第12話 白い死神

 かつて地下墓地だった場所を上がった聖女と大司教は、右翼廊から中央塔を通って身廊へ進んで行った。

 身廊の両脇には多くの天蓋付き寝台ベットが置かれており、罹患者達が横たわっていた。

 聖女の案内の元、大司教は罹患者の元へ向かった。


 天蓋付き寝台の端に、両手両足を枷で繋がれている罹患者の前に一人の男が立っていた。


「おや?アルカナ大司教ではないかね。お勤めご苦労」

「枢機卿…………様」


 天蓋付き寝台ベットの前に立つ男は何食わぬ顔で、大司教改めてアルカナに挨拶を交わす。

 枢機卿は背中で腕を組みながら、アルカナの方へ身体を向けた。


「そういえば、教皇様の所へ行ったそうだね?話を聞いたよ。しっかり孤児を使ったのかね?」


 枢機卿は彫りの深い顔に笑みを浮かべ、アルカナに問うた。黒い髪を後ろにかき上げてオールバックにし、枢機卿は黒い聖職者の装束を着こなしていた。


「はい…………一人、養分として用いりました」

「それは素晴らしい。では、彼もお願いするよ。白い死神さん。私は他の仕事をしてくるよ」


 そう言い、枢機卿はアルカナの横を通り過ぎて行った。

 アルカナは枢機卿が横を通り過ぎるのを、黒死病仮面ペストマスクで見える範囲内で見た。

 枢機卿が身廊を通って、自在扉を開けて外出した。

 バタンと自在扉が閉じる音を聞いた後、アルカナは視線を天蓋付き寝台ベットに横たわっている罹患者に移した。


 アルカナが見る罹患者は、顔の鼻から上部分が前に飛び出して三角形のような形に変形していた。その変形により、目を失い口だけとなっていた。

 浅い呼吸を繰り返して、辛うじて理性を残している様子であった。


 ──────時期に…………化け物になってしまいますね。


 アルカナは目視で、目先の男を診察した。もう一目で助からないと分かる。枢機卿が言っていた事は、後始末をしろという隠語であったようだ。


 ならば、やる事は一つ。人の形で最後を終えてもらう。それが唯一、彼を救える道なのだ。

 アルカナは黒い片刃剣を持ち上げて、男の腹部に振り下ろした。


「あがぁぁぁぁぁぁぁ!!ぅぎぃぃぃ!!」


 男は身体をくねらせて悶える。顔が変形しているため表情は分かりずらいが、苦痛な表情を浮かべていた。


「ヒィィィィ!!」

「死にたくない!死にたくない!」

「大司教様!大司教様!」


 その声に呼応するように、他の罹患者達が一斉に怯え出した。

 アルカナは片刃剣が刺さった腹部から、長剣を持ち上げる。ヌチャと粘り気のある血液が、黒い片刃剣に付着して糸を引いていた。アルカナの腕が真っ直ぐ登った辺りで、その糸は途切れた。

 剣先を上に向けたアルカナは、再び片刃剣を振り下ろした。


「うぎゃぁぁぁぁあああ!!いぎぃぃぃ!」


 男は痛みに悶える。ガチャンガチャンと鎖が音を立てる。 両手両足を枷に繋がれているから、逃げたくても逃げられない。


「はは─────」


 アルカナは冷たく微笑んだ。

 悲鳴、悲鳴、悲鳴、悲鳴、悲鳴、悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴─────…………悲鳴が心地良い。


