第17話 聖樹教会の地下
聖樹教会の扉を開けて中に入った情報屋の目に映ったのは、仄暗い身廊に並ぶ多くの天蓋付き寝台であった。
「なんだ…………これは?」
開口一番、情報屋が口にしたのは疑問であった。伊達眼鏡を外して、広がる空間をその目で確かめる。
「これが…………普通…………なのか?教会とは、そういうものなのか?」
初めて見る教会の中は、情報屋の想像を遥かに上回っていた。
身廊の両側に多くの天蓋付き寝台。身廊の奥にある後陣…………扉から真っ直ぐ視線を向ければ祭壇があり、その上には聖樹教会の
「教会とは【神の教えを説く場】と書物で見たが…………違うのか?どちらかが、正解で…………どちらかが、不正解とでも?」
書物と現実の相違に、情報屋は戸惑う。
どちらかの正解不正解を、情報屋独自で判断するには圧倒的に知識不足であった。
しかし情報屋は目の前に広がっている未知に、ただただ圧倒される。
情報屋が聖樹教会に入って数分経過しても尚、出入口である扉の前から動けずにいた。
いや、正確には動かなかった。圧倒的情報量に、情報屋の脳の処理が追い付いていなかった。
更に数分経過した後、情報屋はハッと我に返った。
「早く調査を進めなければ…………」
情報屋は気持ちを切り替えて、脚を前に踏み出した。
コツコツと大理石の石畳を、足音を立てながら歩いて行く。
静かな空間である聖樹教会内部では、よく自分の足音が聞こえる。
「ひいぃぃぃぃ!!大司教様!大司教様!」
「お許しを!お許しを!まだ、まだ、死にたくありません!」
「生きたい!生きたい!大司教様!お救い下さい!大司教ぁぁぁぁぁ!!」
「あひゃ!あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」
突如、ドッとあちらこちらで悲鳴が上がった。まさに、阿鼻叫喚。
寝台がギシギシと激しく揺れ、ガチャンガチャンと枷や鎖の音が悲鳴と共に聞こえる。
情報屋はビクッと身体を跳ねらせて、左右を見る。
「なんだ!?何が起きている!?」
近くにある天蓋付き寝台に、情報屋は駆け寄った。その上に乗る人を見た。
「なッ─────」
情報屋は言葉を失った。
彼の目に映ったものは、余りにも悲惨な姿となった人であった。
もっとも、人と呼べるかどうか怪しいが。手足の肥大化や変形、顔面の変形など人とは掛け離れた異様な姿。
天蓋付き寝台に寝ていたのは、人と怪物の中間の姿をした何かだった。
「大司教様!大司教様!お許しください!大司教様!」
彼らは同じ言葉を繰り返し叫んでいた。
目が見えないのか、情報屋の方に視線を向けない。いや、意図せず向けていないようにも思える。
「灰を…………吸った…………人達とでも、言うのか?」
信じられないと酷く混乱した様子で呟く。
現状を理解したくても、脳が理解を拒む。
「灰を吸った末路は知っている。だが、あれは一瞬にして怪物になる。だというのに、彼らはなんだ?怪物と人の間…………聖樹教会はここで…………何をしているんだ?」
やや早口で、情報屋は独り言を呟いて落ち着きを取り戻す。
所謂、脳の整理。一つ一つ口にして整理する事により、脳の処理能力を
落ち着きを取り戻した情報屋は、他の天蓋付き寝台にも赴いた。
しかしどの天蓋付き寝台にも、正常な人が眠っていることは無かった。
全ての天蓋付き寝台の上には、両手両足を枷で拘束されながら、仰向けになっている罹患者達しかいなかった。
「聖樹教会の連中は、なぜこんな事を?治療目的か?薬品などの治療ならば、近くに薬品がある筈…………だが、見当たらないという事は違うのか?他の治療法があるのだろうか?クソ、もう少し他の書物を見ておくべきだった」
情報屋は悪態を吐く。
新たな情報を得る度に、新たな疑問が生まれる。これでは、いたちごっこで
『入って身廊を真っ直ぐ進んだ先に、像が置かれてある。そこを右に曲がるのじゃ。そこにお主の求めるものがある』
情報屋はふと、助言者に言われた言葉を思い出した。
「身廊を真っ直ぐ進んだ先…………身廊というのはここの事だろうな。その先の像は…………奥に見えるアレか」
助言者の言葉と現状目にしている場所を照らし合わせてながら、情報屋は進んで行く。
天蓋付き寝台から離れて、通路へ行く。そしてそこから奥へ進む。後陣に見える、
中央交差部に向かった情報屋は、世界樹に祈りを捧げる聖母像に視線を移した。
「あれは…………
情報屋は偶像を見ながら呟く。
初めて見る聖遺物。
「そして…………ここを右…………」
情報屋は像から視線を外して、右側に視線を移した。
その先には、正面と同じく像が置かれていた。その下には仄暗い、穴のような窪みが空いていた。
他には無い異様な雰囲気を漂わせていた。
「助言者はあの先の事を示しているのか?だとしたら、あの穴に答えが…………」
情報屋はゴクリと生唾を飲み込んだ。
そして脚を前に踏み出して、歩いて行った。
