第3話 記憶喪失の少女 [下]
巨大で細く、骨と皮のように痩せた体躯。赤い皮膚。眼を失った代わりに、巨大な口を開ける。肋骨が弾け飛んだように胸部が裂けており、四足歩行の恐ろしい見た目になった。
宇宙的恐怖を感じさせる見た目だ。
「ウォォォォォォォォンンンンンンン!!」
狼の遠吠えにも似た声で、化け物は吠えた。
黒髪の男の面影は何処にもない。
灰を吸った者は、あの様にひとならざるものになってしまう。
「仕方ない」
ティアは少女を抱き抱えて、走り出した。
抱き抱えられている少女は、ティアの肩越しに化け物に視線を向けた。
「俺が、俺達が何をしたって言うんだァァァァ!!」
赤毛の男は叫んで、ティアとは別の方角へ必死に走って逃げて行く。
化け物は赤毛の男の方に顔を向けて、ニヤリと大きな口を歪ませる。前脚を前に出して、走り出した。
ドサドサと爬虫類のように走る化け物が、徐々に赤毛の男との距離を縮めていく。
「嫌だ!嫌だ!死にたくない!ふざけるな!なんで!なんで!あんな化け物に変化する世界に変わってしまったんだ!」
赤毛の男は恐怖で涙を流して、化け物から逃げる。
無慈悲な事に、化け物と彼とでは速度の差が明白だ。
だから────…………。
「うぐっ!?」
赤毛の男は化け物の手に捕まってしまった。握られた手から、赤毛の男の右腕と鎖骨から上部、膝から下の足が飛び出していた。
彼はバタバタと足をばたつかせて、右手で化け物の手を叩く。しかしビクともしない。
騒がしい獲物に気にすること無く、化け物は獲物を捕らえた手を空高く掲げた。
その様は、まるでお祈りのようであった。
そしてお祈りが終了したのか、化け物の手は口元へと運ばれる。化け物の大きな口が開かれる。
「嫌だ!死にたくない!離せ!離せよォッ!誰か!誰か助けてくれぇ!ティアァァァ!頼む!頼むから!助けてくれ!お願いだ─────」
バキバキグチャッ。
骨や肉が潰れる音が鮮明に聞こえた後、彼の言葉は虚空へ消えた。
化け物は器用に、口元から出た臓物を口の中に放り込んで飲み込んだ。
その一部始終を見ていた藍色の瞳を持つ少女は、ティアの首に添えている手が震えている事に気が付いた。
「怖いか?」
「怖…………い?」
「手が震えているだろう?それは恐怖だ。化け物を見て、お前は恐怖を抱いているという事だ」
「恐…………怖」
ティアは走りながら、少女に手が震える現象の正体を教えた。
その説明を聞いた少女は、腑に落ちたのか先程より力強くティアに抱き着いた。
少女は初めて、恐怖を知ったのだった。
◇
ティアと少女は、近くの廃村に身を隠す事にした。
ティアに抱かれている少女は、キョロキョロと廃村を見渡した。
家屋は倒壊したり、内側から何かが弾け飛んだように崩壊したりしていた。しかしそれらの痕跡は、ほとんど灰に埋もれて箇所に見えるだけとなっていた。以前はしっかりとした家屋だったのだろう。今では屋根だけが飛び出していたり、柱の残骸が飛び出していたりしていた。
ティア達は屋根だけが、地面から飛び出した家に辿り着いた。
「ここなら、見つかるまい」
ティアは少女を降ろしてからしゃがみ込んで、屋根の中を覗く。
「問題ないな。入ろう」
ティアは赤子のように四足歩行しながら、隙間へ潜り込んだ。
暫くして中から「早く来い」と少し反響した彼女の声が、聞こえてきた。
少女はティアと同様に、赤子のように四足歩行で中に潜り込んだ。
柔らかくもあり、硬いような気がする灰の積もった地面を、膝と手で存分に味わいながら進んでいく。
屋根を構成する朽ち果てた木材には、蜘蛛など小さな虫の住処となっていた。
進むに連れて、暗黒が広がる。
暗闇を進んだ先に、一点の灯火が見えた。暖色で、何処か安心感がある光。
「暫くここに居よう。この屋根が潰れない限り安全だ」
ティアは方針と安全を少女に知らせた。
しかし少女は彼女の言葉よりも、暖色に輝く灯火がゆらゆら揺れる
「お前…………見るの初めてか?」
「…………」
少女はコクッと頷き、肯定した。
「
「ラン…………タン」
少女は興味津々に、燈會を眺めていた。
それを他所に、ティアは朽ち果てた木材を背もたれ代わりにして少女を見た。
「お前は何処から来たんだ?なんで、棺の中にいた?」
「…………分からない。目が…………覚めたら…………ここにいた」
