第3話 理不尽な命令とファーストキス

「ナイト様、マスター様を運ぶのをお願い出来ませんか?」


 森の中で突然眠ってしまったマスターをこのままにはしておけず、アイリスは背も高くこの中で一番力がありそうなナイトにマスターを屋敷まで運ぶように頼んだのだが、意外にもナイトは静かに首を横に振って、その頼みを断ったのだった。


「残念ながら、それは出来かねます。」

「えっ……どうして?!」


 まさか断られるとは思ってなかったので、アイリスは思わず聞き返した。こんな野ざらしの所に王太子殿下を寝かせたままにしておくなんて、彼らの考えがまるで分からなかった。


 すると、そんなアイリスの疑問を察してか、ブレインが低く苛立った様な声でその思いを溢したのだった。


「……そうしたくても、出来ないのですよ。」


 ため息を吐きながらブレインは説明を続けた。


「このお方は、何者から呪いを受けておられて、今のように、突然急に眠ってしまうのです。そして、呪いによって眠ってしまうと、困ったことにその場から全く動かすことが出来なくなるのですよ……」


(今私、相当ヤバい話を聞かされた気がする!!)


 アイリスは内心では激しく動揺していたが、そんな事は顔には一切出さずにあくまでも冷静を装って、ブレインの発言を受け止めようと努力した。

 あくまで冷静に。顔色を変えず、驚いた表情も見せない様にして、アイリスはそっと倒れているマスターの側にしゃがみ込むと、眠るマスターをじっと見つめた。


「にわかには信じられませんわ……その、少し失礼します。」


 そう言ってアイリスは、地面に寝ているマスターを力一杯引っ張ってみたが、彼はまるでその場に根でも生やしたかのようにびくとも動かなかったのだ。


「何これ……まるで呪いね。」

「だから呪いなんですってば!!……向きを変える位ならば出来ますが、移動させることは不可能なんです。」


 ブレインはもう一度大きなため息を吐くと、頭を抱えた。


 そんなブレインやナイトの様子から、これは本当にどうしようもない状態なのだと察して、アイリスも途方にくれたのだった。

 我が領地の森でなんてとんでも無い事が起こってしまったのだと、その不運を嘆くしかなかった。


「……もしかして、月の花を御所望だったのも、この呪いが関係しているのでしょうか?」


 アイリスの口から不意に出たその疑問は、実際のところ核心をついていた。


 彼女からの何気ない問いかけにブレインはゆっくりと頷くと、自分たちがここを訪れた本当の目的を明かしたのだった。


「えぇ、そうですよ。古い文献で調べたんです。月の魔力を一身に浴びて咲いた月の花には、どんな呪いをも打ち消す力があると。」

「……よく調べましたね。サーフェス家の人間しか知らない事かと思っていましたわ。」

「という事は、月の花の話は本物なのですね?!」

「えぇ。」


 近代になり、サーフェス家以外に扱うことの出来ない月の魔法は大半が過去の遺物として忘れ去られてしまっていて、月の花についても知る者はほとんど居なかったが、月の魔力を受け継ぐ一族のサーフェス家はこの場所で古よりずっと奇跡の花を守ってきたので、月の花がもつ特別な力は当たり前のように語り継がれている常識であったのだ。


 なのでアイリスは、ブレインが教えてくれた推測に対して、重々しく月の花の存在と効力を肯定したのだった。


「なんて事だ……後一日早く来ていれば直ぐにでも殿下の呪いが解けたと言うのに……」


(この人ちょくちょく、素で”殿下”って言うの止めてくれないかしら……)


 大袈裟に嘆くブレインが”殿下”と漏らす度にアイリスは

“この目の前で眠っている人はマスター様で、王太子殿下では無い。王太子殿下はこんな所に居ない”

