第15話 執務は激務

「やぁ、おはよう。今朝は遅かったね。」

「おはようございます殿下。少しトラブルがありましたので。遅れて申し訳ありません。」


 いつもより少し遅れてドロテアと共にレナードの執務室へ参内すると、既にレナードはルカスと共に執務に取り掛かっていたので、アイリスは頭を下げて遅刻を詫びた。


「トラブル?対処できたの?」

「はい。ドロテア様が助け舟を出してくださいましたので。」

「そうなんだ。ドロテア、有難うね。」

「いえ、私はルカス様に言われた通りにしただけですわ。」


 レナードからの謝意に、ドロテアはチラリとルカスの方を見て控えめにそう答えた。


 彼女のそのような様子から、アイリスはドロテアが本当にルカスの事を好きなのだと分かったが、当の本人であるルカスは、そんな彼女の好意など全く気付いていないようだった。


(気をつけて見ていればドロテア様の好意はあからさまなのに、相手がルカス様だからか全然手応えが無さそうね……)


 そんな事を考えながら、アイリスは目の前に居る三人の人物を眺めた。


 この国の王太子であるレナードに、宰相でもあるディブラン公爵の息子のルカスに、騎士団長であるオーウェイン公爵の娘ドロテア。

 この国のトップの子供たちで、幼い頃から一緒に育ったこの三人は、一体どんな関係なのだろうとふと疑問に思ったのだ。


 そして、アイリスには幼馴染というものが居ないのでよくは分からないのだが、幼少期から接触が多く仲睦まじく育った男女ならばドロテアがルカスを好きになったように、レナードも、もしかしたらドロテアを好ましく思っているのでは無いだろうかと、その可能性に気付いてしまった。


(もし、そうならば……私が、眠る殿下を口付けで目覚めさせるというのを、本音では疎ましく思っているのでは無いだろうか……)


 この国の未来を思って二人で交わした取り引きであったが、この三人を見ていたらそんな考えが浮かんでしまって、アイリスはレナードに対してなんだか少し胸が痛んだ。


 勿論これは、レナードの心の内などわからないのだから、あくまでアイリスが想像した可能性の一つに過ぎないのだが、仲睦まじい三人の様子を見ていたら、アイリスは得も言われぬ居た堪れなさを感じたのだった。




 暫くしてドロテアが退室すると、レナードとルカスは本格的に執務に取り掛かり始めて、いつもの日常が開始された。

 レナードは呪いを受けてからはそれまで頻繁に行っていた城外視察の業務を取り止めて、専ら執務室に篭って書類仕事を片付けることにしていたのだが、その仕事の量は素人のアイリスから見ても異常な量だった。


 いつ呪いで眠ってしまうか分からないから執務室の中には信頼のおける人物しか入れていないのもあるが、レナードの仕事を手伝うのは普段からルカスだけだったようで、レナードとルカスが格闘するその書類の量は明らかに二人だけで捌き切れる量では無かったのだ。

 それでも優秀な二人は、黙々と目の前の書類の山を片付けていった。


 その間アイリスは、護衛騎士カーリクスが立っているのとは反対側の壁際にただじっと立って、有事に備えて控えていた。

 レナードの側に控える事がアイリスの仕事なので、ただじっと壁際に立っていたのだが、忙しそうな二人とは対照的に何もやる事がないのだ。これが中々辛かった。


 やる事が何もなく、長時間ただじっと立っているだけなのは精神的にも滅入るものがあるが、それだけではなく、箱入り令嬢であるアイリスにとって、ずっと立ったままでいる事の肉体的なダメージも深刻だったのだ。


(自分の体力の無さを呪いたいわ……)


 気付かれぬよう小さく溜息を吐いて、それから、アイリスは疲労で重くなっている足に気合を入れ直した。

 負けず嫌いな所があるので、侍女役を約束したからには弱音を吐かずに最後までやり通したかったのだ。


 アイリスは足の痛みを我慢しながら、二人の執務の様子をじっと見守り続けた。誰も何も喋らない無言な時間は流れるのがとてもゆっくりで、もう既に一日が終わったのではないかと錯覚してみても、実際にはまだ一時間しか経っていなかったりするのだ。


(それにしても、する事がなくただ立っているだけなのがこんなに苦痛だとは思わなかったわ……)


 侍女役を始めてから四日。アイリスは正直言って飽きてきていた。今日もただ立っているだけなのかと思うと、うんざりした気分になってしまったが、そんな時にいつもと違う変化が訪れたのだった。


「アイリス嬢、休憩にしたい。お茶を淹れてくれないか?」


 執務開始から二時間ほど経った頃に、レナードがルカスにお使いを命じて退室させると、彼は伸びをしながらアイリスにそう声をかけたのだ。


 肉体的にも精神的にも、ただ立っている事に限界が近かった為、レナードからのこのお声がけは、アイリスにとってまさに天の助けであった。


「はい、かしこまりました。」


 アイリスはホッとした表情を浮かべて嬉しそうに答えると、すぐにお茶の用意に取り掛かった。何か作業をしていた方が、気が紛れるし足の疲れも忘れられるのだ。


 アイリスは伯爵令嬢らしからぬ慣れた手つきで部屋の隅に用意されていた水差しからポットに水を注ぐと魔法石を使ってお湯を沸かし、そして沸いたお湯を使って、先ずは丁寧に茶器を温める所から用意を始めた。


 お茶を飲むのが好きで、普段から自分で淹れていた経験がまさかこんな所で役に立つとは思っても見なかったが、アイリスは自分が得意なことを活かせるのが嬉しくて、どこか得意げに茶葉を蒸らしにかかった。


 ちょうど今ルカスは用事があって退室しており、部屋にいるのは、アイリスとレナードと護衛騎士のカーリクスの三人なのだが、カーリスクはきっと仕事中にお茶を飲むとかしないだろうから、アイリスはティーセットを一客用意し始めたのだが、そこでレナードが彼女に新たな注文を追加したのだった。


「そうだ、君の分も淹れてお茶の相手をしてくれないか?ずっと立ってて疲れただろうし、丁度ルカスも居ないのだから、少し座るといいよ。それに、君の話も聞きたいしね。」


 レナードからのそれは、足が限界であったアイリスにとって願っても無い命令であった。


「……お心遣い、有難うございます……」


 アイリスは、レナードのこの気遣いに、畏れ多いと思う思うものの有り難く従った。

 直ぐに自分と殿下のニ客分のお茶の用意を応接テーブルにセットして、レナードがソファに腰をかけるのを見届けてから、アイリスもレナードの向かいの席に恭しく腰を下ろしたのだった。

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