第2話 アイリスの災難

「サーフェス領へようこそおいでくださいました。領主の娘アイリスでございます。」


 伯爵令嬢のアイリスは、昨日父親に言いつけられた通りにサーフェス領を訪れた三人の男性を丁重に出迎えていた。

 その三人は、全員が仮面をつけて顔を隠していたのでアイリスは一瞬ギョッとしてしまったが、直ぐに平静を取り戻して、淑女の礼で来訪を歓迎したのだった。


「お忍びで来ている故、失礼だとは思うが、名乗りはご容赦願いたい。」

 三人のうちの一人が代表して口を開いた。おそらくこの男が調整役なのだろう。


 アイリスだって馬鹿ではない。これが相当極秘な訪問である事は直ぐに察した。だから余計な詮索をするつもりは毛頭ないが、しかし呼び名位は教えて貰う必要があった。でないと「あの」とか「その」とかでしか呼びかけられないから。


「分かりました。それでは、何とお呼びすればよろしいでしょうか?」

「そうですね……。こちらのお方をマスター。後ろの彼をナイト。そして私をブレインとお呼びください。」

「承知いたしました。」


 アイリスは恭しく頭を下げて客人へ返答すると、チラリと彼らのことを盗み見た。


 ブレインとナイトの間に立つマスターという金髪の男性がこの中で一番身分が高く、彼の後ろを守るように立つナイトという黒髪で上背のある男性が恐らく護衛役で、そして先ほどから喋っているブレインという茶髪の男性が、参謀役なのだろうと、三人の関係性をそう判断した。


(しかし、全く本名を連想させないように徹底しているわね……。一体、どなたが何の目的で月影の森を見たいなんて言うのかしら……)


 アイリスは彼らの訪問の意図が全く見えずに困惑していたが、彼らは見るからに目上で高貴な身分であることが想像できたので、余計なことを考えるのは止めた。深く関わっては面倒な事になると、本能的に感じ取ったのだ。


「先ずは、アイリス様。突然の訪問を快く許していただき、有難うございます。」

「いいえ、お気になさらずに。」

「こちらの森の噂をお聞きして、是非実際に森を見てみたいと我が主人が申しております。どうか、月影の森を案内して貰えますか?」


 ブレインと名乗った男が一人で話を進めるので、他の二人は未だに一言も声を発しなかった。きっと声すらも聞かせたくないのだろうと、彼らのその徹底ぶりに改めて感服しながら、アイリスはブレインからの申し入れを恭しく承った。


「はい。かしこまりました。こちらへどうぞ、ご案内いたしますわ。」


 そう言って手招きをして屋敷の裏手に三人を誘導すると、アイリスは月影の森の入り口へ一行を案内したのだった。



***



「しかし、我が森は確かに薬草などの珍しい草花が自生はしておりますが、このように常に薄暗く景観が良いとはとても言えない有り様です。一体どのような噂話をお聞きなさったんですか?」


 三人を森の中へと案内しながら、アイリスはふと思った疑問を口にした。確かに古い森で珍しい植物は多いが、取り立てて人を惹きつけるような噂話など果たしてこの森にあったかしら?と不思議だったのだ。


「……月の花……」

「えっ?」


 その声にアイリスは驚いて思わず後ろを振り返った。てっきりブレインが答えるものだと思っていたのだが、意外にもマスターがアイリスの疑問に答えたからだ。


「月の魔力を浴びて咲く月の花というものがここにはあるのだろう?それを、是非一度この目で見てみたくってね。」


 仮面で表情が見えないが、声の調子から、それが彼の嘘偽りのない本心であると分かった。


「と、言う事は月の花を目当てにこの森へやってきたのですか?」

「あぁ、そうだ。それで月の花はどこにあるんだい?案内して貰えないかな?」


 確かにこの森の中では白く輝く月の花は、芸術作品のように美しく映えるので見る価値はあるだろう。月の花目当てに道楽としてやって来たのならば来訪の理由も納得出来る。

そうは思ったが、アイリスはこのマスターからの要望に酷く困惑せざるを得なかった。


「えっと……それは……ここですね……」


 アイリスは今いる場所を指し示すと、困り顔でそう説明した。すると三人はキョロキョロと周りを見渡して月の花を探しだしたが、草が青々と茂っているばかりで、見える範囲にそれらしい花は見つからないのだ。


