第13話 大司教と枢機卿
右翼廊から左翼廊へ向かい、左翼廊の先端には自在扉が取り付けられていた。
その扉を開けてアルカナは外へ出た。
外は相変わらずの曇天で、風変わりしない。
それを
コツコツと歩いて向かう。
それほど距離がある訳では無いため、直ぐに小屋に辿り着いた。
その扉の鍵を解錠して、
小屋の中は実に質素であった。白い一色の敷布や布団に、木の寝台である。木の棚と木の机、本棚と
アルカナは扉の近くに片刃剣を置き、棚の前に向かって服と仮面を脱ぎ始めた。アルカナの妖艶な肢体が顕となった。膨らんだ胸に華奢な体躯、白い髪、白い瞳。改めてアルカナの容姿を見ると、美しいものであった。聖職者の装束を着ていると、アルカナは着痩せする。
脱いだ服を椅子の背もたれに掛けて、机に仮面を置いて新たな聖職者の装束を着る。
「少し…………休みましょう」
アルカナは呟いて、力尽きたように寝台に倒れた。それにより、一度身体が跳ねる。
そしてアルカナは赤子のように丸くなった。
「ひっく…………えっぐ…………」
しばらくして、嗚咽混じりの泣き声が聞こえてきた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさいぃ…………」
今まで殺してしまった人たちに、届かぬ謝罪の言葉を繰り返し呟いた。
大切に、大事に育てた孤児をこの手で殺してしまった。罹患者を治療できず、最後まで苦しめてしまった。
それを良しとし、悦びを感じていた。人を殺めるという行為に、何の躊躇いも無かった。
こんな風にした聖樹教会が憎い。
聖樹教会に入った際に洗脳され、調教され新しく造り替えられた。アルカナは恐怖を抱く。自分だけれど、自分では無い誰かに。
罹患者の腹部をあの黒い長剣で、叩いている時間が愉しかった。
孤児を養分と使用して、枢機卿に褒められた事に喜びを感じていた。
「誰ですか…………貴女は…………」
震えた声で、アルカナは呟いた。
部屋にはアルカナしかいない。赤子のように丸くなって、少女のように泣くアルカナの姿しか見当たらない。
「私は…………誰なんですか…………」
自分が何者なのか。
アルカナは自問自答をしていた。
果たして、その答えは得られなかった。自分が何者なのか、分かる筈がなかった。
かつてあった信仰は薄れ、聖樹信仰が根強く精神に根付いてしまったのだから。
─────私は…………何者でもありません。私は…………聖職者では無く、殺戮者に成り下がってしまったのですから。
♢
アルカナが教会に戻って来ると、枢機卿が中央交差部にいた。
「あぁ…………戻ったかね?」
枢機卿はアルカナを尻目に、後陣にある祭壇を眺めながら呟いた。
「はい…………」と頷いて、アルカナは応えた。「戻りました」
「ちゃんと後始末をしたようだし、安心して君に任せられるよ。今後も期待しているよ」
「ありがとう…………ございます」
枢機卿は後陣にある祭壇を眺めながら、アルカナを淡々と賞賛した。
「それはさておき、君とゆっくり話をしようと思ってね。待っていたんだよ」
「私と…………ですか?」
アルカナは首を傾げた。
何か話さないとならない事でもあっただろうかと、アルカナは思案する。
「あぁ…………なに、ただの私用だよ」
その様子を尻目に見ていた枢機卿は、アルカナに向き合って安心させるように告げる。
「ここでも良いが…………患者もいるし、場所を移そうか。付いてきたまえ」
枢機卿は踵を返して、右翼廊へ進んで行く。
その後ろをアルカナは追従した。向かう先は地下墓地のようだ。
枢機卿は右翼廊の最先端まで行き、地下墓地へ続く階段を降って行った。
アルカナも枢機卿に続いて階段を降った。
二人の足音が、石造りの壁に反響して響く。
そして階段を降り終えて、今日数度目の地下墓地へアルカナ達は辿り着いた。仄暗い、陰鬱な空気を漂わせた空間。
木の根には少年や罹患者だった屍があった。
それを見る度に、アルカナは胸が裂けそうな気持ちを押し殺す。
恐らく、悲痛な表情をしているだろう。
──────
アルカナは悲痛な表情を、仮面で隠せている事に安堵する。
こんな表情を、枢機卿に見られる訳には決していかない。
そんなアルカナを他所に、枢機卿は地下墓地の中央辺りまで悠々と歩いている。
「君は…………この
「ど、どういう事ですか?」
アルカナは枢機卿の問いを聞き直した。何を言っているのか分からない。
アルカナは戸惑った。
枢機卿は背中で手を組んで、肩越しにアルカナを見る。
「そのままの意味だよ。世界の中心に生える木は、生きているのか?」
「…………生きていたとしたら、灰が降るのでしょうか?」
「そうだね。では、あの灰は何かね?」
「
「燃えた…………というが、誰か燃えた所を見たかね?無論、私は見ていない」
「私もです」
「そう、誰も見た事が無い。もしかしたら…………私達が見ている世界樹は幻想で、本当の世界樹は別にある可能性もある訳だよ」
アルカナは首を傾げた。枢機卿の言っている意味が分からない。
アルカナは「どういう事ですか?」と改めて枢機卿に問う。
「うむ。では、別の問いをしよう。君は今まで、学者を見た事があるかね?」
「ありません」
「そう、見たことが無い。学者にとって、我々が置かれている状況は興味深い内容だと思わないかね?」
─────確かに…………。
アルカナは枢機卿の言葉に納得した。
そもそも、学者と名乗る人を見かけたことが無い。そもそも学者とは?
アルカナはハッと何かに気が付いた。
その様子見て、枢機卿は頷いてアルカナに向き直った。
「気が付いたかね?あまりにも、知っている事が少な過ぎるのだよ。我々は…………」
その通りであった。
生まれた時からこのような状況であり、それが当たり前だった。その当たり前の出来事に、何の疑問も抱かなかった。
枢機卿は話を続ける。
「学者を見た事がないのに、我々は学者を知っている。
枢機卿は一旦言葉を区切った。そして再び、枢機卿は口を開いた。
「最初に君に質問したことだけど…………これは持論だけどね、
「…………」
アルカナは黙っていた。枢機卿の言っている事は、難しくも考え方自体は理解出来た。
だが…………─────。
─────疑問が出てきますね。教皇様は、一体何のために
今見ている
次々に疑問が生まれては、泡のように弾けて消える。
アルカナが考え耽っていると、枢機卿が咳払いをした。アルカナはハッと我に返る。
「考え過ぎるのも毒だよ、アルカナ。君の悪い癖だ。君の事だ、教皇様の思惑を探っていたのだろう?」
枢機卿は呆れた口調で言う。
図星であった。アルカナは両手を股のところで組んで、視線を泳がして誤魔化していた。
枢機卿は溜息を吐いた。
「覚えておきたまえ。秘密は常に隠す者がいる。君も気を付けたまえ」
枢機卿はそう言うと、アルカナの横を通り過ぎて階段を登って行った。
その場に残ったアルカナは、振り返って階段を見る。既に登って行ったのか、そこには枢機卿の姿は無かった。あるのは、石造りの階段と暗闇のみ。
──────やはり…………何か裏があるのですね。
教皇は何かを隠している。
アルカナは枢機卿の言葉で確信を得たのだった。
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