第26話 アルカナの過去

 枢機卿に言われた通り、侵入者である情報屋を磔にして、見せしめとして遺体を晒した。

 その結果、全て上手いこと回った。

 アガルタ王国の民衆の信仰心は、前より格段に上がったように感じる。

 その信仰心に、恐怖を抱く程だ。

 今も尚、広場から歓声や喝采が聞こえる。


 アルカナは逃げるように、聖樹教会を後にした。目先にある小屋を目指して、一直線に進む。早々と辿り着いたアルカナは、その扉の鍵を解錠して、把手はしゅを捻って自在扉を開けた。ギィと軋みながら、自在扉が開かれ中に入った。


 小屋の中は余りにも質素な作りで、必要最低限の物しか置かれていなかった。

 木の机と椅子、白い一色の布団類が乗った木の寝台である。本棚と洋服箪笥クローゼットが部屋の各所へ設置されただけの、女性らしさを微塵も感じさせない気品の無い部屋であった。


 それでも彼女にとっては、特別で有意義な空間であった。誰にも邪魔されること無く、静かな空間を維持できる。

 唯一聖樹教会の事から、解放される瞬間。愛おしささえ、感じる。


「少し…………休眠しましょう…………」


 聖職者の装いで、寝台に飛び込んだ。

 ボフッと柔らかい感触が、アルカナを包み込む。もぞもぞと寝台の上で動いて、布団を被った。

 暖かさと柔らかい感触が眠りへと誘う。元々眠りに抗うつもりは無いため、アルカナは身を委ねて意識を落とした。








 ♢








 教会には元々、二つの派閥があった。

 一つは今最も権力を持つ、聖樹教会。

 そしてもう一つは、自由リベル教派。

 聖樹教会は世界樹ユグドラシルを神として、信仰する宗教集団である。しかし、裏はもっと禍々しいもの。

 少なくとも、アルカナはそう解釈している。


 万物は「契約」によって縛られる。それは神も同じである。

 しかし、宿り木だけはその「契約」から逃れた。いや────外れたと言った方が適切だろう。

 それを受けて宿り木を自由の象徴と捉えた。そして宿り木を神聖なる木に見立てて、自由教派が作られた。更にアルカナが育った場所でもあった。

 教祖を初めとした多くの人の慈愛に包まれ、アルカナは育てられた。


 何よりも自由に重きを置いて、何をするにも咎められる事は無かった。勉学に励むのも良し、遊びに励むのも良しとされた。

 だから、自分の意志で勉学を選んだアルカナは何事も一生懸命励んだ。

 まさに、箱入り娘であった。

 教祖に褒められ、聖女に賞賛された。

 しかし、幸福というのはとても短いものだ。

 それをアルカナが知ったのは、聖樹教会に迫害された時であった。





 ♢





「火を投げろ!」

「異端者は殺せ!」

「聖王国には相応しくない!聖樹教会こそ、相応しいのだ!」


 外から聖堂に向けて、多くの聖樹信者が蒸留酒の瓶に火を付けて投擲する。

 聖堂の外装に当たり、瓶が割れて中の酒に火が点火して勢い良く燃え出す。

 偶然か、宿命か聖堂は木造建築であった。そのため火は良く燃え移り、一瞬にして聖堂を火で包み込んだ。

 熱で硝子が割れる。


「きゃあああ!!」

「うわぁぁぁ!!」


 硝子の破片が散乱し、窓付近にいた聖職者や子供に突き刺さる。

 それは例外無く、襲い掛かる。

 アルカナのいる部屋の窓も割れ散乱する。しかし、偶然書物を本棚から漁っている最中で、窓付近にいなかったから無事だった。


「アルカナ、無事ですか!?」


 教祖が険しい顔をしながら、部屋の扉を勢いよく開けた。


「は、はい…………」


 何が起きているのか全く分からないアルカナは、戸惑いに満ちた表情を教祖に向ける。

 それを見た教祖は胸を撫で下ろす。


「急いで仮面マスクをして下さい!逃げますよ!」

「は、はい!」


 アルカナは教祖に言われた通りに、仮面を付けて部屋を後にする。

 教祖の後を追いながら、周囲に視線を向ける。何処かしこも焼かれており、酷い有り様であった。

 何故こんなことになったのか。アルカナは分からなかった。

 廊下には飛び散った硝子の破片が散らばっており、走る度にパリパリと割れる。


 そして教祖の後ろを追って辿り着いた場所は、聖堂の中央に位置する祭壇であった。その祭壇の前には、子供達や聖女たちが身を集めていた。


「教祖様!」


 一人の聖女が教祖を呼ぶ。


「アルカナは無事でした。子供達も全員無事ですね!?」

「はい!」


「良かった」教祖は胸を撫で下ろす。「では、裏門から逃げます」

 教祖の指示に従い、全員が裏門を目指して走った。

