第31話 新たな脅威
地下墓地に取り残されたアルカナは、傷口に手を当てて出入口である石階段を見る。
そして歩き出そうと一歩脚を前に出した瞬間、自分の胸元から指が飛び出した。
アルカナは吐血し、肩越しに振り返る。
「く、…………見逃すつもりは…………無いって事ですか…………」
男は頷いた。
まあ、分かっていたことだった。身体が引き裂かれ、首だけになろうと侵入者は排除する。それが聖王国に属する人たちに課せられた使命だ。
それを成し得なかった自分は、排除対象に変わる。
「…………私は確信しました。聖王国の陰謀は暴かれます。そして絶対に…………破綻します」
アルカナは吐血しながらも、背後にいる男に告げる。
視界が霞む。意識が遠のいていくのを感じる。
─────最後の足掻きは…………させて貰わなければ…………。
アルカナは鈍った脳を動かして、作戦を立てる。一か八かの作戦。彼女との約束を守らなければ。
男は手をアルカナの胸部─────心臓部から抜いた。
抜かれた事により血が溢れ出し、石畳を汚して行く。脚に力が入らなくなり、アルカナは倒れた。
─────「《全ての母たる
祈祷を詠唱し終わる前に、アルカナの意識は闇へと落ちた。
♢
それから数日経過した頃、アガルタ王国王城のとある一室にて。
ドンドンと扉を叩く音が、部屋に響き渡る。
「王妃様!お食事は如何なさいますか!?」
煩い。煩い。煩い煩い。
耳障りな音に、王妃は苛立ちを覚える。被っていた布団事、身体を持ち上げ、虚ろな目で周囲を見渡す。
荒れ果てた部屋。衣服はそこら辺に散らばっており、書物も開きっぱなしの物や閉じた書物があった。足場はほぼ無い。塵屋敷元い、塵部屋であった。
寝台には深紅の五芒星が描かれている。
ドンドン、と。再び扉が叩かれた。
「王妃様、お食事を部屋の前に置いておきます。しっかり、食べてください」
そう言葉を残し、使用人の足音が遠ざかった。
ずずずッ、と、何かが床を這う音が聞こえる。
待ち焦がれたものがやって来る。王妃は心が踊った。楽しみで、癖になる。
─────あぁ…………お粧しは必要かしら?
否、あの人は必要ないもの。幸福と快感を与えてくれる。ただそれだけ。私利私欲。自分は幸福と快感を求め利用する。あの人は何を求め自分を利用しているのだろう。
分からないけれど、言葉が通じない以上、聞く必要はあるまい。双方一方的に利用しているだけなのだから。
書物には違う事が書いてあったけれど、自分は満足している。………なんとかという変な名前だったようだけど、今はもうどうでもいい。
召喚してそれを体験して以来、癖になってしまったのだ。
ずずずッ。また、地面を這う音が聞こえる。先程より確実に近くで、その音が聞こえる。ねちゃくちゃと、粘着質の音が聞こえ始める。
その音を聞いた王妃は、頬を赤らめて高揚する。ゾクゾクとした感覚が、背筋を走り抜ける。自分の身体を両腕で抱き締めて、身体を震わせる。
─────あぁ…………この音…………気持ちがいいわ。
脈が早くなる。興奮しているのが伝わる。
何かが這う音が背後まで迫る。音と気配で分かる。
全身の産毛が逆立ち、得体の知れない悪寒が襲う。しかし王妃は、それを恐怖では無く高揚だと理解している。
一回目は耳に侵入するだけ。二回目は脳を弄るだけ。三回目は快感を与えてくれる。四回目は幸福と快感を与えてくれる。さて、五回目は何をしてくれるのか。何を与えてくれるのか。
王妃は楽しみで仕方なかった。
八の字に脚を曲げて座っている王妃の足先に、粘着質の何かが触れた。そして足を登っていく。
「ん…………擽ったいわ///」
王妃は嬉しそうにしながら、何かに委ねる。
粘着質の何かは太腿まで登り、更に上半身へ登って行く。腹から膨らんだ胸部へ。そして更に首を登って耳元まで登ってきた何かは、耳の中に細いものを伸ばす。
「あ、ああぁぁ…………ッ!んぎぃ…………あへ…………ん、ぃぎぃ…………!」
王妃は身体をビクビクと震わせて喘いだ。天井を仰ぎ見る。その顔はだらしなく舌を出して、瞳は上瞼の方まで移動していた。
脳が痺れ、全身に快感が襲う。
────駄目ッ!壊れちゃう…………ッ!
