アラン・フォスターの流儀




 フェアルキアの水・十四節——貿易都市セントバ郊外。


 黒鋼は暗く深く鈍く唸った。

 月の落としつゆこぼそらを斬り裂いた切っ先は有象無象へ向けられた。

 身の丈程もある両手剣を握る手は無骨で、空いた右拳は軽く開かれ左手首に軽く添えられる。そして黒暗の男は口を開いた。


が舐めんなよ」


 深く皺のある声は凛と月光の庭園を押し通ると、ジリジリとにじり寄る有象無象の鼓膜を震わせる。

 云い放った黒暗の男は深く被った外套の頭巾から鋭く黒瞳を覗かせ鋭く細めた。歳は分からない。深く暗く黒の姿はまるで獣のようだ。その印象だけが頭にこびりつく。


 対峙した有象無象のかしらは構えた片手剣をカタカタと震わせた。

 包み隠さぬ鋭く静かな殺気を前に、気をへし折られるのではないか。そう肌で感じたのだ。白刃を振るう刹那に頸を跳ねられるのはきっと自分だ。その未来が視える。だから震えたのだ。


「な、なあ。アラン・フォスター。お前の雇い主は幾らでお前を雇った?」

「お前が死ぬのに、それがなんの関係がある?」

「は?」

「俺の賃金が、お前の死に何の関係があるんだって訊いてんだ」

「ちょっと待てよ。落ち着け。安駄賃のために随分と危ねえ橋を渡るじゃあねえか。金に困ってるのか? それなら三倍は払ってやる、どうだ? それで手を打たねえかアラン・フォスター」


 フリンフロン王国交易都市セントバ。

 アラン・フォスターの生まれ故郷、属州ベルガルキーと本国フォーセットの国境くにざかいに位置するエドラスの村から東へ数日。気が遠くなるほど馬を駆りフリンドーシャ大森林を抜けるとセントバへ到着する。

 王都フロンよりも煌びやかで騒がしく人種の坩堝と云えるのは世界を見渡しても、交易都市セントバ以上の都市は見当たらない。世界最大の都市と云ってよかった。

 黒暗のアラン・フォスターが、ごろつきの頭領キルアルと対峙したのは、セントバ郊外に居を構えた商人貴族の城館の庭園であった。

 キルアル達はセントバの闇の住人だった。

 しかし金に飼われ騎士のまねごとを始めると幾ばくか人間らしい幸せを享受できるようになった。子供達を食わすこともできるようになった。それでも、その幸せはこの夜を境に奪われようとしていた。

 草原の民の戦士アラン・フォスターを敵に回してしまったから。


 アランはキルアルの提案へ静かに答えた。

 豪奢な城館、月の光に照らされた庭園。

 そこにはどうにも似合わない暗闇の声が再び押し通った。


「金貨で六枚だ」

「は? お、お前。金貨六枚のために館を襲ったってのか?」

「そうさ。その六枚が俺の全てだからな」


 もう、それ以上の言葉はなかった。

 身体を右に捻ったアランは右手を柄へ軽く添える。

 目一杯捻ると上半身を次の瞬間には弩級のように撃ち出し、残された両脚は地に吸い付きながら半拍の間をおいて身体を支えた。

 黒刃の軌跡は月明かりに照らされ蒼白い線を描いたが、一回転する頃には真紅に染まり幾つかの頸を跳ね飛ばした。血飛沫が黒刃の残滓を追いかけ、月明かりの庭園を赤く黒く染め上げる。



 たった今、自分を襲った両手剣に比べれば随分と心許ない細身の剣。

 それで頸を持っていかれるのを防いだキルアルは、身体を吹き飛ばされると仲間の鮮血で染まった花壇に転がり失神寸前であった。キルアル自身、そこまで身体が小さい訳ではない。目の前で両手剣を片手で振るうアランよりも頭一つは大きいし厚さも違う。

 それであるのに、あの黒暗の戦士はいとも簡単に自分を吹き飛ばしたのだ。

「化け物かよ」

 手にへばりついた血糊を指で確かめるとキルアルはそう苦笑混じりにこぼすと、傍に転がった剣を手に取った。しかし、手に取った剣は刃を砕かれ使い物にならない。キルアルはそれに「なに喰えばこんな力を出せるんだよ」と毒付いた。役立たずの剣を放り投げ、何とか身体をもたげると腰に刺してある短剣に手を回す。こちらはまだ使い物になる。

