場なのだ。
失礼にならないよう、頭を下げた礼の姿勢のままアイリスはアーネストから声がかかるのを待った。
「まぁ、とりあえず頭を上げていいよ。それに立ち話もなんだから、先ずは座ろうか。」
アーネストの言葉にアイリスは従った。彼が応接セットの上座に座るのを見届けると「失礼します」と言って、向かいの席に腰を下ろした。
「それで、レナードが最近入れ込んでいるっていう侍女は君だよね?」
「……レナード殿下直々に私の事を引き抜いてくださったので、気にかけては貰っております。」
アーネストは、ソファに座るや否やいきなり直球で不躾な質問を投げかけて来たので、アイリスは予め決めてあった模範解答で流れるように受け答えた。
王族相手の対話など、緊張してあり得ないくらい心臓の鼓動が速くなっているのだが、アイリスは動揺を悟られまいと、努めて平然に、少し微笑んで見せて、当たり障りのない回答をしたのだった。
「ふぅん?一体何がいいのやら?見目は良い方だとは思うけど、そこまで秀でてる訳じゃないしね。」
アーネストはアイリスの事を上から下までジロジロと眺めると、まるで期待外れといった感じでそう言った。
「左様でございますね。レナード殿下は私の仕事ぶりをかってくださったのでしょう。」
アイリスは立場を弁えて、レナードにもアーネストにも失礼にならぬよう、慎重に言葉を選んで返答した。
自分への遠慮のない辛評は、何を言われても平気だったので聞き流した。
「そう、それ。君の仕事は一体何なの?なぜ常にレナードと一緒に居るんだ?普通侍女は執務室の中に待機まではしない。用がある時に呼べば良いだけだからね。でも君はずっと執務室で待機してる。」
「……私の口からは申し上げられません。」
このアーネストからの指摘については、アイリスはルカスを恨んだ。
普通の侍女と同じように別室待機としてくれていたら、このように怪しまれなかったのだから。
このようにして、アーネストから投げられる際どく真実に迫る質問をアイリスはそつなく回答してかわしていった。しかし、それが彼には面白くなかったようで、アーネストは少し不機嫌そうな顔をして更にアイリスに突っかかってきたのだった。
「ふぅん……。まぁ、君が賢いって事は分かったけど、今分かったのはそれだけだね。本当、どんな秘密があるのやら。」
「……」
「君はドロテア嬢とも仲良いんだってね?ルカスにカーリクスにドロテア。本当にレナードは見事に身内で固めてるよね。君の近辺を。」
「……」
アイリスは下手な事は言えないと察して、黙ってにこやかに笑った。
これ以上アーネストに情報を与えるのは危険だと思ったのだ。
するとそんなアイリスの変化に気づいて、アーネストはつまらなそうに肩をすくめると、手で追い払うような仕草をしてアイリスを解放したのだった。
「これ以上話しても得られる物は無さそうだから、もう行っていいよ。」
「……失礼します。」
退室の許可が出た事にホッと胸を撫で下ろして、アイリスは恭しく礼をすると、急いでアーネストの前から立ち去った。
少し話しただけだけれども、アーネストが狡猾で、警戒するに値する人物なのだと理解するには十分だった。
(ただ、今の会話だけじゃ、彼がレナード殿下に呪いをかけたのかどうかは分からないわね……)
アーネストと話していると、まるで蛇に睨まれているようで物凄く精神が擦り減ったのだが、レナードに対しての悪意や憎悪を感じたかと言ったらそれも違ったのだ。
アイリスは、アーネストという人物がよく分からなくて、何となく胸がざわざわしたが、兎に角この事を報告しようと、レナードの元へと急いだのだった。
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