「記憶喪失か。名前は?」
「名前…………ルカ。私…………の、名前…………ルカ」
ティアは腕を組んだ。
─────知ってるのは名前だけか。容姿を見る限り、私と同じ人間か?その割には、品のある服装だな。
ティアはルカを見ながら思案する。
しかし考えた所で、何か答えが出るとは限らない。ティアは考察から切り替える事にした。
「そういえば、自己紹介がまだだったな。私の名前はティアだ」
「ティア…………」
ルカはティアの名前を反復して、記憶していた。
「な、んで…………あの…………人、たちを…………?」
滑らかに話す事が出来ないのか、ルカはたどたどしく言葉を紡いでいく。
彼女の言うあの人達とは、傭兵達の事だろう。
ティアはそのように読み取った。伸ばした脚の先、暗闇で見えなくなっている足先を眺めて言葉を紡いだ。
「それは─────そうだな…………。強いて言えば、復讐だな」
「…………復讐」
「そうだ。幼い頃、傭兵に強姦された。それ以降、私は奴らを憎んでいる。だから、殺した。簡潔に言うなら、こうだな」
「強姦?」
「…………せ、性的暴力ってことだ。い、言わせんな!馬鹿!」
ティアはあまりの恥ずかしさで、声を荒げた。
聞いた当の本人は、キョトンとしてピンと来ていない様子であった。
ティアは自分だけ恥ずかしがっていることが、馬鹿らしく思い始め、気持ちを切り替えた。
そして再び、暗闇に刺した足先を見た。
「私は…………とうの昔に壊れている。色々な意味でな。私という人間は、簡単に言うなら非情なんだ。だから平気で人を殺して─────」
突然、ルカはティアの頭を抱えてるように抱き着いた。
「な、何を────」
ティアは戸惑っているようで、声が上擦っていた。
「分からない。でも…………寂しそう…………だった」
ルカの透き通った声が、ティアの頭上から優しく聞こえた。
何処か安心するような、落ち着くような、なんとも言い難い感情がティアを襲った。
「やめろ!離れろ!」
ティアはルカを強引に引き剥がした。
何処か安心する自分が気に食わないから、拒んだのだ。
引き剥がされたルカは、落ち込んだ様子でティアの隣に座った。
それを見たティアは申し訳ない気持ちが、心中に渦巻いた。
─────ごめん。
その一言言えれば、まだマシだったかもしれない。しかしティアの口からは、何も出なかった。いや、出せなかった。自分がその言葉を口にしていいのか、分からなかったからだ。
─────まともに人と接してこなかった末路が、この結末とは我ながら阿呆らしい。
それからというもの、お互い話さないため沈黙が流れた。
その空間は、気まずさと静寂だけが意気揚々と踊っていた。その間にも、時間は刻一刻と過ぎ去って行く。
♢
とある一室にて。
「失礼します」
若々しい女性の声が聞こえてきた。
視線を卓上にある羊皮紙から、女性に向けた老男は眼を見開いた。
「おやおや、君か。遥々遠くまで、何用で?天啓?それとも────」
「教えてください。貴方の目的を」
老男の渋い声を遮って、女性は覚悟を決めた顔付きで問うた。
しかし老男は、ふっと鼻で笑って椅子の背もたれに体重を預けた。
「何かと思えば、目的を教えて欲しい?ふ、フハハハ。でも、分かるよ。秘密とは魅力的であり、甘いものだ。だから、君の意見にも頷く」
──────けれどね。
老男は話を一旦区切った。身体を前に傾け、肘を机の上に乗せる。肘を立てて両手を口元で組んで、顎を支えた。
「その答えは君の中にあるのでは無いかね?」
「分かりません。分からないから、ここに来ました。それに…………もう誰も、外に出ません。アレの養分にはもうならないです」
「うむ、君は孤児院を運営しているようだね?ならば、孤児を使えばいい」
「なっ─────」
「横暴、愚行、冒涜とでも言いたいかね?しかし君も同じ事をしている。君はもう後戻り出来ないのだよ」
それ以上女性は、言葉を発する事は無かった。「失礼しました」と扉を開けて、逃げるように一室から退出した。
一室に残った老男は、扉をじっと眺めた。
「私は見たいのだよ。だから、君も含めた同胞たちを利用させて貰う」
老男の独り言は、不敵な笑みを浮かべて紡がれたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます