第32話 名も無き怪物

「は…………はは、目が覚めたら…………国が崩壊してたなんて…………誰が信じるんだよ」


 ティアはその悲惨な光景を、宿の窓から眺めて苦笑した。

 その隣にはただその光景を見ているルカの姿がある。何を思って、何を感じているのか。

 分からない事だらけで、頭が可笑しくなりそうだ。─────が、現状をどうにかしない事には先にも進めぬだろう。

 傷がまだ完全には治らないけれど、それを待っていたら国が崩壊するだろう。それに骨が折れた訳でもないのだし、動けるのならそれで良いのだ。


「こんな光景にした奴を拝みに行こうじゃないか」


 ティアは先の戦いで不完全燃焼だった。だから嬉々としていた。問答無用で殺せるなら、越したことはない。何せ、実体があるのならば殺せぬ道理は無いのだから。


 装備を装着し、先陣を切って窓から飛び出した。ティアを追い掛ける前に、ルカは杭打ち機を手に取って窓から飛び降りた。

 後は下にいるティアがどうにかしてくれるだろう。







 ♢







 王城内部もそうであったが、街の中でも彼女は虐殺の限りを尽くした。

 人が死ぬ姿を見てケラケラと笑う。

 首と脚を捕まえて引き裂いたり、腹を貫いて串刺しにしたりして愉しむ。

 これ以上は語らなくても、想像は容易いだろう。

 嘔吐を催すような、惨たらしい死骸ばかりである。

 よもやこのような惨劇を起こした元凶が自分自身とは、王妃は到底思わないだろう。自我があれば、或いは認識しているのならの話だが。

 今の彼女はもはや、人では無い。頭部が半分以上無くなっても動いているのだから人では無いのだけれど、身体の主導権は怪物に握られている。

 四方八方から悲鳴が聞こえる。


 ────素晴らしいわ!


 聞き耳を立てて、口角を上げる。

 右を見れば、悲鳴が聞こえる。左を見れば、死体が見える。

 人の感覚で例えるなら、小鳥のさえずりと花畑に見える事だろう。

 事実、彼女の人格というのは、泡のように儚い夢を見ているようなものだから。

 つまるところ、現在話したりするのは怪物の幻覚による呟きでしかない。


「あら、動物達逃げないでよ?」


 王妃はそう呟き、民衆の腹部を触手で貫いて次々に串刺しにする。

 広場にいた民衆を殺し尽くし、彼女動きは停止した。


「動物達がいなくなってしまったわ」


 寂しそうに、悲しそうに王妃は呟いた。そして王妃は灰色の天を仰ぎみる。

「あぁ!」と王妃は声を上げた。


「空は!なんて、美しいのかしら!?ねぇ、使用人?あら?誰もいないわ…………勿体ない。こんなにも美しい空だと言うのに」


 第三者からしてみれば何を言っているのだという状況だが、彼女からしてみれば確かに青い空が広がっていたのだ。

 初めて見た青い空に感涙していた王妃は、二つの足音が耳に入り、更に嬉々揚々とした。


「また動物かしら?可愛いものね」

「なんだよ…………これ…………」


 広場に辿り着いた二人は、不快感を抱いた表情を浮かべた。


「うぇぷ…………」


 その酷い有様を見て少女は口を抑えて、吐き気を催していた。

 王妃は気にすること無く、嬉しそうに愛らしい声で答えた。


「動物さん!」


 広場に到着したルカとティアが見たものは、悲惨な光景であった。数日前までは人だった者は、全て肉塊へと変貌していた。

 その中央に立つ異形の生物。否、人の姿を模した怪物がこちらを見て「動物さん!」と叫ぶ。

 この状況を理解するのを、脳が拒絶する。

 ティアは頭痛を抑えるように、眉をぐりぐりと指でほぐした。


 自分の目が可笑しくなっただけだろうか。そんな事を思っていたが、どうやら目先に移るものが全てであり、事実であった。

 杭打ち機は一旦端に置いて、ティアはクレイモアを背中から抜いて構える。


 ─────まったく、面倒だな。


 もう少し休ませてくれと思う。誰の思惑かは知らんが、強敵ボスを生み出すのは大概にして欲しいものである。だからと言って、そこら辺にいる怪物が雑魚とは限らない。


「ルカ…………平気か?」

「う、うん…………」


 ティアの隣にいるルカは、大剣を構える。しかし背中は曲がり、重心が偏っていた。

 恐らく、まだ気持ち悪いのだろう。


「休んでても良いんだぞ?」

「背中を守る約束をしたのに、アルカナの時は無理だった。今度は守る」


 まったく、これだから。ティアは呆れる。

 しかし悪い気分にならないのは、信頼故か。ティアは仮面マスクの下でニヤリと笑った。


「無理するなよ」

「こっちの台詞」


 お互い笑って、怪物を睨んだ。

 お互いの意識が怪物…………王妃へ向けられる。

 問題があるとすれば、あの触手と足元だろうか。

 ティアは足元に視線を移し、靴を左右に動かす。広場の石畳は血で滑りやすくなっている。滑らないようにするしかあるまい。現状、何か良い案が思い付かない訳だし。

 次の問題は触手だろうか。ティアは足元から王妃へ視線を戻す。この悲惨な有様を見て、あの触手の力が桁違いだということが分かる。捕まれば最後。民衆同様の末路を辿ることだろう。


