第25話 悪い噂

「此処が…………図書館?」


 ルカは初めて見る本の山に圧巻されながら、図書館の中を歩く。

 その先頭を行くティアは、無造作な足取りで奥へと進んで行く。

 なにやら、調べ物があるとかないとか。ルカには、よく分からない。

 字は読めないし、書けない。だから、棚に並ぶ本の背に書いてある字も読めない。何が書いてあるのかさっぱりだ。

 けれど、ティアとの会話を通してつらつらと言葉がでるようになった。これはきっと、いい事だ。


 ティアは読めるようで、本を取り出してパラパラと頁をめくっては本棚に返してを繰り返しながら奥へと進む。

 何の本を探しているのか手伝いたくも、文字が読めないのではどうすることも出来ない。

 ルカは図書館の雰囲気を楽しむことにした。


 ルカの手元には、燭台の上で燃える蝋燭があった。暖かい色合いだ。

 他に視線を向ければ、同じように仄暗い図書館を照らすように、転々と微かな光源が見える。

 自分たちも同じように、調べ物をしているのだろうか。それとも物語を読んでいるのだろうか。

 ルカは興味を失ったように、他に視線を移す。


 木で出来た床や棚は随分と古い。そもそも、図書館自体古い建物だった。何年も手入れされていないのか、埃が溜まっていたり虫の巣があったりと無法地帯であった。


「ルカ」


 先を歩いていたティアがルカを呼ぶ。

 その呼び声に反応したルカは、小走りでティアの元へ向かった。


「なに?」


 ルカはティアの顔を見上げて問う。

 ティアは顔を見上げて、自分より高い場所にある本を眺めていた。


「持ち上げるからあの、赤い本を取ってくれ」


 ティアは指を差して、本を示す。

「分かった」とルカは承諾し、大剣を本棚に立て掛けた。

 ティアはルカの背後に回り込み、ルカを持ち上げた。

 グッと持ち上げられたルカは、燭台に灯った火で照らしながらティアに言われた本を探す。


「ま、まだか!?お、重い…………」


 ティアの腕がぷるぷると震える。

 重いとはなんだ、重いとは。

 ルカは不満を持ちつつ、本棚から赤い本を取り出した。


「いいよ…………降ろして」


 若干拗ねた声で、ティアに呼び掛けた。

 すると突如、視線が下がった。少し浮遊感の後、足が床に着き軋む音が鳴る。


「ん」

「ありがとうな…………って、どうした?」


 ルカはそっぽを向きながら、赤い本を渡した。

 それにティアは感謝を述べて受け取った後、首を傾げてルカの顔を見た。

 どうやら心当たりが無いようで、ティアは書見台に向かって行った。

 ルカは溜息を一つ吐いて、ティアの後を追った。仕方ない。こういう人なのだ。


 ティアは書見台に赤い本を置き、頁をめくる。

 ルカはティアの横から覗き込むように本を眺めた。


「何を言ってるのやらだな」


 ティアは一人で愚痴った。難しい顔をして、頁をめくる。

 そして読み終わって、パタンと本を閉じた。

 そしてティアが本を傾けた途端、どこかの頁の隙間から一つの紙が落ちた。


「ん?」


 ルカはティアの足元に落ちた紙を拾った。何回か折られた紙を見て、ルカは首を傾けた。


「どうしたって、なんだそれ?」


 ティアはルカが持つ紙に視線を移した。

 ルカはその紙をティアに渡す。

 渡されたティアは、何回か折られた紙を解いて書見台に置いた。


「なんて、書いてあるの?」

「あー」


 ティアの言葉を拾うとこうだ。

 私は逃げた。あの恐怖から逃げ出した。皆が化け物になっていく。虫は巨大になり、動物は醜い怪物になり、植物は人を喰い始めた。怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。あれは何だ!?見えない。見てはならない。あの、虹色に輝く生物は··········なんだ!?誰か、助けてくれ。この世界が終わってしまう。


