第7話 王城へ
アイリスは、こちらの心情など一切考えずに強引に事を進めようとするルカスの言動に苛立ったが、何とか笑顔を保ってなるだけ冷静に言葉を続けた。
「しかしですね、そのような噂が立ってしまったら、私は良い縁談を望めません。これは我が領地にとっても大問題です。領地運営の立て直しに、私の婚姻という切り札を使えなくなるのですから。」
この男には遠回しな事を言ってもきっと分かってもらえないだろうと判断し、アイリスは明け透けにこちらの事情を述べる事にしたのだ。
つい先日、金銭面での良い縁談を断ったばかりだが、あれはあまりにも相手が悪かっただけであって、アイリスはいずれ自分は領地の為に政略結婚をすると考えていた。
だから自分に変な噂話が付くのはサーフェス領にとっても死活問題になりかねないのだという事をルカスに伝えてみたのだが、ここまで言ってもこの男の心に響くかは、全くもって未知数であった。
アイリスは固唾を飲んでルカスの返答を待った。
しかし、ルカスが口を開く前に、ムスメの言葉に堪り兼ねたサーフェス伯爵が先に声を上げてしまったのだった。
「アイリス!お前はそんなことまで考えなくていいんだよ!!お前を領地の為に政略結婚をさせるなんて事は絶対にこの父がさせないからね!!」
「お父様は黙っていてください。ややこしくなるから!」
父の気持ちは有り難かったが、今の議題はそれではない。アイリスは伯爵を黙らせると、未だ口を開かないルカスに対して、さらに具体的な要求を伝えた。
「ですから、ルカス様。私を王城へ召し上げるのであれば、我が領地への一時的な寄付ではなく、向こう十年間の継続的な支援をお約束ください。」
大きく出過ぎたかと内心思ったが、出し渋られるのは想定済みで、これが半分の五年間でも約束を取り付けられたならば、アイリスにとって御の字だったのだが、そのような打算は、全くもって無意味に終わるのだった。
「……いいでしょう。それで貴女が私と一緒に城に来てくれるのであれば、その条件を飲みましょう。」
なんと、ルカスはこの条件をアッサリと受け入れたのだ。
この破格な条件がすんなりと認められた事にアイリスは一瞬何が起きたのか理解できずに呆気に取られたが、直ぐに事態を把握しこの好機を逃すまいと、毅然とした態度で父親である伯爵に自分の決意を伝えたのだった。
「分かりました。お父様、私このお話お受けしますわ。」
王族からの命令を断れる訳もないので、それならばと持ちかけた取引で、最大限にサーフェス領の利益となるような条件を引き出せたのだ。
この取引の成功が、アイリスに城へ行く覚悟を決めさせたのだった。
「物分かりが良くて助かります。それでは、早速参りましょう。荷物などは後から届けてください。とにかく、直ぐにアイリス様には王城へ来ていただきたいのです。」
「……分かりました。従いましょう。」
こうしてアイリスは、生まれて初めて王城へと向かう事になったのだった。
「アイリス……そんな、急に……お嫁に行ってしまうなんて……」
「お父様、嫁入りではありません。心配しないで下さい。アイリスは上手くやって見せますわ。」
泣きそうな顔の父親を少しでも安心させようと、彼の手にアイリスはそっと触れて、微笑みかけた。
「一ヶ月で帰ってきますから。どうか、お父様もお元気で。」
手早く必要最低限の支度を侍女に用意させると、アイリスはごく簡単に別れの挨拶をした。これが今生の別れでも無いのに父が酷く泣きそうな顔だったので、湿っぽくならない様に彼女は反対に笑顔を見せて、「行って参ります」と朗らかに告げたのだった。
そうしてアイリスの準備が出来ると、それからは本当に早かった。ルカスは急かす様に彼女を馬車に乗せると、彼女に家族との別れを惜しむ間も与えずに、あっという間に馬車は王都へ向けて出発し、アイリスは感傷に浸る暇もなく、生まれ育った領地を後にしたのだった、
***
あれよあれよと言う間に馬車に押し込められて、アイリスは半ば連れ去られる様な形で王城へと向かっていた。
馬車の中にはアイリスとルカスの二人が座っていたが、お互い黙ったままだったので、なんとも不穏な空気が流れている。
そんな居心地の悪い空気に耐えかねて、先に口を開いたのはアイリスだった。
「しかし……一体、何なのですか?!あの時の事は私は誰にも言っていませんし、貴方達も不問にすると仰ったじゃないですか?!」
馬車の中で向かい合って座るルカスに対して、アイリスは強い口調で非難した。
アイリスは、自分は約束を破っていないのに一方的に契約内容を変えてきた事に抗議の一つでもしないと気が済まなかったのだ。
きっと抗議したところで全くルカスには響かないとは思っていたが、それでも何か一言言いたかったのだ。
すると、ルカスは意外にも本当に申し訳なさそうな顔をして、アイリスの非難をすんなりと受け入れたのだった。
「貴女には申し訳ないと思っているが、状況が変わったんですよ……」
そんな彼の予想外の態度にアイリスは思わず毒気を抜かれて、二の矢、三の矢として用意していた抗議の言葉を口に出す事はしなかった。
その代わりに、ある可能性にハッと気付いて驚いたようにその事を口にしたのだった。
「それってまさか、本当に王太子殿下が私の事を気に入って……」
「そんなわけあるか!!」
その可能性は、全部言い切る前に間髪入れずにルカスに否定された。
それから彼は大きなため息を吐いて、頭を抱えながら、静かに言葉を続けたのだった。
「……王太子殿下は、今、また眠られているんですよ……」
「えっ……?呪いは解けたのじゃ?」
「勘違いだったようです……。あの森のお陰で一時的に呪いが解けたのか、それとも……」
ルカスはアイリスの顔をじっと見ると、真剣な表情で、またしてもとんでもない事を言い出したのだった。
「アイリス様。もう一度殿下に口付けをして下さい。それで、ハッキリしますから。」
再び眠っている殿下に口付けをしろとの高位貴族からの命令に、アイリスは目眩を起こしそうになった。
彼女が望む、平穏な生活が全力疾走で遠ざかっていくのを感じざるを得なかった。
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