第8話 解呪の方法

 半日程馬車に揺られて、王都にやってきた時には時刻は既に夕刻に差し掛かっており、なるだけ目立たぬ様にと、アイリスはルカスの連れの御令嬢という名目で、裏口からこっそりと王城へ入城したのだった。


 地方の領地で代々受け継ぐ森を見守って暮らしてきたアイリスは、社交の場どころか領地から出た事も殆どないので、勿論王城を訪れたのも初めてで、その煌びやかで絢爛な室内装飾に、ただただ目を見張って、見るもの全てに緊張しながらルカスの後を歩いて行った。


(田舎の貧乏伯爵令嬢が来るにはなんて場違いな場所なんでしょう!!)


 アイリスは余りの次元の違いに気後れし、内心既に帰りたかったが、しかし逃げ出す事は許されず、城に到着したそのままの足で王太子殿下が眠る部屋へと連れて行かれたのだった。


 そうして連れてこられた部屋には、騎士が一人入り口で立っており、中央の床には横たわって眠る王太子殿下の姿があった。どうやらここは、王太子の執務室らしい。


 見目麗しい王太子の寝姿は、それは絵になるはずなのだが、いきなり床の上に寝転がっているその様子は、一国の王太子の姿としてはあまりにも滑稽な姿であった。


 アイリスが何かもの言いたげな目をルカスに向けると、彼はアイリスの言いたい事を察して、溜め息を吐きながら、この状況を説明した。


「……動かせないから、仕方ないのです。執務中に突然眠られて……。部屋の外でないだけ、本当に良かった……」

「……確かに、この様なお姿は誰にも見せられませんわね……」


 床の上に仰向けに横たわるその姿は、まるで死んでいるようにも見えて、アイリスは少しぞっとした。


(今はただ眠っているだけだけど、もし、この呪いでずっと眠ったままになってしまったら、殿下は死んでしまうのではないかしら……)


 そんな事が起こってはならないのだ。彼は地方領主達の救世主になるお方なのだから。

 アイリスは胸の前で指をキュッと組むと、眠るレナードを心配そうに見つめた。


 しかし、そんな感傷にふけっているアイリスの気持ちを、いつもの如くルカスは一瞬で打ち砕くのだった。


「それではアイリス様、お願いいたします。」


 まるで事務作業でも頼む様な言い方で、ルカスは平然とアイリスに床で寝ているレナードへ口付けするように促してきたのだ。


 彼のその、こちらの気持ちなど微塵も考えていないような態度が本当に腹立たしかったが、権力を前にアイリスは大人しくルカスの命に従うしか無かった。


「……分かりました。それでは、ルカス様、騎士様、その……、後ろを向いていて下さい。」


 恥ずかしそうにアイリスがそう告げると、ルカスが何やら口を開きそうになっていたが、横から部屋付きの騎士が彼の口を塞ぎ込み、抱き抱えるような形で無理やり後ろを向かせたのだった。


(この光景見覚えがあるわね……)


 恐らくこの騎士があの森に同行した騎士なのだろうと思った。


 そんな二人のやり取りを見守った後、アイリスは気を取り直すと、ゆっくりと眠っている王太子に顔を近づけて、一瞬ためらった後に目を瞑って、そっとその唇に触れたのだった。


(ええい。もう、1回も2回も同じよ!)


 半ばやけ気味に口付けをしてアイリスが素早く顔を離すと、前回と同じように王太子殿下はパチリと目を開けて覚醒したのだった。


 その様子に、アイリスもルカスも思わず目を見張った。


 これで、ルカスの仮説が証明されたのだ。


「……俺はまた眠ってしまったのか……。呪いは解けたのではなかったのか……」


 身体を起こすと、まだハッキリとしない頭を横に振って、王太子レナードは意識の覚醒と状況の把握を行った。


 この場所は見慣れた自分の執務室で、側には側近のルカスと、護衛騎士のカーリクスが居る。彼はここまではすんなりと理解できた。


 しかし、後一人、ここに居るはずのない人物の姿が、寝起きの彼を混乱させたのだった。


「なんでここにアイリス嬢が居るんだ?」


 レナードはまだハッキリとしない頭で周囲を見渡すと、傍に控えるルカスの横に、ここに居るはずの無いアイリスの存在に気づき、疑問の声を上げたのだ。


「殿下、それについてはこれからご説明いたします。が、先ずは場所を床からあちらの応接セットへ変えましょう。」


 そうルカスに促されたので、レナードは立ち上がると、入り口側の応接セットへと移動して長椅子に腰を下ろした。


 その間アイリスは自分がどうして良いのかわからずに、その場でただじっと立っていたのだが、彼女のその様子に気づいたレナードにソファーに座るように促されたので、恐れ多くもアイリスは、王太子殿下の前に腰を下ろした。


 そして、ルカスもアイリスの横に腰を下ろして、三人が応接セットに着席すると、ルカスが神妙な顔つきで、今までの事をレナードに報告し始めたのだった。


「それで、結論から申し上げますと、殿下にかけられた呪いは消えておりませんでした。ですが、一時的に呪いを解呪する方法が見つかったのです。」

「そうか……。それでアイリス嬢がここに居るのだな?解呪にはアイリス嬢の助けが必要なんだな?」


 眠りから完全に覚醒したレナードは、冷静にルカスの報告を受け止め、そして即座に状況を把握した。


 流石、聡明と名高いだけはあるなとアイリスは感心したが、そんな彼でもどのようにして解呪が行われたかまでは思いもよらないだろうなと、少し同情に近いような、なんとも言えない気持ちも抱いてしまった。


 そんな思いで二人のやり取りをアイリスは黙って見守って、ルカスが解呪の真相をレナードに伝えるのを緊張しながら横で聞いたのだった。


「まぁ、そうなりますね。アイリス様の力が必要でした。検証してみた結果、どうやら殿下は、アイリス様の口付けでのみ、目を覚ますと言うことが分かりました。」

「……はぁっ?!口付けだと?!」


 ルカスの口から飛び出した、想定外の解呪方法に、レナードは思わず素っ頓狂な声を上げた。常に冷静な彼でも、流石に動揺したのだ。


「はい。口付けでございます。緊急事態でしたので事後報告になってしまいました事をお許しください。」


 この爆弾発言に王太子殿下が、固まった表情で無言でルカスを凝視しているのを見て、アイリスは慌てて頭を下げて許しを乞うた。


「わ、私にルカス様のご命令を拒否するなんて出来ると思いますか?!自分の意思ではないんです!命令されて仕方がなかったんです!だからどうか、不敬罪はお許し下さい。」


 アイリスは座ったまま、額が膝にくっつく程に深く頭を下げた。

 レナードがこの話をどのように思ったのか、その反応が怖くて仕方がなかったが、少なくても良くは思わないだろうと、ただひたすらに頭を下げ続けたのだった。

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