第14話 ドロテアの想い人

「あの、ドロテア様有難うございました。」


 騒動の場から十分に距離が離れてから、アイリスはこの窮地を救ってくれたドロテアにお礼を言った。

 もし彼女が来てくれなかったらきっと自分はまだあそこの場に居たと思うので、彼女の登場は本当に感謝しかなかった。


 けれどもドロテアは、そんなアイリスの感謝の視線を一瞥すると、打って変わってそっけない態度を見せたのだった。


「全く、あんなのに捕まるなんてなんて鈍臭いのかしら。ルカス様からのお願いでなければ貴女なんか放っておきましたわ。」


 そう話すドロテアからは、アイリスの事を助けてくれたものの友好的な雰囲気は微塵も感じられなかったのだ。


 それは顔合わせをした時から薄々感じてはいたが、レナードやルカスが居る前ではここまでハッキリとトゲのある態度を取らなかったので、アイリスは彼女の分かりやすい変化に少々面食らってしまった。


「あの……、先程の御令嬢について、ドロテア様はご存知でしょうか?」

「そうね、バートラント侯爵家のデリンダ……だったかしらね。まぁ、良くいる殿下に恋している令嬢の一人よ。」


 つれないドロテアの態度に少し萎縮しながらも、アイリスは無言で彼女と歩くのは息が詰まりそうだったので、会話を続けるために先程の令嬢について尋ねた。


 彼女の態度からアイリスは、もしかしたらドロテアは自分には何も教えてくれないかもしれないとも考えたが、そんな心配を他所にドロテアはさらりとアイリスの質問に答えてくれて、更に”あんなのはここには掃いて捨てるほど居る”とも教えてくれたのだった。 


 それからドロテアは、レナードは御歳十七という成人目前だというのに後ろ盾が弱い事もあって未だに婚約者が決まっていない事や、そのせいで未来の王太子妃を夢見る多くの御令嬢たちが空いている婚約者の座を掴もうと、あの手この手で彼の気を引こうと必死になっている事も教えてくれた。


「まぁ、貴女もレナード様がどれだけ人気があるか分かっててこの役を引き受けたんでしょう?それならばこれ位上手く立ち回れなくてどうするの。もっと賢くやりなさいよね?面倒ごとを増やさないでほしいわ。尻拭いをするのはきっとルカス様なんだし。」

「はい、善処いたしますわ……」


 ドロテアの話は全くもって正論だった。

 アイリスは社交が苦手であったが、この役を引き受けたからには、もっと上手く立ち回らなくてはならないと、彼女の話を聞いて自省した。


 城に来てから常に針の様な視線をずっと向けられている自覚はあったが、アイリスは自分さえ我慢していればやり過ごせると思っていた。

 けれど今日のような他の御令嬢と直接的にトラブルになってしまったら、確かにレナードやルカスの手を煩わせる事になるかもしれないのだ。

 その事まで考えが及んでおらず、自分の浅慮を痛感したのだった。


「それにしても、きっとこんなのは序の口ですわよ。殿下は、それは御令嬢人気が高いですからね。見慣れない女が急に殿下の側に四六時中居るだなんて、嫉妬の矛先にならない訳無いですからね。」


 執務室へ向かいながら、ドロテアはアイリスとの会話を続けてくれていた。彼女は、友好的ではないかもしれないが、こちらの質問にはきちんと答えてくれるし、必要な事もちゃんと教えてくれるのだ。


「はい……。ある程度は覚悟しておりましたが、これからはもっと気を引き締めますわ……」

「本当は私だって面白く無いんですのよ。ルカス様と四六時中ずっと一緒にいる貴女のことが。」

「はい……って、えっ?ルカス様??そこは、レナード殿下ではなくって??」


 そのドロテアの言葉に、アイリスは一瞬自分の耳を疑った。ドロテアにとっては何気なく言った本心であったか、アイリスにとっては想定外の言葉だったので、理解が追いつかなくて思わず聞き返してしまった。