「ここに?一体どこだ?どこに咲いている?」


 そんな風に必死で月の花を探す三人の様子に、アイリスは居た堪れなさを感じて、言いにくそうに無慈悲な現実を伝えたのだった。


「あの……大変申し上げにくいのですが……月の花は満月の夜にしか……咲きません……」

「なっ……なんだって?!」


 アイリスの言葉を聞いて、まさかここまで来てそんな馬鹿なことがあるのかと言わんばかりに、三人はピシリと固まった。


 しかし、いくら探しても辺りには白い花どころか、一輪の花も見つからないのだ。それが事実であると認めざるを得なかった。


「ルカス、次の満月はいつだ?!」

「……残念ながら、昨夜が満月でしたので三十日後かと……」


 マスターは思わずブレインを本名で呼び掛けてしまったのだが、そんな事を気づかないくらい、彼らは狼狽えていたのだった。


(あれ、でもルカスって名前の高官って確か……)


 アイリスは自身の記憶の中からルカスという名前の高位貴族を思い出して、そして血の気が引いた。


(いやいや、まさかね……)


 記憶の中に一人だけ居たルカスという名の貴族は、この国の王太子であるレナード殿下の側近の人物と同じ名前なのだ。


(いやいやいやいや、違うよね?違うよね?)


 何やら揉めている三人を、アイリスは祈るような目で遠巻きに見守った。

 身元を徹底して隠して森を訪れているだけでも十分に深く関わってはいけない案件なのに、それの中身が実は王子様でしたとか洒落にならない。

 アイリスは自分の身の安全の為にも、これ以上の関わり合いになるのを避けたかった。


 そんな事を考えながらアイリスは少し離れた位置で三人の様子を眺めていたのだが、不意に彼らのやり取りに異変が起こったのだった。


 三人の内の一人であるマスターが、急に地面に倒れ込んでしまったのだ。


「「殿下!!」」


 ブレインとナイトが、二人同時にハッキリとそう叫ぶと、倒れ込むマスターの身体を揺すって反応を確かめ始めた。


(き……聞きたくなかったーーー!!!)


 目の前で起こったあまりの出来事に、アイリスはその場で固まって、心の中で叫んだ。


 マスターが王太子殿下で確定してしまった事と、その殿下が急に目の前でお倒れになった事。それだけでもうお腹いっぱいなので、これ以上は強制的に深刻な秘密を与えないでくださいと心の中で泣きながら祈った。


 とはいえ、目の前で倒れている人を放っておく訳にもいかず、アイリスは腹を括って地面に横たわる王太子殿下の元へと近づいて話に加わったのだった。


「あの、マスター様は大丈夫なのでしょうか?どこかお加減が悪いのであれば、我が家まで運んで医者に診せますが……」


 アイリスは心配そうな声で尋ねると、ブレインがチラリと視線を向けた。


「いえ、ただ眠られているだけですのでお気遣い無用です。」

「……そ、そうですか……」


 その返答にホッとしたアイリスだったが、その後に続く言葉に再び肝を冷やしたのだった。


「暫く眠れば目を覚ましますので、それまでこちらで寝かせておいてください。……二、三日ほど……」

「はっ?!二、三日?!二、三時間ではなくて??!」

「えぇ、二、三日です。」


 平然と答えるブレインに、アイリスは再び心の中で絶叫すると、今度は頭を抱えたのだった。


「……あ、あの……本当にこのままここで休ませておくのですか?」

「はい。この森には魔物が出ませんし、何かあれば私たちで対処致しますのでご心配なく」

「そういう訳にはいきません!やはり我が家へ運びましょう。暖かい季節になったとは言え、長時間外で寝ていたら風邪を引いてしまうわ。」


 アイリスは純粋な親切心からそう申し出た。


 本当ならばこれ以上巻き込まれないように一刻も早くこの三人から距離を置きたかったが、やはり倒れている人は見捨てられなかったのだ。

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