穴に近付いていく。遠目では分からなかったが、どうやら穴では無いようだ。
垂直の穴と思っていた場所には、石階段が下に伸びていた。しかしその先は、暗くて見えない。
「この先に…………俺の求める答えがあるのか」
実感が湧いてくる。
階段を降った先に待ち受けるのは、聖樹教会が秘匿するものであり真実だ。
同時に情報屋の求めていたものである。
胸が熱くなるのを感じる。
情報屋と言うのは、時に真実を求めると言う。
「師匠の言った事は、本当だったんだな。────情報屋は情報を届けるだけでなく、誰よりも先に真実を得られる。その喜びは計り知れない。師匠…………俺は今、初めてアンタの言ったことを理解したよ」
情報屋は古い思い出を振り返りながら、情報屋は石階段を下って行った。
仄暗い石階段は、地上より少し冷んやりしていた。洞窟の中に入るような、感覚であった。
情報屋は鎖武器の刃を袖口から少し見せ、警戒しながら降りて行く。
壁に片手を置き、足下を慎重に確認しながら進む。階段から滑り落ちるなど、不格好な真似はしたくない。
そうして降って行き、コツンと地面に足を落として、石階段の最終を降り終えた。
「光源は…………松明か?壁に立て掛けてあるが…………微かな光だな」
教会の身廊のような造りをした壁に、等間隔で松明が置かれて橙色の微小の光で、周囲を照らしていた。
その光のおかげで、微かに周囲が見える。
情報屋は周囲をキョロキョロと見渡す。
「…………墓か?」
身廊の両端には、無造作に置かれた墓が幾つもあった。しかしその墓は、随分と長く使われていないのか倒れていたり、壊れていたりしていた。石柱が数本疎らに立ててあり、それで支えているようだ。
「…………ここは地下墓地なのか?」
周囲を見渡しながら、情報屋は奥へと進んで行く。
そして──────。
「な────────」
情報屋は言葉を失った。
目先にあるものを脳が拒否する。理解したくても、理解出来ない。
「──────んだ…………あれは?」
情報屋の目先には、木の根があった。しかしただの木の根では無いのは、一目瞭然であった。
木の根には多くの屍が寄り添う、或いは貫かれて巨大な根となっていた。祈りを捧げる者や腹を貫かれた者の姿など、様々であった。
どの屍も、骨と皮のような姿だ。
「こ、これが…………俺が求めた真実だと?ふざけるなッ!疑問が増えただけでは無いか!」
情報屋は訳が分からなすぎて、声を荒げた。
何が何だか分からない。あの木の根はなんだ?なぜ、人があんな風になっている?
疑問が次々と泡のように浮き上がって、泡のように消えて行く。
「アレが真実だと?この世界の本質だと?いや…………冷静になれ。頭の回転は早いと師匠に賞賛されたでは無いか。俺はこの真実を伝えなければならない。だから…………考えろ」
情報屋は一呼吸し、脳に十分に空気を届かせる。落ち着きを取り戻した情報屋は、冷静に現状を考察していく。
「あの木の根が何かについて、あれは…………恐らく
自分自身もこの考察は、当たっているように思える。では、次。
「屍の正体について。人であるのは間違い無い。そもそも、なぜここに置いているのか。ダメだ…………疑問が増える。まず、この問いは置いておこう。その前に木は何で育つ?確か、書物によれば水だったか?水があれば育つ。しかし見た限り水源は見当たらない。だとしたら、世界樹は何で育つ?」
情報屋は腕を組んで唸る。
「あの屍の数…………人…………あ、もしかして血が水の代わりを担っているのか?血を吸い上げて事により、骨と皮のようになってしまった?有り得る。しかし血を吸ったからと言って、あのような有様になるか?そもそも、そのような事を行う理由は?
情報屋はある情報だけで、考察していく。
助言者は言った。自分が追い求める真実は、ここにあると。彼女の言う事が本当ならば、必ずここに答えがある。
「確か、人を構成する成分の中にも水がある。ならば、世界樹の養分は水ではなく人。上にいた者たちは、治療が目的では無く養分として飼育しているだけの家畜?」
「素晴らしい考察です」
「!」
誰もいる筈が無いこの空間に、第二者の声が響いた。
情報屋は振り返り、鎖武器を袖口から垂らす。ジャラと地面に、鎖と先端の刃が落ちた。
─────クソ!もう帰って来たのか!もっと早く、引き上げれば良かった!
情報屋は内心悪態を吐いた。吐いたからと言って、現状が変わる訳では無いが。
石階段の方からコツコツと二つの足音が響く。
「素晴らしい考察ですが、貴方は知り過ぎました。なので、ここから返す訳には行かないのです」
渋い声が暗闇から響く。
情報屋は生唾を飲み込んで、じっとその暗闇に目を細める。
そして微かな光源に照らされた二人を見て、情報屋は鎖武器を構えるのだった。ここから生きて、脱出するために。
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