 何故ならドロテアは、レナードの婚約者に一番近いところに居ると目されていたのだから。


「そうよ、ルカス様よ!仕事とは分かっているけれども、それでも、私以外の御令嬢がずっと側に居るだなんて、嫌なものは嫌なのよ!!」


 そう言ってドロテアはアイリスの事をキッと睨んだので、その様子にアイリスは

(あ、この人は本当にルカス様のことが好きで、そしてこれ、私の事絶対に良く思ってないや……)

と即座に理解したのだった。


「ドロテア様、私は次の満月が来たらここを去りますし、そもそも私がずっとお側にいるのは殿下の方でして、ルカス様とは別行動の時もありますから。だからドロテア様が心配なさるような事は何も……」

「そうよね、分かってるわよ。……分かってるけど、嫌なものは嫌なのよ。私以外の令嬢と親しげに常に側にいるってのが……」


 アイリスは今までのルカスとのやりとりを思い出して内心首を捻った。どこをどう見たら親しげに見えるのか全く持って分からなかったが、きっと恋する乙女からは違ったように見えたのだろう。


「ドロテア様、大丈夫ですよ。その……私とルカス様は、物凄く仲が悪いので。」

「嘘よ!だって貴女達いつも何かお喋りしているじゃない!!」

(それは、意見の相違が多くて常に口論をしているだけなんだけど……)


 ドロテアの誤解と思い込みは酷かったので、その事についてアイリスは丁寧に説明するのを諦めた。その代わりに話題を逸らして、別の方向からドロテアを宥める事にしたのだった。


「それにしても……ドロテア様がルカス様をお慕いしているとは知りませんでしたわ。」

「……だって、子供の頃から一緒にいるのよ。このままずっと変わらず一緒にいたいって思うじゃ無い……」


 顔を赤くして、段々と小さくなる声でドロテアは恥ずかしそうに教えてくれた。

 アイリスには、自分がまだ知らぬその感情を抱くドロテアが、とても愛らしく見えたのだった。


(恋をすると私もこうなるのかしら……?)


ふと、そんな考えが頭をよぎった。




「けれどドロテア様がルカス様をお好きならば、この間殿下に口付けをした事はお辛かったのでは無いですか?だって好きな人から、別の人に口付けする様に言われるなんて、嫌だったのでは無いですか?」


 執務室まではあと少しというところ。

 残り少ない彼女とのおしゃべりの時間の最後に、アイリスはドロテアを気遣った。

 特に好きな人など居ない自分でも、殿下への口付けはあんなに動揺したのだから、好きな人が居るドロテアはもっと辛い思いをしたのではないかと思ったのだ。


 けれども、そんなアイリスの心配を裏切るかの様に、ドロテアから返された言葉は、アイリスが全くもって思ってもみない言葉だった。


「何故?だって間接キスが出来るのですよ?嫌な訳無いわよ。」


 さも当然の様にそう言って、ドロテアはアイリスからのこの問いかけに、何故そんな事を聞くのかと本気で不思議そうに首を傾げている。


 アイリスは自分の耳を疑って、思わず聞き返した。


「は……?え……?間接キス……??」

「えぇそうよ。だって私の前にルカス様が殿下に口付けているのだから、その後で私が殿下に口付けをすれば、これはもう、ルカス様との間接キスでしょう!!」


 改めて聞いてみても、彼女が何を言っているのか全く分からなかった。

 いや、言ってる事自体は分かるのだが、その突飛な思考回路が、どうしてそうなるのかが分からなかった。


「……ドロテア様はとても前向きなお考えをお持ちなのですね」


 あまりの論理に、理解が全く追いついていなかったが、アイリスはかろうじでそう言葉をドロテアに返した。


 そして今の会話から、ドロテアとルカスの仲だけはこの先絶対に邪魔しない方がいい事だけは何となく察したのだった。

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