アラン・フォスターの胸糞悪い夜




 フェアルキアの水・十四節——貿易都市セントバ南。


 豪奢な装飾を施された馬車は三騎の護衛が左右後を固め街道を南下した。激しく揺れる角灯の灯りの帯はその一団がどれほど慌て急いでいるのかを教えてくれた。

 慌てる理由はすぐにわかった。一団を追跡する者がいる。

 一団を追いかけたのは紺の天鵝絨ビロードに浮かぶ月と、漆黒の軍馬だった。黒鋼の両手剣を背負った騎手は全速力で馬車の一団へ追いつこうとした。


 バンバンバン!

 馬車の小窓が乱暴に叩かれる音が響いた。車内で打ち震えたクラウスは「ひッ!」と情けない声をあげ次には「ど、どうした!」と怪訝で卑下な声をあげた。


「クラウスさん! 駄目だ振り切れねえ!」

 疾駆する馬車はわだちから拾う凹凸にガタガタと慌ただしく鳴り響く。だから言葉がよく聞き取れなくクラウスはもう一度同じことを叫んで訊ねた。しかし返ってくる言葉は聞き間違いではなかったようだ。振り切れないと外の男は叫んでいる。

 クラウスはそれに細身の体を跳ね上げ、馬車の小窓を勢いよく開け放った。

 轟々と風の音も酷い。


「お前らにどれだけの金を払っていると思っているんだ! どうにかしろ! とっとと殺してしまえ!」

 青白い顔が、外で目を丸くした浅黒な男を怒鳴りつけた。

 それに浅黒い顔をした男はあからさまに顔色をかえ「あいつはキルアルさんも殺っちまったんだぜ、無茶だ!」と叫び返した。その間も何度か後方に視線をなげ、追跡者の挙動を確認をする。

「だったらどうするのだ! 無茶無理は承知の上だろ! お前が囮でも何でもなってなんとかしろ!」

 雇い主の言葉に男は怪訝な顔をし「りょーかい」と半ば呆れたような声で答えた。乱暴に小窓を閉めると男は「んなわけねえだろ、この青瓢箪が」と、窓越しのクラウスの顔を目掛け唾を吐きかけた。


「おいお前ら! 雇い主様はあの黒いのをなんとかしろってよ!」

 男は馬の速度を少しばかり落とすと他の護衛の男達へ声をあげた。その声音は明らかに不機嫌で乱暴だ。それを耳にした他の二名は意気消沈したようで「はあ」と大きくため息をついた。

「兄貴、そりゃ無茶だろ! あんな化け物どうやって殺るってんだよ!」

 後方を固める男が声を張り上げた。

「殺す必要はねえぜ! 逃げ切って適当なところで青瓢箪から金をせしめてトンズラだ。もうそれしかねえだろ!」



 胸糞悪い夜だ。

 アラン・フォスターはガラガラガラガラと必死に車輪を鳴らす馬車と護衛を捕らえようと軍馬を走らせた。館での一件が脳裏から離れない。少女の赤く染まった顔、骸、そんなものを頭の中で反芻してしまう。その度に——胸糞悪い夜だと溢したのだ。

 そうこうするうち、随分と距離を詰めたアランは身体をもたげ「いち、に、さん」と護衛の頭数を数える。そんな時でさえも手にかけた少女の顔が脳裏をよぎり、遂には愛娘の顔と重なった。


「呪いでもかけやがったか。模造だろうがなんだろうが得物を手にすれば、そっから先は戦場だ。恨まれる筋合いも呪われるもねえ」


 何に云い訳をするわけでもなかったが、アランはそう溢すと「ハッ!」と声を固く、先の獲物に追いつくよう愛馬へ合図を送った。漆黒の軍馬はそれに応え、ぐんぐんと速度をあげた。

 まだ少し冷たいが春を匂わせた夜風がアランの頬を強く強く撫でてゆく。

 背景に流れゆく田園風景はのどかであるのに、なぜアランの心はこうも荒れるのだろうか。これまでだって幾らでも人の命を奪ってきた。心をひりつかせる光景には慣れているはずだ。なのになぜ。アランは葛藤を追い払うよう、かぶりを強く振ると目を鋭く細め背負った黒鋼を器用に取り外した。



「くそ! 追いつかれる!」護衛の一人が叫んだ。

 それに気が付いたのか小窓からクラウスが顔を覗かせ「追いつかれるじゃないだろう! さっさと片付けてくれ!」と上擦った声で護衛達を捲し立てた。

 それに苛立ちを顕にした護衛の一人は「気軽に云ってくれるもんだ」と小声で吐き捨て「クラウスさん、危ねえから顔を引っ込めてくれ」と乱暴に小窓をピシャリと閉じる。無理矢理に顔を押し込まれ車内に転げたクラウスは、何やらまだ喚きちらすと今度は御者へもっと早く走れないのかと急かす始末。これには護衛達も肩を竦ませ半ば、呆れ返った。