「だってさ。手記のようなものだな」


 ティアはくだらなさそうに呟いた。紙を再び折って、本に挟んだ。

 その文から、紙に書いた人は相当の恐怖を抱いていた事が分かる。こちらまで、その恐怖が伝わって来る。


「世界が終わる··········ねぇ?もう終わってるじゃないか?」


 現状を見れば明白だ。と、ティアは付け足した。


「…………そういえば、なんで図書館に来たの?」

「あ?あぁ、聖樹教会の事について、なんか知れたらと思って来たんだが…………それらしい本は見当たらなかった」


 ティアは本の表紙を手で撫でながら、ルカの問いに答えた。

 訳も分からず着いてきたが、やっと求めているものが分かった。分かったからといっても、文字が読めないから手伝えないのは変わらない。


 そんな些細なことを考えていると、図書館が騒がしくなり始めた。

 出入口の自在扉から、自分達と同じように仮面マスクをした数人が入って来て図書館内にいる人と何やから話していた。


「なんだ?」


 ティアはその様子を見て、首を傾げた。

 話し掛けていた一人が此方の存在に気が付き、駆け寄ってきた。


「お前さんらも聞いたか?」

「何をだ?」

「大司教様が、を処刑したんだとよ。なにやら、がいたらしく。それで、その異端者の遺体を広場に晒しているらしい。見に行こうぜ?」


 ティアの手がピクリと動いた。

 目先にいる彼は分からないだろうが、ルカは気が付いた。

 その反応に気が付いても、彼女の反応だけでは分からない。もしかしたら、知っている人なのかもしれない。


「分かった。案内してくれ」


 ティアは冷めた声で、淡々と彼に告げた。

 その声に怖気付いたのか、男はぶるりと身体を震わせる。しかし男は首を傾げて、疑問符を浮かべた。

 何故身震いしたのか、検討もつかないのだろう。


「どうした?案内してくれ」


 男を他所に、ティアは覚めた声で催促する。

「あ、あぁ…………」男は首に手を当てて、首を傾げた。「こっちだ」

 男はルカとティアを案内するため、図書館を後にした。







 ♢






 街の角という角を曲がった先に、大きな広場が広がっていた。

 その広場には、これまで見た事のない人集りが生まれていた。その人集りは、中央を囲むように生じていた。密になっており、中央にあるものが見えない。


「聖樹教会万歳!」

「聖樹教会に敵対する愚者を駆除出来るほど、力があるんだ!」

「流石大司教様だ!」


 多くの人が、聖樹教会を賞賛する。その声に惹かれて、多くの人が集まり、そしてまた賞賛していた。


「開けてくれ」


 ティアはそう言いながら、人の間を抜けて行く。

 ルカもティアから離れないように、長外套コートを掴んで人と人の間を通り抜ける。肩や腕が人にぶつかる。大剣を背負っているから余計にぶつかる。

 身体を横に傾けながら、経験もした事の無い人の集まりの中を進んで行く。

 ドンと急に止まったティアに、ルカは鳥のくちばしのような仮面マスクの先端をぶつけた。その衝撃で仮面が押され、嘴の付け根が鼻骨に当たった。


「ぃっつ…………ティア…………何か、見えた?」


 ルカは鼻骨の疼痛を我慢しながら、ティアの後頭部を眺めながら問う。

 しかしティアは、何も言葉を発しなかった。


「?」


 ルカは疑問符を浮かべながら、ティアとその隣にいる人の間から顔だけを出した。

 どうやら、人集りの最先端まで来ていたようだ。あの人集りが嘘のように、目の前は開けていた。


 処刑台の前にある十字の木に、磔にされた赤い長外套コート、伊達眼鏡が銘柄の男がいた。男の足先から、赤い血が流れ落ちて石畳を染める。

 全く知らない赤の他人が、磔にされている。自分からして見ればそれで終い。直ぐに興味を無くすだろう。

 でも、ティアは違うようだった。腕は震え、呼吸が浅くなっているのかはぁ、はぁ、と息切れを起こしていた。

 ハッキリとそれが聞こえ、認識したルカはティアの腕を引っ張って再び人混みの中に忍び込んだ。


「ティア…………大丈夫?」