 木が燃えて、落ちてくる。それを上手く避けながら、裏門を目指す。


「うわっ!!」


 一人の男の子が盛大に転んだ。

 アルカナが立ち止まり、振り返って手を伸ばそうとする。


「大丈─────」

「アルカナ離れて下さい!」


 教祖に肩を持たれ、後方に下がらされた。

 その直後に、燃えた木屑が少年の落ちた。

 近くに居るだけで、肌をヒリヒリと焼いて行く。それと落下の引力による落下では、助かることは不可能だろう。仮に押し潰されていなくても、火によって焼かれる。

 アルカナは目の前で明確な死を目撃してしまった。


「ぁ…………ぁぁ…………」


 アルカナは言葉を失う。


「アルカナ!」


 教祖はアルカナの手を引いて、無理矢理身体を動かしてその場から去る。

 そして既に、裏門から逃げ出している聖女達と合流する。仮面で表情は見えないが、皆暗い雰囲気を出していた。


「…………早く逃げましょう。彼の意志を潰す訳には行きません」


 教祖は生き残った人達に伝えて、聖王国を後にする。

 灰の積もった大地を踏み締めて、歩いて行く。

 目指す場所はニール王国だ。聖王国から一番近い国だ。だから、目指すのであれば妥当と言えよう。






 ♢




 道中怪物に襲われた時があったが、逃げる事に成功した。

 聖王国から逃げ出した時は二十名程だったが、ニール王国に辿り着く頃には十名程まで減っていた。


 ニール王国の門付近にいる兵士が、此方に気が付き複数人の兵士が向かって来る。


「お前達何処からやって来た?」

「聖王国です」


 教祖は素直に、兵士達の質問に答えた。

「そうか」兵士は仲間と頷き合った。「ならば抵抗するな。異端者」


「しまった」


 教祖が気が付いた頃には、何もかも遅かった。

 矛先をこちらに向けて、何時でも殺せると此方に伝える。


「おやおや、偶然ですね?」


 兵士達の間をすり抜けるように出てきたのは、であった。

 枢機卿は教祖を嘲笑して、教祖を見る。


「ニール王国は既に我々の傘下です」

「くっ…………私達をどうするつもりですか!?神父殿」


 枢機卿を首を横に振った。やれやれと呆れている様子であった。


「神父?教皇様が昇進してくださりましてね?今や、私は枢機卿です」

「…………そうですか」

「あー、貴方々をどうするかでしたね?勿論拷問します」


 枢機卿は兵士を動かして、アルカナ達を縄で拘束させる。

 アルカナは藻掻くが、所詮は子供の力。どうする事も出来なかった。難なく縄で拘束されてしまったアルカナは、教祖に視線を向ける。

 教祖には縄が縛られておらず、そのすぐ後ろに兵士が待機している状態であった。

 そして教祖がアルカナに視線を向ける。


「アルカナ、皆さん!私は必ず貴方達を救いに行きます!だから、生き延びてください!」


 教祖は突如大声を上げた。そして後ろにいる兵士の顔面を肘で殴って、アルカナとすれ違う瞬間に、とある紙を服の間に入れられた。


「逃げるのですか!?」


 流石に逃げるとは思っていなかったのか、枢機卿は戸惑い、反応が遅れる。

 それは兵士も同様だった。

 枢機卿が動き出そうとした頃には、教祖の姿が見えなくなっていた。

 何とも早い、逃走術であろうか。

 枢機卿は気を取り直し、残されたアルカナ達を見た。


「教祖に見捨てられた哀れな異端者達を拷問室へ」

「はい!」


 兵士達は、枢機卿の命令に従ってアルカナ達を連れて行く。

 アルカナも後ろから兵士に押され、無理矢理動かされながら拷問室を目指した。

 教祖に裏切られたとは、思っていない。彼が助けると言ったのだから、助けに来るのだろう。他の人達は知らないが、少なくともアルカナは教祖を信じた。


 拷問室に連れて行かれたアルカナたちは、椅子に括り付けられた。

 両手を後ろで縛られ、両足も椅子の脚に固定された。

 周囲に視線を向ける。

 石畳で、石造りの壁、そこかしこに存在する拷問器具の数々。どう見ても、拷問室以外有り得ないつくりとなっていた。


「嫌だ死にたくない!」

「せめて子供達だけでも助けてください!」

「うわぁぁぁん!!」


 そこに捕らえられた自由教派は、三者三様であった。ある者は生を懇願し、ある者は子供の救済を、またある者は泣き叫ぶ。

 それらと比べると、アルカナの佇まいは冷静であった。こんな状況、普通の子供なら泣き叫ぶだろう。しかしそんな事は無い。

 何故こんなにも冷静なのか、自分にも分からない。


「何をするのですか?」