「おら、ぼさっとしてねで弓をひけ、弓を!」

 護衛のかしららしき男は他の二人に発破をかけると、自らも背負った弓を器用に手に取り矢筒から矢をつがえた。上下する身体を上手いこと制御した男は後方に身体を捻り、疾駆するアランを鋭い視線で捉える。

 アランを射るには上下に揺れた身体と強く早く流れる風は相性が悪い。ギリギリギリと弓弦を引いた男は、それであればと射るまとを軍馬に定めた。馬を崩してしまえば、どうやっても逃げ切ることができるだろう。


 横を見れば他の二人も懸命に弓を引きアランを狙い撃ちにしようと矢を射かけてはいるのだが、案の定に矢は風圧に負け上方へ外れてしまっている。運よくアランを捉えようとする矢はことごとく黒鋼に叩き落とされた。


「手を休めるなよ! どんどん射かけろ! 矢筒が空になるまで引き続けろ!」

 そうだ、追跡者の気を散らせろ。男はそう考えると二人へ更に発破をかけた。気が付かれアランが走路を変えればもともこもない。



 どうにも射かけられる矢の意図が掴めないアランであったが、幅広の黒鋼を盾にし矢を防ぐと斬り込む間を見極めようとした。矢は上に逸れるものが多く、それでも、護衛の一人は「どんどん射かけろ!」と叫んでいる。

 俺を殺す他に目的が? そんな考えもよぎるのだが、あまりにも素人じみた矢筋に考えすぎだと、軽くかぶりを振った。そして軍馬の腹をほんの少し強く挟み込み、気合の声をあげると最後の距離を詰めた。



 漆黒の軍馬と騎手はどうみても死神であった。

 少なくともクラウスにはそうだった。あの姿を目にすれば歯がカチカチと音を鳴らし、身体は胃の底から震えあがった。いっそうのこと胃の中に収まったものを吐き出してしまった方が楽なのだ。

 細い体躯に大振りすぎた豪奢な衣裳は、そんな狼狽を普段なら包み隠したのであろう。でも今は違った。迫り来る自分の死神をどうにかしようと震える歯と身体を抑え、みっともなく、何かを探したのだ。なんでも良い。この場を凌げる何かを。

 そうして車内に這いつくばったクラウスは何かに気がついた。

 背筋を撫で上げる気色の悪い感覚。指が触れるか触れないか、なにかそんな調子で背筋を撫でられたように感じたのだ。背後に何かが居る。クラウスは目をひん剥き、ゆっくりとやつれた顔で背後に目をやった。



「しんがりは任せたぞ!」

 アランの軍馬を狙った男はそう叫ぶと走路をはずし、迫り来る死神から距離をとった。今やアランと馬を並べるほどの距離で剣を撃ち合う護衛の二人は、だめだ! だめだ! と叫びながらも黒鋼の強撃を受け、弾き返した。いや、きっとそれはアランがそうしようと弾いているのだ。右から襲いくる刃を弾きその勢いをそのままに左の刃を叩き落とそうと立ち回っている。

 その勢いに次第と二人は押され気味となり、刃が合わさるたびに馬は小さく嘶き首を下げる。恐らく、もう耐えきれないだろう。走路を外した男はそう心中に察すると弓弦をまたぞろギリギリギリと引き絞りアランの軍馬に的を絞った。



「難儀なものだな強欲な商人よ。どうだ命を買わんか?」

 振り返ったクラウスが目にしたのは純白の死神だった。

 しゃがれた声は純白のローブを邪悪に見せ、深く被られたフードから覗いた皺が深くこけた頬は死神を思わせた。死神は車内の腰掛けに浅く座りクラウスを落ち窪んだ双眸で見下ろした。

 返答のない問いかけへ両肘を膝に落とし指をカサカサと忙しなく動かし苛立つと、死神は「耳はまだついているのだろ? さっさと答えろ商人」とクラウスを煽り立てた。

 外からはとうとう剣戟の響きが耳に届き、いよいよクラウスの焦燥は頂点に達した。しかし目の前にした畏怖の塊、死神、悪魔なにかそのようなものに気押され、口を突いた言葉は実につまらないものだった。


「だ、だれだお前は。いつからそこに?」

「儂の問いに愚問で返す阿呆がいようとは驚きだぞ商人。答えろ。そして望め」

「な、何をだ?」

「お前の耳は飾りか? それとも脳が湧いておるのか?」


 死神はカサカサと動かした指から節くれた人差し指を立てると、今にも嘔吐しそうに青ざめたクラウスの左耳へそっと触れた。そしてそれをゆっくりと縦にひっぱる。次に聞こえたのはクラウスの絶叫だった。ぼろりと左耳が削ぎ落とされたからだ。