 結局最後尾まで戻ってきたティアは、家の壁に寄り掛かった。肩を上下に揺らして、浅い呼吸をしていた。


「…………知ってる人?」

「ぁ…………あぁ…………」

「そっか…………」


 ティアは言葉を絞り出すように、か細い声で頷いた。

 それなら、辛いのだろう。分からない感情だが。別に酷く心が痛む訳でも無いし、何も思わない。感情が薄いから?ルカには分からない。


「…………彼奴は…………情報屋だった」


 ボソリとティアが呟いた。今にも消えてしまいそうな声。

 ルカは黙って、彼女の言葉を聞く事にした。

 自然と周りの喧騒も耳に入らなくなり、ティアの声を鮮明に捉える。


「…………放浪騎士とやり合ったこと覚えているか?その時に、私達を助けてくれた奴なんだ」


 ─────そう…………だったんだ。


 初めて知った。目覚めた時、隣にはティアが居たから、てっきり彼女が助けてくれたのかと思っていた。でも、そうではなかった。

 助けてくれたのは、磔にされた男。


「そして…………私が…………聖樹教会を調べて来て欲しいと依頼を出した」


 ティアは今にも泣きそうな、震えた声だった。そして腕を横に振って、家の壁を殴った。


「私のせいで、彼を死なせてしまった!」


 ティアは再び壁を殴って、悲憤慷慨ひふんこうがいした。

 ルカはそっとティアに触れる。


「…………ティアのせいじゃない。いつものティアはどうしたの?」


 人が死んでも気にしない。自分は非情だと、彼女は言った。なら、この程度気にしないのでは無いか?らしくない、とルカは思う。

 しかし、ティアは首を横に振った。


「私は半端者なんだ…………。人を殺したって何も思わない。確かに恨みがあったりするものに、同情なんて出来ない。けど、関係を持った人は違う」


 情報屋アイツは私達の恩人なんだ。ティアは悲痛な想いを語った。


 その話を聞いて、ルカは自分ならどうだろうかと自問自答した。

 ティアが死んだら、自分は悲しむだろうか。分からない。そもそも悲しみとは?

 どうやら、自分には難しい内容だったようだ。

 ルカは考える事を辞め、ティアに視線を送る。


「半端者って、完成されていない人の事を言うのでしょ?彼には明日がないけど、ティアは違う。今、ティアのやりたい事をすれば…………んーと、いいんじゃないかな?」


 ルカは言葉を探しながら、ティアに告げた。

 ティアのとして出来ることを成す。

 友人として格好の良い言葉を言ったけど、何も知らない自分が言って良い言葉じゃないな。ルカは自分の言った言葉を思い出して、嘲笑した。


「自分のやりたいこと…………か」

「あ…………うん、そう」


 ティアは思考を巡らせているのか、黙ってしまった。

 ルカも黙って、ティアの言葉を待つ。

 しばらくして、壁に寄りかかっていたティアは壁から離れルカの目の前に立つ。

 ルカは見上げて、仮面マスクで素顔が見えないが、ティアの顔を見る。


「なぁ、ルカ…………」

「なに?」

「私は彼奴を殺した聖樹教会が許せない」

「うん」

「だから─────…………ルカも手伝ってくれ。復讐…………と言っていいか分からないけど、彼奴の仇を討ちたい。いや、責任を取りたい」

「いいよ」

「いいのか?」

「うん。私はティアの友人…………だから、どんな事でも着いていく」


 ルカは仮面越しにティアと、目が合った要な気がする。

「ありがとう」ティアはルカに感謝の言葉を述べた。「お前の言葉に助けられた」

 きっと、前を進んだのだろう。ルカはどこかそんな事を思いながら頷いた。


 ティアは自分の武器や装備を検める。

 ルカもティアに習い、武器と装備を検める。義手の動作、服装、大剣などを検める。

 検めると言っても、本格的に検めるのでは無い。武器は持っているかや、ちゃんと動くかなどを検めるだけだ。


「よし、乗り込むか」

「うん」


 二人は聖樹教会を目指して、広場を後にした。


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