 スラリと白刃を抜き放つとキルアルはアランの背を目がけ静かに走り出した。

 アランはまだ生き残った自分の仲間と切り結んでいる。



 金貨六枚。

 正確にはそれにもう数枚の銀貨を乗せなければ、アランが求めた秘薬を買うことはできない。しかし銀髪の薬師はそれを、とある仕事と引き換えに無償で提供すると言い出したのだ。ただほど高いものはない。それは幾つかある傭兵達の戒めの言葉の一つだ。

 だがそこまで手持ちもない。であればセントバで一稼ぎするかと考えていたアランに、銀髪の薬師の申し出は喉から手が出るほどに魅力的であった。


 時間もない。少しでも早く帰らなければ——娘の命はない。


 アランは唾を吐き捨てると、わらわらと集まるごろつきに「悪いな。この借りは聖霊の原で返してやるから、先に逝って待っていてくれ」と、静かに笑った。

 剣戟の最中、頭巾は払われ精悍な顔立ちを露わにした黒髪のアランは、確かに笑っていた。しかしそうとわかるのは口元だけ。黒瞳の浮かぶ双眸は冷徹に細められている。ごろつき達はそれに慄き硬直した。一歩でも動けば腕なり脚なりを斬り飛ばされ胸にあの黒鋼を埋め込まれる。その姿しか想像ができなかったからだ。


 数秒先の死は回避叶わぬ約束された死だ。


 アランは稲妻の如く駆け出した。

 最初の一閃でごろつき数人の身体を輪切りにし、次には風のように切り返すと背後から襲いかかった数人を袈裟斬りに伏せ、取って返しまた数人を逆袈裟に斬り上げる。

 ただの一つの白刃もアランの身体を傷つけることは叶わなかった。

 だから止むことのない血風は全てごろつきが撒き散らした怨嗟に塗れた鮮血で造られた。そのうちにアランは全身を血で染め上げ月光を背負うと、赤黒く佇み最後の一人へ両手剣を埋め込んだ。


 その姿は鬼神。

 宵闇に舞い降りた鬼神。忌みの血で染め上げられた暗闇だ。



 瞬く間に仲間は斬り伏せられた。

 駆け出しいよいよ背後に迫ったその時はもう全てが終わったようだった。アランは最後の一人へ深く深く刃を埋め込み足蹴にすると刃を抜いた。どろりと赤黒いものが流れ出し仲間はゆっくりと沈んでゆく。

 アランは油断をしている。


 キルアルは口を一文字に縛り、最後の一足で素早くアランの背後へ貼りついた。そして手にした短剣を奴の脊髄に叩き込む。その筈だった。

 キルアルの鋭い突きは確実にアランの命を奪った筈だったのだが、しかし次の瞬間には右腕を跳ね上げ身体を開いてしまっていた。アランは背後からの突きを右腕にした黒鋼の鱗籠手で弾いていたのだ。

 キルアルは硬直した虚無の刹那でアランがほくそ笑むのを見ると、彼が両手剣を捨て腰に刺された短剣を器用に抜き放ったのをみた。それは軽やかに抜き放たれると、宙でくるりと回りアランの左手に収まった。

 その次になにが起きたのか。

 キルアルはそれを確かめることはできなかった。



 背後から迫る殺気はまるで素人であったし気付くのに苦労はなかった。云ってみれば感覚を研ぎ澄ます必要さえない。だから、騎士だと云うんだ。アランはほくそ笑むと右腕を振るい抜き、迫り来るキルアルの白刃に鱗籠手を叩き付け弾き返した。

 生まれた刹那はまるで無限の時間の中のようで、緩やかにしなやかに腰から短剣を抜き放ったとしてもキルアルの末路を想像する余裕さえあった。


「だから云っただろ。舐めんなよって」


 くるりと左手の中で柄を回した短剣が軽く逆手に握られると、それは胸鎧ブレストプレートの継ぎ目を縫い深く深くキルアルの左腋に埋め込まれた。

 そしてもう一度念入りに、右手をキルアルの首に回し身体を密着させると短剣を更に埋め込んだ。おそらく切っ先は肋骨を掻い潜り心の臓を捉えた。キルアルは口角からゆらりと血を溢すと力無く両腕を垂らし身体を震わせ絶命をした。


「俺たち傭兵は掻い潜った修羅場の数が違うんだ。お前らみてえなごろつきの騎士様じゃあ相手にならねえんだよ。次は間違えねようによく覚えておけ」


 次はないことは分かっている。

 これを吐き捨てるのも傭兵の流儀だ。


「さてと——」


 アランはキルアルの骸を足蹴に突き飛ばし短剣を鞘に収めると、またぞろと蛮勇が集まり出す前に城館の中へと急いだ。

 黒鋼の両手剣を左肩に担ぎ、黒の外套を翻した。もう頭巾を被る必要もない。最初からこそこそと隠れるのは性に合わない。そう思っていたのだから何も気にする必要はなかった。月光を背負った鬼神は城館の両扉に手をかけた。



