第27話 夜の庭にて

大聖堂での式典のような昼間の慌ただしさとは打って変わって、城の夜はしんと静まりかえっていた。

余りに静かなので、この城で今起きているのは自分しか居ないのでは無いだろうかなどと思いながら、アイリスは人目を避けて王子宮へと向かった。


昨夜かけた月の加護の魔法は大体一日で効果が切れてしまうので、アイリスは今宵もレナードに月の加護の魔法をかける為に、彼の宮の中庭へ呼ばれていたのだ。


布を被るのをやめて気配を消す魔法だけをかけて、人目につかぬ道を選んで進んだ。この時間はこの道には人が通らないと言うのを覚えてしまえば、案外あっさりと人目に触れずに王太子の宮まで来れるものだった。



「……あら?ルカス様とカーリクス様は?」

アイリスが約束の中庭に到着すると、そこにはレナードが一人で噴水の縁に腰をかけて待っていた。


「あぁ、今日は外してもらっている。君は信頼できる存在だし、彼らにも時間外まで私に付き合わせるのは悪いからね。」

「左様でしたか。」


レナードが、アイリスに自分の横に座るように促したので、アイリスはそれに従って少し緊張しながら彼の隣に腰を下ろした。


昼間、彼に対して主君への尊敬以上の想いを抱き始めてしまっていると気付いてからは顔を合わすのがなんだか気まずかったのだが、これは仕事なのだからと自分に言い聞かせて、決して自分の心の内を悟られない様にアイリスは意識して平静を装った。


しかし、二人が共に言葉を発しないでいると夜の庭はコポコポと噴水が流れる水音のみが響いて、隣に居る人物の気配を特に強く感じてしまうのだった。

それは、まるでこの夜に存在しているのは二人だけの様な錯覚さえ覚えそうになってしまった。


そう意識してしまうと急に気恥ずかしくなり、その気持ちを誤魔化そうとアイリスは慌ててレナードに声を掛けたのだった。

「それでは、今日の分の魔法をかけさせて貰います。殿下、お手をお貸しください。」


自分が何のためにここに来ているのか、その職務を全うしようと、アイリスは一度目を閉じ気持ちを集中させた。そしてレナードから差し出された手を取ると、彼女は昨日と同じように、魔力を込めて祝福の詩を読み上げたのだった。


月の加護の魔法をかけるには、身体の接触が必要不可欠だった。触れ合う部分から魔力を分け与えるのだから。レナードの事を意識してしまっているアイリスにとって、この手を握るという行為は心臓が飛び出そうな程ドキドキしたが、自分は今はサーフェス家の魔道士として、王家の人間へ加護を与えるという重要な仕事を行なっているんだと、必死に言い聞かせてその胸の高鳴りを押さえ込んだ。


月明かりの下、手を取り扱う男女の姿は、それは幻想的で美しかったのだが、この光景を目する者は誰も居なかった。

こうして今宵も、しめやかにレナードへ月の加護が付与されたのだった。




「それにしても、月の魔法というのは、色々と種類があるんだね。」

アイリスに魔法をかけて貰うと、レナードは彼女に握られていた自分の手を月にかざして、不思議そうにまじまじと眺めながら感心したように呟いた。


「そうですね、我が一族以外殆ど使えるものは居ないと聞きますので、存在自体が幻のようになってしまっていますし、我が家でも対外的にこの魔法を使う事はほとんど無くなりましたから、あまり知られていませんが、種類だけでしたら、かなりの数があると思います。」


「そうなんだ。君の一族以外に知られていないなんて、なんだか勿体無いな。」


「昔は、我が家から専属の者が王城へ勤めて今のように王族の方々に月の魔法の加護を与えていたと聞いておりますが、いつの頃からかそれも無くなってしまいましたね。」

アイリスは、以前祖母から聞いた遠い昔の話を思い出しながら、そう語った。


「それはきっと、効果が目に見えなかったから止めてしまったのだろうね。私の先祖は愚かだったのだな。こういった類のものは、何も起きないのが最大の成果なのに。」

「いいえ、決して愚かだった訳では無いと思います。国民の血税で賄っているのですから、成果が上がっているように見えない物を無駄と切り捨てるのは、当時は賢明な判断だったのでは無いでしょうか。」


そう言ってアイリスはレナードを慰めたのだが、何かに気づいて「あっでも……」と、呟いて言葉を続けた。


「まぁ、そのせいで我が領は財政的に苦しくなったみたいですけどね。」

苦笑しながら、アイリスはそう言った。


「……もしも、当時から今まで、王家がサーフェス家の加護を受け続けていたのなら、きっと私が呪いを受けるなんて事は発生しなかったのだろうな。」

「……そうかも知れないですね……」

レナードの言葉に、アイリスは少し悲しげに微笑んで同意した。もしそうだったならば、彼が呪いに苦しむ事は無かっただろうが、こうしてレナードと会う事も無かっただろうなと思うと、複雑な気持ちになったのだ。


「まぁ過去を嘆いても何にもならないしね。それに、これのおかげでアイリス嬢と知り合えたのだから、悪い事だけでも無かったよ。」


レナードが真っ直ぐに目を見てそう言ったので、アイリスは驚いて固まってしまった。

これが彼の本心からの言葉であることはその目を見て分かったが、自分と出会えて良かったなどと言う言葉が彼の口から出てくるとは思っておらず、咄嗟に何も言えなかったのだ。


「あぁ、でも、その場合でもサーフェス家の者から加護を受ける事になるんだから、どのみち私達は出会っていたかもね。」

「そ、それは……どうでしょうか?私には兄も居ますから。お城勤めなら兄がなったのではないでしょうかね……?」

アイリスは戸惑いながらもレナードに話を合わせた。彼女の胸の内などレナードは知らないのだから、変に意識しないようにと心がけたのだが、けれども、アイリスはこの後レナードがサラリと返した言葉に、またしても動揺してしまったのだった。


「そうか。それならば、やはり今のままでよかったな。」

レナードが屈託のない笑顔を向けながらそんな事を言うので、アイリスは瞬く間に身体が熱くなって、やはり何も言えなくなったのであった。

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