 嗚呼ああ─────なるほど、そうですか。私は…………とうの昔に、壊れてしまったのですね。


 何度も、何度も、何度も罹患者の腹部に黒い長剣を振り下ろした。その度に罹患者は悶え、苦痛な表情を浮かべて悲痛な叫びを上げる。

 その姿に、快感を覚える自分に吐き気がする。


 ──────早く…………終わってください。早く…………楽になってください。


 長剣を振り下ろして、アルカナは懇願した。

 首を切るなり、心臓を一突きするなりすれば即死させることが出来るというのに。その事を理解していも尚、アルカナは辞めれる事が出来なかった。

 何度も振り下ろす姿は、まるで操り人形のようであった。自分の意思とは反して、身体が勝手に動く。心は辞めたいと嘆いても、身体は悦びを感じていたのだ。


 白い敷布を敷いてある天蓋付き寝台ベットは、赤黒い血で汚れていた。寝台の柱にも、血が飛び散り赤黒く染め上げた。


 息も絶え絶えな男の腹部から、片刃剣を持ち上げて振り下ろした。


 血が溜まった腹部に片刃剣が刺さり、それ以上彼が動く事は無かった。


「…………随分と、汚れてしまいましたね。そこの貴女、枷を外してください。運びます」

「は、はい!直ちに」


 近くにいた聖女は蒼白した顔で頷き、罹患者の両手両足に取り付けられている枷を外し始めた。

 枷を外している間に、アルカナは自分の服に視線を落とした。仮面マスク越しなのでそれほど見えないが、服は返り血で汚れていた。


「取り外せました。アルカナ大司教様」

「ありがとうございます。私はこの方を運びますので、貴女は寝台ベットを綺麗にしてください」

「はい」


 アルカナは罹患者の手を握って、歩き出した。それにより、罹患者の身体は寝台から落ちた。ドチャッと腹部に溜まっていた血液が、飛び散って床を汚す。


「すみませんが、床の掃除もお願いします」

「はい、分かりました」


 アルカナは聖女に伝え、死んだ罹患者を引き摺って行く。アルカナが歩く度に黒い片刃剣が地面に擦れ、ギィィと音を立てる。


「すみません!すみません!すみません!」

「お願いします!お願いします!どうか、どうか、殺さないでください!」

「死にたくない!死にたくない!」


 他の罹患者達が、再び怯え出した。

 アルカナは騒がしい声を無視して、罹患者を地下墓地へ運びに向かった。


 右翼廊の先端にある祭壇の下を潜るように、地下墓地へ続く階段があった。

 アルカナはその階段付近で止まり、斜め上を見上げた。その視線の先には祭壇があった。その祭壇には木に祈りを捧げている聖母の像が置かれていた。

 その上には色硝子を組み合わせたり、色を塗ったりして模様や絵を表した板硝子があった。虹色に輝く板硝子をアルカナは、目を細めて見る。


 ──────神は…………私をお許しするのでしょうか?


 自分自身の罪が、消える事は無い。死んでも、死んだ後も残り続ける。

 アルカナは嘆息し、階段を降りて行った。その後ろでは、遺体がゴンゴンと石階段に頭や身体を打ち付けていた。


 石階段を降りて地下墓地へ辿り着いた。

 地下墓地の最奥には、今日二度目の木の根があった。その根には、数多の屍が養分を吸われ息絶えていた。その中に孤児で育てた少年の姿があった。


「っ…………」


 アルカナは息を詰まらせる。

 大切に、大事に育ててきた孤児をこのような事に使うとは想像してなかった。

 そして─────。


「罹患者達も人ですから…………」


 アルカナは独りで呟く。

 助からない生命と、未来ある生命では重みも違ってくる。同じ生命だとしても、選別しなければならないのだ。

 人とは残酷な生き物なのだ。


 だと言うのに──────私は…………助からない生命を弄んでいたのですね。


 神の言葉を謳いながら、楽に殺さなかった。最後まで苦しんで、罹患者は死んで行ったのだ。これを弄んでいないと言うなら、なんと言うのか。


「…………」


 アルカナは沈黙して、木の根まで歩いて向かう。そして木の根に罹患者の手が触れるように置いて、アルカナは踵を返した。

 歩く後ろで、木の根が死んだ罹患者から養分を一瞬にして吸い取って骨と皮の状態にさせた。


 ───────本当にこんな事をして、意味があるのでしょうか。教皇様は自分の中に答えがあると言いましたが…………未だに分からないです。


「はぁ…………」


 アルカナは溜息を吐いて、地下墓地を後にした。


「そうでした…………」


 右翼廊に戻ってきたアルカナは、自分の服に着いた返り血の事を思い出した。

 大司教たるもの、常に綺麗でなければならない。ましては、返り血で汚れているとなれば信者達に疑いの目を向けられてしまう。

 そうならないようにアルカナは、掃除をしている聖女を横目に自室へと向かった。

























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