「父上、どちらへ? 随分と館の外が騒がしいのですが何かございましたか?」


 純白の寝着の裾を揺らし慌てて部屋の外へでた駆け出たアリサは、何やら大荷物を抱え慌て廊下を駆けた父、クラウスと鉢合わせになった。クラウスはすっかり豪奢な外着を着込み、これから旅に出るような姿で慌ててる様子だ。

 アリサはそれに怪訝な表情をなげた。階下から響く金属音に怒声に罵声はただ事ではないことは、どうやたってわかることだ。それであるのに父は、どうやら逃げ出そうとしている。それはアリサでなくとも眉を顰めるに十分な理由だ。


「中庭に賊が押し入った。何をもたもたしている! 逃げる準備をしろ! いや、もうその格好で良い、行くぞ!」


 痩せっぽっちのクラウスは気難しい顔を赤くすると乱暴にアリサのか細い腕を掴むと走り出そうとした。それにアリサは「痛いです!」と声を荒げ父の手を振り払った。


「こんな格好で外に出ろと仰るのですか?」

 アリサはブロンドを掻き上げ、ほんの僅かに露出をした胸の谷間に手を当てると、父の横暴に抗議するようだった。

「——これで外に出られるのは歓楽街の娼婦だけです。私は違います! それにこの騒動のなかお父様はどちらに行こうというのですか。屋敷の者をお助けにはならないので?」


 娘の抗議はもっとだ。

 だが今、自分が打って出て命を落としでもしたらどうする? ここまで商会を育てあげ爵位まで与えられた。それが一切合切無駄になろだろう。だから自分は他者の命を差し置いてでも逃げなければならない。クラウスは心中そう吐露をした。

 考えてもみれば、随分とこれまで人の幸せというものを踏みしだき我が道を歩いた。その道程でセントバ随一の薬師と呼ばれた銀髪のあの女を商会へ招き入れようと金を積み上げてきた。しかしあの女は「ある戦士を苦しめてくれれば考えてあげても良い」そう云うと金には興味もなさそうに、せせ笑った。

 随分と舐められたものだ。

 クラウスはそう思うと薬師にちょっかいを出すようになったのだった。セントバで商売をできないようにしてやろうと。しかしそれは毎回毎回、徒労に終わりついにあの女は「あまりにしつこいと後悔するわよ」そう云ったのだ。


 恐らく館に押し入ったのは薬師が雇った傭兵といったところだろう。そうでなくとも命を狙われる理由はあちこに転がっていると云ってよい。

 であれば、いよいよ命を落とすわけにはいかない。

 あのような薬師一人の差金に屈したとあらば商会の名折れだ。


「私が今ここで命を落とすわけにはいかないのだ。良いか私は反対の通路から外に出る。急いで持てるものを持って裏門へくるのだ」

「お父様。本気で仰っていますか? それに母上と姉上はどうなされたのですか?」

「わからぬ。夜会から戻って来ていないのだろう」

「まさか! そんなはずは……」

「いいから、早く準備をして来るのだ、わかったな」


 クラウスは顔面を蒼白とさせ慌てて云い放つと踵を返し廊下を駆け戻った。何度も荷物を落とし拾い上げながら走る父の姿にアリサは溜息をこぼすと、父とは反対方向、つまり階下のロビーに通じる階段のある方へと歩いた。


「あの父親の血が流れていると考えると——反吐が出る」


 アリサは道すがらに飾られた鎧騎士が携えた模造の剣を手に取り、そう吐き捨てた。



 金貨六枚少々の秘薬。

 それはアランの娘が患った死に至る病の進行を抑えるものだと薬師は云った。

 アランは治す薬が欲しいのだと詰め寄った。しかし、そんな薬はどこにも無いと薬師は冷ややかに云ったのだが連れてくれば治せるとも、やはり冷ややかに云った。その病は直接に薬師の術を用いなければ病理を取り除くことが叶わないのだそうだ。でもそれには更に多額の金が必要だった。

 薬師はアランが苦悩する様を楽しげに眺めると「お仕事を一つ、こなして貰えれば全面的に協力をするわ」と悪戯な鈴の音のように囁き「時間もないのでしょ? 早くしないと娘さんの命に関わるわ」そう耳元で声を甘く云った。