と、必死に自分に言い聞かせて、現実から目を背けた。


 出来ることなら、今すぐ記憶を消して欲しい位だった。


「……それにしても、御伽噺みたいですね。」


 静かに寝息を立てているマスターを眺めながら、どうしたものかとブレインとナイト、それからアイリスの三人で頭を悩ませていたが、全く妙案は出てこなかった。

 そんな時にふと、子供の頃によく聞いた御伽噺を思い出したアイリスがポツリとそう漏らしたのだった。


「はい?御伽噺ですか??」

「えぇ。似たような状況の有名な御伽噺があるじゃないですか。あちらはお姫様だったけれども、魔女の呪いを受けて目覚めなくなったお姫様を、王子様のキスで目覚めさせるっていうお話があったでしょう?」


 アイリスの漏らした言葉に訝しげに反応したブレインだったが、彼女からのその話を聞くと、急に目の色を変えて、何やら考え始めた。


「た……確かにありますね……ただの寓話でも元になる伝承や言い伝えがある事が多い。そうなるとコレももしかして……」


 そして彼は早口で一人ぶつぶつと呟き始めると、自分の中で何か結論が出たようで、パッとアイリスの方を見てとんでも無い事を言い出したのだった。


「貴女、お願いです。試しに殿下に口付けをしてください。」

「……はっ?……えっ?!!」


 あまりの事にアイリスは自分の耳を疑った。この男は一体何を言っているんだろうと思ったが、彼の声は真剣そのもので冗談を言っているようには全く見えなかったのだ。


「何故ですか?!」

「何事も試してみる価値は有ります。それにこの場に女性は貴女しか居ないからです。お願いします。」

「いやいやいや、無理です!王太子殿下に口付けだなんて、恐れ多くて出来ません!!!」


 アイリスは激しく首を横に振って、拒否の意思を必死に伝えた。しかしこの時、動揺からか彼女は致命的なミスを犯してしまったのだった。


「待ってください。貴女は何故このお方が王太子殿下だと分かったのですか?!」


 ブレインが、彼女が思わず漏らした”王太子殿下”という言葉に気づいて、詰め寄ってきたのだ。


 アイリスは内心しまった!と悔やんだが、こうなってしまったからには仕方がない。腹を括って、思っている事を全てブレインにぶつけたのだった。


「貴方がさっきから散々”殿下”と呼んでましたから気づいてしまいましたわ!本当、気づきたくなかったですが、誰かの所為で気づかなくていいことに、気づかざるを得なかったですから!」


 そう言い放って、アイリスはニッコリと笑いながらわりと強めにブレインを睨んだ。そして彼女は思わぬところからも援護射撃を貰うのだった。


「……アイリス様の言う事は正しいです。俺もどうかとは思っていたけど、ブレインは素で何度も殿下と呼んでいたぞ……」


 今まで黙っていたナイトが、アイリスの言葉に賛同したのだ。仮面で表情は見えないが、声の調子から彼は少し呆れているようだった。


「それは……、失礼しました……」


 二人から指摘を受けて、ブレインはしおらしく頭を下げた。

 ……かと思えば、直ぐに勢いよく顔を上げて、改めてアイリスに無茶な要求を伝えたのだった。


「ですが、そこまで知ってしまったのであれば、貴女ももう、我々と一蓮托生ですね。さぁ、早く殿下に口付けを!!」

「だから、どうしてそうなるんですか?!」

「万に一つでも殿下の呪いが解ける可能性があるのならば、私はそれを試したいのです。どうか、お願いします!」


 こちらの話を聞いてくれそうにないブレインにアイリスは困り果てて、先程援護してくれたナイトの方に助けを求めるような目線を送った。

 常識がありそうな彼ならば、きっと暴走しているブレインを止めてくれるだろうと期待したのだが、しかし、その期待は簡単に裏切られてしまったのだった。


 ナイトも、ルカスと同じように頭を下げてアイリスに懇願したのだ。


「アイリス様、御令嬢にこのような事を頼むのは紳士的ではないと思いますが、俺たちを助けると思って、協力していただけませんでしょうか?勿論、ここでの事はこの場限りで忘れますから。」