 アルカナは目先にいる枢機卿に堂々と質問をする。

 その落ち着きように、枢機卿は興味深い眼差しを向ける。


「貴女··········お名前は?」

「アルカナです」

「そうですか。あぁ··········失礼、質問の回答がまだだったね?洗脳するのだよ。聖樹信仰をするように」


 薄気味悪い笑みに背筋に悪寒が走る。

 仮面を外しているから余計にそう感じる。


「特に君は、とても利用出来そうなのでね。丁寧に行うとしよう」


 枢機卿は拳を握り締めて、アルカナの頬を殴った。

 疼痛がアルカナを襲う。口の中が切れたのか、鉄の味が口内に広まる。


「これが暴力による恐怖」


 枢機卿はそう言い、無抵抗のアルカナの顔を数回殴る。

 口端から血が流れ、鼻血も垂れる。

 涙袋から涙が分泌され、涙が目から溢れた。この涙は反射的なもの。


 ─────痛い、痛い··········怖い。


 アルカナは痛みにより、恐怖心を抱く。

 教祖は必ず助けに来ると言ったが、いつになるか分からない。その不安がより一層、アルカナの精神に負荷を掛ける。

 枢機卿はニヤリと嘲笑する。


「それが恐怖。我々聖樹教会には、暴力がある。つまり、何も無い貴方々ではどうする事も出来ない」


 しかし、と、言葉を区切った。


「聖樹教会に加入すれば、安寧が待っている。全て··········思うがままにできる。知識が欲しければ知識を、力が欲しければ力を与えられる。さぁ、どうです?魅力的でしょう?」


 枢機卿の卓越した話術を聞き、アルカナは血を含んだ生唾を飲み込んだ。

 洗脳するには、十分な内容であった。

 アルカナは他の仲間はどうなっているだろうかと、視線を移す。


 数名はここに来る前に発狂しており、精神的崩壊を塗り替える話術によって既に洗脳されていた。


「聖樹教会万歳!」

「聖樹教会万歳」


 聖樹教会を褒め讃え、祀り上げる。

 残りの数名も恐怖により、思考停止になって時期に洗脳されてしまうだろう。

 かの言う自分も、洗脳されつつある。知識が得られ、力を得られるという魅力的な話は今の自分を呑み込むには十分過ぎる。


「おやおや、抵抗してなくても良いのです。貴女のお仲間さんは、心良く加入してくださいました」


 枢機卿はアルカナの肩に手を置き、耳元に口を近付ける。


 やめろ。


「さぁ、共に世界樹ユグドラシルを信仰しましょう」


 やめて。


「貴女が欲しい物が手に入りますよ」


 やめてください。


「富、名声、力、権力、知識··········ありとあらゆる物がに、思うがままに手にする事が出来る」


 やめてぇぇぇぇぇ!!









 ♢







「やめてください!」


 バッとアルカナは、上半身を持ち上げた。

 肩を激しく上下させ、荒く呼吸して大量に汗を流す。


「はぁ……·····はぁ……·····ゆ、夢··········ですか?」


 周囲を見渡すと、そこは質素の作りをした小部屋であった。良く知っている場所。扉の近くに片刃剣が置かれていた。

 アルカナは直ぐに夢だと気が付き、胸を撫で下ろす。


「あれは··········過去の私··········」


 アルカナは顔を手で覆い隠した。

 目を伏せるだけで、簡単に脳裏に思い浮かぶ。哀れで、滑稽な自分。教祖の助けを正直に待っている弱い自分。


「あぁ··········」


 アルカナは血の気が引き、冷たくなっている顔面から手を離して寝台から下りる。

 床に足を付けて、立ち上がる。そして数歩歩いて、机へ向かう。

 机の引き出しを開けて、中に入っている一枚の紙を手に取る。

 随分としわくちゃになっている紙。教祖から渡された紙。


 アルカナは折り畳んでいる紙を拡げて、中の内容に目を通す。


「遠い山間部、サリウス王国近くの山間部に隠された小屋があります。いずれ、行ってみてください··········ですか」


 アルカナは紙に書いてある事を読み上げた。

 サリウス王国は、アガルタ王国とはそんなに離れていない。


「行ける時があまり、ありませんが··········気が向いたら行ってみましょう」


 アルカナは再び、紙を直角四つ折りにして引き出しにしまった。

 修繕された黒死病仮面ペストマスクを装着し、扉の側に置いてある片刃剣を握り締めた。扉の把手を捻って開け、小屋を後にした。









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