王妃は身体の力が抜け、寝台に倒れた。それでも尚、快感が無くなることは無い。更に強い快感が襲うのだ。
ビクビクと身体を痙攣させ、だらしない顔になる。
脳を直接弄られるような─────比喩では無く─────脳を直接弄られる。
耳元ではねちゃねちゃと粘着質の何かが、更に中へと蠢き、侵入して来る。
「んぎぃ…………!だめ、ダメダメダメ…………んほおぉぉぉ…………ぁ………」
王妃は大声を上げて、絶頂へ至る。
その声に反応したのか、或いは部屋の外まで聞こえたのか使用人が扉を叩いた。
「王妃様!?どうかなさいましたか!?先程大きな声が聞こえまして!」
使用人は王妃の有無を聞かず、扉を開けた。
そして言葉を失った。
彼が目にしたのは、寝台の上でビクビクと痙攣する王妃の姿であった。それだけなら、まだマシだったろう。
王妃の頭部が異様なまでに膨れ上がり、爆散したのだ。
血が周囲に飛び散り、使用人の頬にも付着した。
「王…………妃…………様…………?」
脳が理解するのを拒絶していた。あれが王妃など、使用人であるならば到底信じられないだろう。
頭部が爆散した王妃は、ゆるりと立ち上がって振り返った。
「あら?使用人じゃないの?どうしたのかしら?」
さもありなんと言った様子で、王妃は使用人に目を配る。鼻から上は爆散弾けたと言うのに、流暢に会話をする。
使用人は目を擦る。もしかしたら、自分がおかしくなったのかと思ったからである。
そんな儚い希望は叶わないようだ。
目を擦って見ても、頬をつねっても変わらない。悲惨な光景と惨たらしい王妃の姿であった。
「あ、いえ…………あ、あの…………大丈夫なのですか?」
「え?なんの事かしら?」
王妃はなんの事か、さっぱり分からないと言った様子であった。
弾けた頭部から髪の毛のような黒い触手が、うねうねと花の如く広がる。
その姿を認めた使用人は、腰を抜かして床に尻餅を着いた。
「う、うわぁぁぁ…………ば、化け物……ッ!」
「不敬ですわ!王妃に向けて、化け物などと宣うのは!」
王妃は愛らしく、頬を膨らませる。
「あぁ…………でも」と、王妃は唇に細い指を宛てがう。
「今は気分が良いわ。外へでも行こうかしら?でも、貴方…………邪魔よ?」
「え─────」
次の瞬間、使用人の頭が弾け飛んだ。王妃の頭部から伸びた触手が、ゆらゆらと王妃へ戻ってくる。触手の先端は粘着質でねちゃくちゃした血液が付着していた。
王妃は気に求めず、寝台から下りてスタスタと歩いて行く。
目指す場所は外だ。
王城内部は後の祭りであった。
一言で片付けるならば鏖殺である。見掛けたら殺し、声を掛けられたら殺す。
だからまあ、鏖殺なのだろう。
久方ぶりに部屋から出てきた王妃を見れば、誰もが話し掛けるだろう。或いは悲鳴を聞いて、赴くのかもしれない。
繰り返し言うが、鏖殺である。
高貴な部屋、高貴な物品には全て血肉が散らばっていた。
王を無くした国は、崩壊するだけ。いずれ来る終焉が近かっただけの事。
その悲惨な光景を眺めた王妃は口角を上げて笑った。
「美しい」
あの怪物に目があるのか分からないが、視覚はあるのだろう。その視覚は王妃のものか、頭部にいる粘着質の有機物によるものなのか分からぬが。
その怪物を厳密に語るならば、乾留液で生成された原生生物。塑性と展延性を持つ、粘液状の生物。しかし、その生物はまだ未完成である。百が完全体とするならば、まだ一に過ぎない。王妃の召喚が不完全故か。だからその生物には、まだ名は無い。未完成に名など不要であろう。
王城内部の人間を鏖殺した王妃は、外へ出て行った。
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