 二人から頭を下げられて、アイリスはいよいよ逃げれなくなった。そもそも、相手の身分が分かってしまった今、しがない地方の伯爵令嬢に拒否などできる訳無いのだ。


「……それで本当に呪いが解けるとは思えないのですが、私が殿下に口付けを試せば、お二人は気が済みますか……?」


 アイリスは諦めた様にため息を吐くと、二人に恨みがましい目を向けて仕方がなくそう答えた。


 するとブレインは、彼女とは対照的に嬉しそうに「えぇ、勿論です!!」と、声を上げたので、それを見たアイリスはある決断をした。

 そして覚悟を決めると毅然とした態度でブレインに自身の要望を申し立てたのだった。


「分かりました。ですがそれならばこちらの条件も聞いてください。我が領地は取り立てて目立つ特産もなく、税収も年々少なくなっております。領民たちの生活を守るために、ご支援をお願いいたします。」


 強制的に巻き込まれて、知りたくも無い殿下の秘密を知らされてしまった上に、ファーストキスまで捧げないといけないのだ。見返りを求めるのは当然だろう。


 だからアイリスは昨日の父親との会話を思い出して、オーレーン男爵が婚約を条件に出資すると言っている橋と堤防の改修費を毟り取ろうと考えたのだ。

 お金さえあれば、気兼ねなく婚約の申し入れを断れるから。


「それは、領地への寄付金が欲しいと言う事ですね。」

「はい。」

「……分かりました。ご用意しましょう。こちらとしても口止め料を払わなければいけないと思っていましたしね。」

「お心遣い感謝します。」


 こうしてアイリスはブレインとの取引を成立させると、意を決して地面に横たわる王太子殿下と向き合ったのだった。


 アイリスは彼の横にしゃがみ込むと、そっとその仮面に触れてゆっくりと外した。万に一つでも実は別人でしたというのを期待したが、仮面の下のそのご尊顔は紛れもなくこの国の王太子レナードだった。


 姿絵でしか見たことがなかったが、実物の彼のその端正な顔立ちは絵の何倍も美しく、思わず見惚れる程であったが、今はそんな事を思っている場合では無いと、雑念を振り払うと、アイリスは目の前の事に集中した。


(大丈夫、キスなんてちょっと唇と唇が触れ合うだけよ……何でもないわ……)


 自分に言い聞かせるようにして、アイリスは気持ちを落ち着かせた。それから何度も深呼吸を繰り返すと、側で見守るブレインとナイトの二人に、後ろを向くようにお願いしたのだった。流石に、人が見ている前で口付けをするのは抵抗があったのだ。


 しかし、そんな乙女の恥じらいをブレインは全く理解することもなく、首を横に振ってアイリスの願いを拒否したのだった。


「それは出来ません。見届けていないと貴女が本当に殿下に口付けをしたかが分かりませ……痛っ!!」

「アイリス様、コイツ変に生真面目で本当にすみません!ブレインは私が押さえて向こうを向いていますので、どうか、よろしくお願いします!!」


 ナイトが不躾なブレインの頭を叩くと、視界を遮るように彼を押さえ込み、自身もアイリスを背に向きを変えたのだった。


「か……かしこまりました……」


 まるで寸劇のような二人のやりとりに呆気に取られて、ブレインに対して怒るのも忘れてしまったが、気を取り直してアイリスは再び横たわる殿下と向き合った。


 そして覚悟を決めると、震えそうになる手を何とか抑えながら、殿下の頬に優しく触れて、そのまま静かに自分の唇を重ねたのだった。


(こんな事で呪いが解けるはずないわ……)


 そんな事を思いながらアイリスは素早く顔を離すと、殿下の様子を見守った。


 変化などあるはずがない。


 そう思っていたのだが、しかし驚くべき事に王太子殿下はパチリと目を開けたのだった。

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