第16話 休憩と苦言
「それでどうだい?ここでの暮らしは慣れたかい?」
「はい。仕事自体はこうして殆どお側に待機しているだけなので問題ないのですが、……すみません、私の体力の問題で、一日中立って居るのが、……正直辛いですね。」
アイリスが淹れたお茶を飲みながら、レナードが気さくに話しかけると、アイリスは苦笑しながら素直に答えた。
最初に決めた取り決めで、人前以外ではかしこまらずに普通に何でも話して良いと許可を貰っていたので、アイリスはその言葉に甘えてレナード相手に妙にへりくだったり、遠慮したりすることはせずに、お茶受け話の一つとして率直に今の自分の現状を話したのだ。
そう、これはなんて事のない良くある当たり障りのない会話だと思っていた。
レナードがアイリスの現状を聞いたからといって何かがある訳ではなく「ふぅん、そうか。」で終わるか、良くて労いや励ましの言葉が返ってくるだけだろうとアイリスは思っていたのだが、しかし彼はそうでは無かった。
「そうか。それは配慮に欠けていた。直ぐに椅子を用意させよう。」
「いいえ!侍女が座っているだなんて余計な憶測を呼ぶ事になりますから!頑張ります、大丈夫ですから!!」
レナードはアイリスの話を聞いて、具体的に対策を講じようとしたのだ。
それはアイリスにとって全くの予想外で、彼女は慌てて彼の気遣いを固辞した。
ただでさえ今朝レナードを慕う令嬢から絡まれたばかりなのに、王太子が一介の侍女を特別待遇にした等と知れ渡ってしまったら、次は一体どんな事が待ち受けるのか、想像しただけでうんざりなのだ。
だからこれ以上噂の的になるくらいならば、足が棒になる方がマシだと、アイリスは判断したのだった。
そんなアイリスの思いも、朝のいざこざも知らないレナードは、彼女を思っての申し出が謝辞された事に些か訝しむ顔をしていたが、アイリスが必死なのを見ると「そうか」とだけ言ってそれ以上は何も言わずに、かわりに今度は飲んでいる紅茶について話題にしたのだった。
「それにしても、初めて嗅ぐ香りだけどこの紅茶は美味しいね。サーフェス領の特産なのかな?」
ティーカップを顔に近づけて、レナードは茶葉の香りを楽しみながらそう言った。
彼の反応は、アイリスが淹れたお茶を心より楽しんでいるようで、その様子にアイリスも自然と口元が緩んだ。自分がブレンドしたお茶を気に入ってもらえるのは、素直に嬉しかったのだ。
何よりこれは、レナードの事を思っての特別なブレンドだったのだから。
「ええ。特産ではないのですがこちらはうちの森で取れるハーブを使っています。疲労回復やリラックス効果があるんですよ。殿下はその、お仕事が大変そうでしたので少しでも癒しになればと思って……」
ここ数日、執務室にずっと控えていて分かったのだが、この王太子の元に寄越される書簡の数は尋常では無いのだ。
田舎伯爵の娘であるアイリスには中央の政など全く想像もできない世界であったが、いざそれを目の当たりにしてみると、こんなにも多くの事を日々作業しているのかと驚き、そしてその仕事量の多さにレナードの心身の健康が心配になった。
だからせめてもの癒しと、故郷の森の身体に良いハーブを彼に煎じたのだった。
「なるほど。お気遣い有難う。」
そんなアイリスの意図に気付いて、レナードは少し嬉しそうに微笑んでそう答えた。
それからもう一口紅茶を飲むと、穏やかな表情でアイリスを見つめた。
「こう言った息抜きの時間もやはり大切だね。なんだかさっきより気分がスッキリしたよ。」
「そうですよ、休息は大事ですよ!ここ数日側で見ていて思ってましたが、殿下は働きすぎなんです。この量の書類を全て目を通すなんて無謀だわ。こんなのがずっと続くのなら、いずれお身体を壊してしまいますわ!」
「そうだね。でも、一応全部自分で見ないと安心できないからね。何かあった時に責任を取るのは私なのだから、全て知っておきたいんだよ。」
苦笑しながらレナードは答えた。アイリスの言うことはもっともなのだが、だからと言ってそれを改善することは直ぐには出来そうにないので、彼は少し困ったように笑って誤魔化したのだった。
「……殿下は本当に真面目なお方なんですね。でもそれって自分で自分の首を絞めてませんか?分担出来る作業はもっとルカス様以外にも他の人に手伝ってもらうべきです。」
「そうだね。アーネストは自分がする書類作業はほんの一握りで後は部下に任せてるみたいだし、私もそう出来たらきっと楽になるとは思うけれども、でも、やはり私に来た陳情だから、自分で責任を持ちたいんだ。」
そう言って苦笑いを浮かべるレナードを見て、アイリスはなんとも言えないもどかしい思いを抱いた。
本人は断じて認めないだろうが、彼が無理をしているのが明らかなのだ。
頑なな彼にこれ以上かける言葉が見つからずアイリスが戸惑っていると、レナードはアイリスの目を申し訳なさそうに見つめて、話を続けたのだった。
「まぁ、けど、こうやって一人で仕事を抱えてしまって、結局手が行き届いていないんだ。私は貴女に謝らなくてはいけないな。」
「一体何のことです?」
「……サーフェス領からの陳情書にも目は通して居たんだけどね、分かってはいたんだけどそこまで手が回らなかった。ごめんね。」
「いえ……ご存知だったのですね……」
アイリスはこの予想外のレナードの発言に驚いた。確かに、一年半ほど前に父が領地の困窮について書簡を送っていたが、何も音沙汰が無かったので、てっきり訴状は見られていないか、読んだが無視されたかのどちらかだと思っていたからだ。
しかし実際は、訴えを把握してるけど手が足りなくて何も出来ていないという想定していなかった状況だったのだ。
そして、レナードの執務の実情を知った今となっては、それもまた仕方の無い事なのだと理解できた。
「殿下はお一人なんですし、手は二本しかございません。それでこのような陳情の山。全てを拾えなくて当然です。ご自分を責めないでください。」
「……有難う。」
思いつく言葉でアイリスはレナードを慰めようと試みたが、少し辛そうな笑顔でそう答える彼の様子からレナードの苦悩が軽減されていないことを察した。
彼は民の為に、国の為にとても良く働いているのに、自分がしてきた事よりも、自分が出来ていない事の方を気にしすぎているのだ。
そんな彼の様子を見て、アイリスはこの責任感が強い王太子の事がとても心配になり、感情的になって、つい思っている事を素直に全部口に出してしまったのだった。
「人間なんですもの。限度がありますわ。全てを拾えなくて、それを不平等という人は居るかもしれませんが、仕方がない事です。無理なものは無理なんです。人間の出来る事には限界があります。無理をして心身を壊してからでは遅いのです。王太子殿下は代わりのない唯一の存在なのですから、国の未来を想うならば、もっとご自身を労わる事の方が大切だと思います。だから……殿下は適度に手を抜くべきです!!」
と、思わずここまで一気に捲し立ててから、アイリスはやってしまったと我に返った。
王太子相手にお説教は流石に不躾すぎた。
しかし、言ってしまったことは取り消せないので、アイリスは肝を冷やしながらレナードの表情を伺うと、彼は一瞬ポカンとした後、意外にも楽しそうに笑ったのだった。
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