 血を流したクラウスは「耳が耳が耳が」と連呼するなか「痛い痛い痛い」と言葉縫い込むと、のたうちまわり思わず死神の裾を血まみれの手で掴んだのだった。


「た、助けてくれ。助けてくれ。」

 クラウスは苦痛にまみれた情けない声ですがった。

「おお。ようやく聴こえるようになったか。そうか命が惜しいか」

 しゃがれ声がそう云うと、純白の死神は右に顔を向け外で弓弦を引き絞る男へ目をやった。赤黒い瞳がフードから覗くとそれは蛇のように瞳孔を縦に絞った。



 どうも馬車の中が騒がしいようだ。

 青瓢箪はまだ戯言を喚き散らしているのかもしれない。

 弓弦を引き絞った男は、そろそろアランの馬のどこを射抜くか心に決めた。この一矢を外せば後はない。矢筒はすでに空っぽだ。だから、騒ぎ立てる青瓢箪にかまっている余裕はもうないのだ。

 その時だった。心に響く声が男を驚かせた。

(手を貸そう戦士よ。矢尻が緑に輝いたら軍馬の胸を射抜け)


 男は固唾を呑んだ。

 背筋を不気味に撫で上げるような奇妙な感覚を覚えると、馬車の方へ目だけを向けた。はたしてそこに在ったのは、純白のローブに身を包んだ死神だった。赤黒い瞳が男を捕らえ蛇のように瞳孔を縦に絞った。


「なんかの冗談だろ」そう男は狼狽をした。



 右に一回、左に一回。

 アランは器用に切っ先を踊らせると黒鋼の両手剣で相手の男達の刃を撃ちつけた。軽やかに振りかぶり頂点へ達すると激しく撃ちつけ、わざわざ相手を押し出すように刃を弾いた。その勢いに任せ逆を走る男へ切っ先を向ける。それに産まれた火花が黒鋼の軌跡を追いかけ扇を描いた。

 次第にその軌跡がこじんまりとしてくると、最後には右の馬は足から崩れ、黒鋼は無防備になった男の頭をかち割った。脳漿をぶちまけた骸は、流れゆく背景にごろごろと姿をけしてゆく。

 斬り捨てた勢いのまま身体を捻ったアランは、次に左の男の腹を目掛け両手剣を振り抜いた。黒刃は確かに左の男の腹を捕らえるはずであった。そのはずであったのだがアランの視界は突然にガクンと下がり、思いも掛けない方向へと倒れていった。


 剣戟の最中アランは確かに血と鉄と草と花の匂いとは別のものを感じていた。それは、すえた魔力の臭い。魔導師もしくは魔術師。そのいずれかの気配だ。まさか魔力を扱うものがこの場に居るとは思っていなかった。

 しかしそれでも、先ほどからアランを襲った葛藤さえなければ、こんなことにはならなかったはずだ。黒鋼を横へ振り抜く瞬間に前方で緑の閃光が走っていたのだ。いつもの調子であれば、それを叩き落としそのまま目的の男の腹を捕らえることができただろう。


 しかし今夜は——


くそが。本当に胸糞悪い夜だ」


 緑の閃光は前を駆ける馬から放たれると、見事にアランの軍馬の胸を捕らえ破裂をしたのだ。軍馬は鮮血を撒き散らし崩れ落ちアラン・フォスターを投げ出したのだった。


 満天に散りばめられた星々の輝きが、ごろごろと転がったアランを迎えた。

 クラウスを乗せた馬車——金貨六枚の頸が、アランの希望が、娘の命が遠くに走りさってゆく。轍を拾った忙しない車輪の音は、まるでアランを嘲笑うようだった。馬と共に頭から落馬をしたアランは、かろうじて首こそ折らなかったが酷い脳震盪に襲われ吐き気をもよおした。そしてもう身体を起こすことができなかった。



 純白の死神はいつのまにかクラウスの馬車から姿を消し、アランが転がった街道に姿を置いた。派手に転がったアランの姿を眺めると乾いた笑いを挙げ、ゆっくりとまるで滑るように彼のもとへ赴いた。その様子はさしずめ亡霊の類のそれといえば分かりやすいだろう。

 スススと動くと音もなくアランのかぶりの前に姿を見せたのだった。


「無様なものだなアラン・フォスター。お前の獲物はもう遥か南。さてどうする? これではお前の娘は助からんな」

「お前は誰だ。あいつらに手を貸したのはお前か?」

「訊いてるのは儂だ。答えろ。どうするのだ」

「知るかよ。なんでお前が娘のことを知っている」

「嗚呼、不毛だ。さてはお前の耳も飾りとみえる。しかしだ。しかしだアラン・フォスター。お前の運命の歯車はまだ噛み合っておらぬな。だからお前の耳は聴こえんのだな。それであれば心を決めるため、歯車の一つとなるため、家に戻れ」


 アランは純白の死神——恐らく魔導師であるだろう男が『家に戻れ』と確かにそう云うと「お前!」と短く唸った。


 しかしその刹那。

 瞬く間に純白の死神は姿を消したのだった。



 

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