第9話 ルカスの暴走

「……アイリス嬢、顔を上げて?むしろ謝らなければいけないのはきっとこっちの方だ。貴女は巻き込まれただけなのだろう?」


 萎縮して頭を下げ続けるアイリスに、レナードはそう優しく声をかけた。


「……寛大な御心感謝いたします。」


 彼のその言葉にホッと胸を撫で下ろすと、アイリスは許しが出たとおりに頭を上げた。

 そしてチラリと殿下の様子を見てみると、彼は額に手を当てて、大きな溜息を吐いていたのだった。


「……それでルカス、さっき検証の結果 て言ったよな?それはつまり、彼女以外にもこのような事を強要したのか……?」


「はい。先ずは口付けならば誰でも良いのかと思い私で試してみましたが何の反応も無かったので、次に女性ではないとダメなのかと考えて、我々にとって幼馴染で信頼のおけるドロテア様にご協力をお願いしました。」


 さらりと盛り込まれた、ルカスの自分も口付けも試したと言う爆弾発言に、アイリスもレナードもその場で固まった。


「ちょっと待て……。俺の耳がおかしくなったのか、今、非常に聞きたくなかった言葉を聞いたような気がするぞ……」

「もう一度言いましょうか?」

「いい!言わないでいい!!聞かなかった事にする。俺は何も聞いていない!!」


 そう言ってレナードは耳を塞ぐような仕草をした。許容し難い事実は、聞かなかった事にしたいのだ。


「殿下……胸中お察し致しますわ……」

「アイリス嬢、そんな憐れむような目で見ないでくれ……」


 アイリスは狼狽えるレナードにかける言葉が見つからず、当たり障りのない労りの言葉をかけてみたが、それは慰めにはならなかったようだ。

 明らかに同情しているような声のトーンと彼女から可哀想なものを見るような目を向けられて、レナードは頭を両手で抱えて項垂れてしまったのだった。




「……それで、検証の結果アイリス嬢の口付けのみ……ね。」

「はい。そう言う事になります。」


 なんとか気持ちを持ち直して、レナードはルカスからの報告を確認するように反芻した。


「つきましては次の満月の晩まで、彼女を行儀見習いとして、殿下のお側に控えさせる事を提案いたします。既にサーフェス伯爵家からの了承は得られていまして、後はこちら側で事務処理をすれば良いだけです。」

「仕事が早いな……。それで、アイリス嬢も納得しているんだね?」


 レナードから話を振られて、アイリスは一瞬驚いた。まさか、殿下が自分の意思を確認してくれるなどと思ってもいなかったのだ。


 この好機に、アイリスは思い切って蔑ろにされていた事を改めて訴えてみる事にした。目上の人への陳述になるので、失礼にならないよう慎重に言葉を選んで、恐る恐る口を開いた。


「あの、その事なんですが……、もっと他にやりようはないのでしょうか……?その、殿下の侍女では、あまりにも目立ってしまうので……。もっと目立たない方法でお側仕えが出来ない物でしょうか……?」


 一ヶ月も家に帰れないことも勿論嫌ではあるがそこはもう諦めて目を瞑るにしても、何より、行儀見習いとして王太子殿下の侍女になるだなんて、噂話の格好の的になってしまい、有る事無い事囁かれて未婚の令嬢にとってダメージでしか無いのだ。


 領地への向こう十年間の継続的な寄付の約束で、行儀見習いとして王太子の側に控える事は承諾したが、それでも、出来るのであれば、なるだけ目立たない、噂が立たない方法を模索したかった。


 だからアイリスは、この切実な願いをダメ元でレナードに直接訴えかけたのだった。


「確かに、社交界に殆ど出たことの無い伯爵令嬢がいきなり殿下の侍女では、悪目立ちしますね。」


 意外にもアイリスの訴えかけに言葉を返したのはルカスだった。まるで融通が効かなかった彼が、この訴えかけでそのように考え方を変えたことが少し意外であったが、アイリスにとってこれは好都合だったので、コクコクと何度も首を縦に振りながら、更にもう一押し言葉を続けた。


「そうでしょう?考え直してくださいませ。きっと他にもっと良い方法がありますわ。」

「そうですね。では、私の侍女にしましょう。」

「……は?」


 ルカスの口から、とても頭の悪い代替案が示されて、アイリスは思わず素の声を上げてしてしまった。

 それと同時に、王太子殿下の側近を務めるほど頭の良い人ならば、きっと素晴らしい代替案が提示されるだろうと、少しでもルカスに期待した自分が馬鹿であったとアイリスは反省したのだった。


「同じですって!!ルカス様はご自分の身分をお忘れですか?!貴方だって公爵公子なのですよ?!!よからぬ噂が立つに決まっていますわ!!!」

「噂は噂なんですから気にせずに堂々としていればいいのです。事実じゃないんですから。」

「そういう問題じゃありませんっ!!!」


 この人に話が通じると少しでも思った自分が浅はかであったと、アイリスは頭を抱えたくなる思いで、この生真面目で面倒くさいルカス相手にどう説明したものだろうかと思考を巡らせて、そして困った。今までの彼の言動から、どう説明しても、きっとルカスは聞く耳を持ってくれないだろうと想像できるのだ。


 アイリスは深いため息を吐いて次の言葉を考えた。すると、それまで黙って二人のやりとりを見ていたレナードが、おもむろに口を開いたのだった。


「……ルカス、少し席を外してくれないか?アイリス嬢と二人で話してみたいんだ。」

「殿下、何故私を遠ざけるのですか?!」

「お前が居ると、話がまとまらなさそうだからだよ……」


 目の前で繰り広げられた二人の犬猿な様子のやり取りを見かねて、レナードは頭を押さえながらため息を吐くと、事態収集のためにアイリスとルカスを離すように動いたのだ。


 主君であるレナードに命令されては従わざるを得なかった。ルカスは若干不服そうな顔ではあったが、素直に退室したのだった。


 そうして、部屋の入り口には護衛騎士が立って居るものの、その場に残されて応接セットに王太子と向かい合って座っているのはアイリス一人だけになってしまった。


 気がつくと一対一で王族と対話しなくてはならない事態に陥っている事に、アイリスは何故こうなってしまったのかと首を捻って考えてた。

 けれども、どこが転機でこうなったのかは幾ら考えても分からず、ただ緊張感しながら目の前のレナードを見つめたのだった。

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