 ────まあ、やって見なければ分からないよな。


 何事もやるか、やらないかだ。なら、やって見なければ分かるまい。やる前に分かるのなら、それはきっと憶測に過ぎないのだろう。分かった気になっているだけだ。


 ティアはクレイモアを上下に振って、具合を確かめる。軋みやたゆみは無い。


「ルカ…………お前の身体能力は私を遥かに勝る。だから、私の隙はお前が埋めろ」


 ティアは隣にいるルカに、淡々と告げる。

 ルカは黙り込んで、少し考えた後に頷いた。


「…………分かった」


 人と怪物の境は明確だ。速度と威力だろう。勿論、何かしらの付与があるのなら別だ。アルカナの場合なら祈祷。ルカは義手だ。

 なら、正真正銘の怪物を前にした自分は何が出来るか。

 ティアは嘲笑する。


 ─────考えるまでも無い。


 ティアは肩越しに振り返る。端に置いてある杭打ち機。いつしか、翁が持って行けと持たされた物。

 あれを奴に撃ち込む。しかしどう当てるか。

 怪物に体力という概念があるかどうか分からないが、体力を消耗させる他あるまい。或いは隙を作るかのどちらかだろう。


「動物さん!逃げないでね!」


 王妃は高らかに告げ、触手を素早く伸ばした。

 ティアとルカは左右に別れて回避する。そして手始めに、伸びた触手をクレイモアで切り落してみる。

 ぐにゅという柔らかい感触と共に、触手は歪むだけで切り落とせなかった。


「チ…………ッ!」


 ティアは舌打ちをして、次に来た触手を後ろ下がりながら跳躍して回避する。

 ルカの方に視線を向ける。どうやらルカも同じように切ろうとしたが、無理だったようだ。鬱陶しそうに大剣を振って、触手を相手取る。


 ─────本体まで行くしか無いか。


 身体は見た限り人であった。身体が人の域を越えることはあるまい。

 ティアは石畳を蹴って、王妃との距離を縮める。

 次々に伸ばされる触手を受け流したり、回避したりして攻め込む。

 王妃を自分の間合いに入れた。


「あら?動物さんがこんな近くまで」

「死ね」


 ティアは低い声で告げ、クレイモアを振るった。

 クレイモアは王妃の身体を切り裂いた。


「な─────ッ!?」


 ギィィィンという音が鳴り響き、触手はクレイモアを弾いた。

 突然触手が目先に現れたティアは、驚愕の声を上げる。弾かれるなど、想像していなかった。

 そもそも触手全てで払っているので無いのか?

 様々な考察が脳を巡る。

 触手は弾いたクレイモアに絡み付いた。


「ティア!クレイモアから手を離して!」


 ルカの声によって、我に返ったティアは咄嗟にクレイモアから手を離した。

 触手はそのままクレイモアを適当に投げた。その威力は相当で、一瞬にして石造りの家の壁に突き刺さった。


 ティアは触手の動きを見ながら、後退する。武器が無い状態で、敵地にいるのは危険だ。

 王妃から距離を取ったティアの横に、ルカが直ぐにやって来た。


「大丈夫?」

「なんとかな…………」


 その短い会話だけで、相手の具合を確かめられる。良い事だ。

 しかし、まあどうしたものか。認識速度を上回った動きをされては、いつ致命的一撃クリティカルヒットが飛んで来るか分からない。

「だが…………」とティアは付け足した。


「奴…………身体が弱点だな」


 あからさまに身体を守っている。なら、弱点と見て良さそうだ。

 ティアは得た情報をルカと共有させる。

 ルカはこくりと頷いた。


「伸びてる奴は切れない」


 ルカも得た情報を共有させる。彼女の言う伸びてる奴とは、触手の事だろう。とはいえ、自分も試した事だから分かる。だからといって、聞かない道理は無い。


 ─────友人…………だからな。


 ティアはそんな事を思う。

「いかんな」ティアは首を横に振った。戦闘中なのだ。戦闘以外の事は終わった後だ。


「私が道を作る。だから…………ティアはアレを使って」


 ルカはティアの前に立ち、大剣を横に向けながら肩越しに見ていた。

 自分が作戦を考える前に、ルカが考えてくれていたようだ。

 まったく、ますます出来るようになってきたじゃないか。記憶でも戻ったのだろうか?まあ自ら物事を考えて、策略を立てられるのは良い事だ。

 ティアは彼女の成長を喜ばしく感じる。


「あぁ…………任せろ」


 なら、答えるのはこの一言に尽きるだろう。

 ティアは壁沿いまで走り、杭打ち機を手にする。右腕に帯革で回し、金具で固定させる。

 起動させ、何時でも作動出来る状態にしておく。杭が筒の中に引っ込む。


「良し、行くぞ…………ッ!」

「うん!」


 二人は同時に石畳を蹴って、駆け出した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る