眠る呪いの王子様を目覚めさせるのは私の口付けだけなんですか?!
石月 和花
第1話 父からの話
「お呼びでしょうか、お父様。」
「あぁ、アイリス。お前に二つ話があるんだよ。」
日課である月影の森の見回りを終えて帰宅したサーフェス伯爵家の令嬢アイリスは、父の執務室へと呼び出されていた。
父親の暗い表情から、何か良くない話があるのだなと直ぐに察したが、アイリスは大人しく父親の言葉を待った。
「何でしょうか?お父様。」
「まず一つ目は、オーレーン男爵がこの前の大雨で流されてしまった我が領地の橋と堤防の修繕費を出資しても良いと言ってきているんだが……」
「まぁ、それは大変良い話ではありませんか。」
オーレーン男爵とは王都の側にある小さな街の領主なのだが、根っからの商売人気質で手広く事業を行なっている為、爵位こそ男爵であるが非常に裕福な人物である。
そんな人物が常にギリギリの領地運営で予算のないサーフェス領の橋と堤防の改修費を出してくれると言うのだから大変ありがたい話ではあったのだが、しかしこの話には続きがあった。
「ただし……条件があってな……。……オーレーン家の嫡男とアイリスを婚約させろって言っているんだ……」
非常に言いにくそうに伯爵が伝えた一つ目の話の詳細は、アイリスが思ってたよりも随分と悪い話だった。オーレーン家の嫡男セブールと言ったら、何一つ良い噂を聞かない素行が悪いことで有名なドラ息子なのだ。
そんな息子と婚約だなんて、アイリスは目眩でよろけそうになった。貴族の娘として生まれたからには、政略結婚は覚悟はしているが、それにしたって相手が酷過ぎるのだ。
「お……お父様、それは決定事項なのですか……?」
アイリスはおそるおそる父親に尋ねた。いつかは政略結婚しなくてはいけないと分かってはいるし、好きな人と結婚出来るとも思っていなかった。けれども、せめて結婚相手は人として尊敬できる人であって欲しいと、密かに願っていたのだ。
しかし、オーレーン家の嫡男セブールは何度か顔を合わせた事もあるが、使用人に対して横柄な態度をとっていたり、女性トラブルで他の公子と揉めていたりと、噂通りの問題児だったので、アイリスは素直にこの話を受け入れられず、祈るような気持ちで父親の様子を伺った。
「アイリスはこの婚約の申し込みが嫌なんだね?」
「嫌というか……まぁ、嫌ですけど……。でも、我が領地の財政がそれ程までに逼迫しているのならば、……覚悟を決めますわ……」
断れるものなら断りたい。
それが本心であったが、領主の娘として領民の生活は守らなくてはいけないということも分かっていた。
だからアイリスは、(領主の娘の勤めだから)と心の中で何度も自分に言い聞かせて、とても苦しそうにその覚悟を口に出したのだった。
本当は覚悟なんか出来ていないのに。
けれども、そんな娘の様子を見て、伯爵はアイリスがこの婚約に乗り気でない事にちゃんと気づいたのだった。
「分かった。お前に無理はさせないよ。うちの領地の事だ。他所からお金を借りずになんとかやりくり出来ないか、もっと歳入と歳出を見直してみるよ。」
そう言って、伯爵はアイリスを安心させようと笑って見せた。彼は「可愛い娘が嫌がるような事はしないよ」と、弱々しく笑ったのだ。
この婚約話は、財政難のサーフェス領にとっては喉から手が出る程有難い申し入れであったが、アイリスの事を溺愛している伯爵は、魅力的な金銭援助の話よりも娘の気持ちを優先する事を選んだのだ。
そんな父の言葉にアイリスはホッと胸を撫で下ろしたものの、父の表情から領地の財政が本当に逼迫している事を感じて、本当にそれで良いのかと心が落ち着かなかった。
アイリスは、父の為にも領民の為にも自分が我慢して嫁ぐべきなのではないかと考えが揺らいだのだ。
けれども、アイリスはその考えを言葉に出来るほど、まだ自分の決心を固める事は出来なかった。
それ程までに、あのドラ息子が嫌なのだ。
それでも領地の事と自分の気持ちとをぐるぐると考えて、アイリスは最善な事は何なのかを導き出そうとしたが、納得する答えは中々見つからなかった。
すると、暗い顔のまま何やら考え込んでしまっている娘を見た伯爵が「この話はこれで終わり」と、一つ目の話題を強制的に打ち切ったのだった。
これ以上娘に苦悩をさせたくなかった伯爵は「今の話は自分が何とかするから一旦忘れてくれ」とアイリスに優しく言って、この件で悩ませるのを止めさせたのだ。
そんな親心を感じ取って、アイリスは「承知いたしました」と、父の言葉に大人しく従った。
内心では色々思うところがあるが、ここは父親を信じて任せる事にしたのだった。
一つ目の話題が一応は片付くと、伯爵は咳払いをして場の雰囲気を一新すると、二つ目の話題をアイリスに伝えた。
それは悪い話では無かったがなんとも奇妙な話で、アイリスが全く予想していないお願い事であった。
「二つ目の話なんだが……その……とある高貴なお方がお前の森を観に来たいと仰ってな。それで、急な話なんだが、明日そのお方が我が領地へ視察にやってくるんだ。」
「まぁ、月影の森を見学ですか?奇特な方もいらっしゃるのですね。」
月影の森……代々月の魔力を受け継ぐサーフェス家が、この国の建国以来守っている由緒正しい神聖な場所で、その森の管理はサーフェス家を継ぐ子供達が担っている。
今の伯爵の子供は、長男のフランと長女のアイリスの二人なのだが、フランは王城での仕事で領地にほとんど居ないので、森の管理は専らアイリスの仕事なのだ。
「そうなんだ、奇特な方なんだよ……。あぁ、何でこの子なんだ……」
「私がなんですか?」
「い、いや、何でもない。お前は余計な事は考えなくて良いから、兎に角、明日客人を森へ案内しなさい。くれぐれも粗相の無いようにね。」
「……?はい。分かりましたわ。」
父親の様子がどこかおかしい気がしたが、小心者の父である。きっと明日来られるという賓客に自分が粗相をしないかが心配なのだろうとアイリスは察して、そんな父親を安心させるためにと、彼女は伯爵にニッコリと微笑みかけたのだった。
「大丈夫ですわお父様。私ももう十六歳の立派な淑女ですから、完璧にお役目を務めてみせますわ。」
「そ……そうか、まぁ、ほどほどにな……」
自信あふれる笑みを浮かべる娘とは対照的に、伯爵の表情は冴えなかった。何故なら彼は、アイリスが想像していることとは全く違うことを心配していたからだ。
しかし、その事は娘に言うわけにもいかないので、伯爵はただ力なく笑うと「明日はよろしく頼むよ」と、アイリスを鼓舞する言葉をかけたのだった。
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