 アランは押し入った城館のロビーで、ごろつき共の同胞と斬り結びながらそんなことを思い返していた。人を殺す。ただそれだけの仕事なのであれば自分にうってつけだ。それに対して後ろめたさはもうない。戦場に出ればいつだって、そこに居るのは戦争の駒だ。そう駒なのだから。


 最後の一人を斬り伏せたアランは、悲鳴をあげ座り込んだ侍女達へ「そこで大人しくしてろ」と冷ややかに云うと黒鋼の両手剣を肩に担ぎ二階への階段を登った。

 見渡せば、豪奢な調度品で設られた玄関ロビーは血の海が広がり、元は純白であったろう魔導師ギルヌールの彫像も血塗られた。ここの商人は熱心なギルヌール神派なのだろう。あらゆる邪気や毒素を祓うとされたギルヌールの業はその傍で、金を洗い清めるものだと信じられ商人達の信仰も厚い。


 アランが登った階段の向こう側では、残党が剣を震わせアランの一挙手一投足を追いかけた。あの様子であれば襲いかかってくる胆力はないだろう。


「命は大事にな。聖霊の原じゃ金は使えないからな」


 一瞥を送ったアランはそう呟くと止めた脚を再び進めた。

 その時だった。

 階段の踊り場の壁からスラリと剣の切っ先が顔を覗かせたのが分かった。アランはそれに気が付くと電光石火の如く階段を駆け上がり、剣の主に両手剣を突き立てた。それはほとんど条件反射だったと云ってよかった。何を考える訳でもなく、戦場で抜き放たれた白刃を不意に見れば無条件で身体が動くのだ。

 無論それが味方のものであれば判別も尽くし、つかなったとしても初撃で沈む味方を持ったことはアランにはなかった。

 だからアランは絶句したのだ。

 今自分が両手剣を埋め込んだ相手を見て。


「こ、子供……。クソ!」


 そうか。そうだったのだ。自分は無慈悲に命を奪う賊であり、ここは戦場ではなく——どんな輩だろうと人が生きる場所だったのだ。娘の命の事ばかりを考えそれを忘れあまつさえ簡単な仕事だと云い——ついには自分の娘と同い年程の子供へ黒鋼を無慈悲に埋め込んだのだ。


 それは、先ほど逃げ出す父の背中に呪いの言葉を吐いたアリサだった。

 アリサの胸に突き立てられた黒鋼はその重量でか細い身体を押し倒し、彼女は背中を廊下につけ血の泡を吹いた。広がる血にアランは「クソ! クソ! クソ!」連呼し身体を痙攣させたアリサの顔を何度も撫でつけ「なんで剣なんか持っていたんだ。お前の親父はどうした」と小さく、答えを得られるはずもない問いを投げかけた。

 許されるはずもない。だが許してもらいたいとも思わない。ただただアリサのその姿に自分の娘の姿を重ね得体の知れぬ悲しみに苛まれた。

 そしてゆっくりとアリサが手にした剣へ手を触れると愕然としたのだ。

 それは模造の剣だった。通路の向こうを見れば乱暴に打ち捨てられた鎧騎士の残骸が転がっている。

 少しは剣の訓練をしていたのだろうか。

 アランの娘も身を護るためと自分に剣術の教えを乞うた。だから少しばかりは教えた覚えがある。この娘はそんな理由ではなかったのだろうが、少々剣術を嗜んだが故に賊を追い払うだけならばと模造の剣を手に取ったのかも知れない。


 だが、相手が悪かったのだ。

 そう自分に云い聞かせた——だが、それは違う。自分は今、戦場の駒ではなくただの賊だ。覚悟のない人間の命を奪うただの獣だ。

 アランは絶命をした少女の骸を前に黒鋼を抜くと、力の限りの声を張り上げながら踊り場にあった柵やあらゆる壁、調度品の数々を打ち付けた。

 それは獣の咆哮にも思え、先ほど身を寄せ合った侍女達、階段で戦意喪失をしたごろつき数名は、雷に打たれたように跳び上がり一斉にその場から逃げ出していった。

 その慟哭の破壊は目に付くもの全てを砕き切るまで続くのではないかと思われたが、しばらくするとアランは踊り場に片膝を付け肩で息をした。


「親父はどこだ」


 アランは遠くで何かをひっくり返すような音を耳にすると、アリサの両目に手をやり恨めしそうな眼を閉じてやった。


「すまなかったな」


 アランはそう溢すとその場を駆け出した。



 

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