カミーユ・グスタフと光の学徒
<魔力の矢>が飛び交い宙を斬り裂く音は森の中に滑りこんでしまえば、だいぶ遠くで聞こえるようになった。それに引き替え第三連隊の同胞が轟かす断末魔の叫び、怒声、祈りと呪いの言葉といったものはカミーユの鼓膜にこびりつく。
カミーユは木に寄りかかり宙を仰ぎ見た。
心臓が早鐘を打ち、視界の端を暗くする。鼓動が耳元で聞こえると、こめかみあたりがドクドクと脈を打っているのがわかった。耳に届いた喧騒は早鐘の調子に合わせ縫い合わされると、頭の中へ見てもいない惨劇を造り出す。
それは戦場が産み出す悪夢と幻想。
心を折れば宙から降り立つ戦女神に祝福され聖霊の原へ導かれる。心を折らなければ、そこにあるのは変わらず、血反吐まみれの現実だ。胸に手を添え深く深く息をつく。かぶりを強く横にふり感覚を戻すことに努めた。
仰ぎ見た宙に戦女神の姿は現れなかった。
どうやら無事に地獄へ戻ってこれたようだ。
瞼を閉じ、もう一度深く息を吸い込んだカミーユはゆっくりと目を見開き背にした巨木越しに南を一瞥する。
※
丘下に続き広がった森と草原の境界に魔術師達の即席の陣は構えられていた。
ざっと三十程の純白外套の魔術師達は皆おなじく純白の頭巾を目深に被り、小振の魔法杖を振り乱し<魔力の矢>を撃ち続ける。
カミーユはそれに目を疑った。
戦士である彼女であっても魔術の予備知識はある。これほどに連続した魔術の行使は術者の体力を著しく消耗をするはずだから、疲れを知らずに撃ち続ける彼らの姿に不自然さを感じたのだ。
よく見れば彼らの足元には大きな円環の幾何学模様が描かれ、それはうっすらと青い輝きを放っている。その円環の中心から一本伸ばされた、やはり青い線は直ぐ傍に描かれた小振りな幾つかの円環の中心に途中枝分かれをし合流をしていた。
そして小振りな円環の中央に在るのは——
「子供? あれ子供なの?」
そこに在ったのは大雑把な純白の貫頭衣に身体を包んだ少年少女だった。
その場に座り込み両腕で己が身を包み込み、小刻みに震えているようだ。それが苦痛ゆえのものなのか、寒さゆえのものなのかがわからない。しかし、それが子供にとって良いかどうかと訊かれれば、きっと悪い状況であるに違いない。
と、カミーユが瞬きをする間に一つの円環の少年がパタンと身体を前に折ると青く輝きパッと粒子を飛散させたのだ。すると子供の姿はまるっきり粒子と化し宙へ霧散していったのだ。
それを監視していたのか、森の暗がりから<暁>の戦士が姿を現した。
戦士の片手には別の少年の腕が握られ、円環の中央に連れゆくとそこに座らせた。
「痛い!」少年が悲鳴を上げると足元に血が広がり、おそらく戦士は少年の足の腱を斬ったのだ。
その光景はカミーユの胸中を揺さぶった。
狂った光景だ。魔術を撃ち続ける魔術師達の魔力を子供達の魔力で補完をする。極限まで体力を魔力へ変換された子供は蒸発するように宙に霧散する。そして、それを補填するように別の子供がつれられ逃げ出さないよう足の腱を斬り飛ばすのだ。
心臓が再び早鐘を打ち、張り裂けそうになる。
頭では無謀だとはわかっていた。しかしまともな判断はもうできない。
カミーユは「蟲野郎!」と叫び巨木から勢いよく躍り出た。
※
ガシャン!
カミーユが飛び出した瞬間だった。
突如として背面から強い力が働き、獣のように飛び出した女戦士は地面に這いつくばった。背中に覆いかぶさる何かの気配を感じると、大きな掌で口を強く抑えられた。その間にも視線の先では次々と身体を折っていく子供達の姿が青く輝き宙に散っていく。
「んー! んー! んー!」
喉を斬り裂く程に「離せ!」と叫ぼうとするが、それは阻まれた。
双眸を大きく見開き、瞳は極限まで引き絞られる。背後にのしかかった
「グスタフ、堪えろ。まだ駄目だ」
押し殺した男の声が頭上から降ってくる。
聞き覚えのある声だった。
それは、先ほど自分を蹴り起こした歩哨役だった戦士だ。
新たに連れて来られた少年少女は、やはり小さな円環の中央に座らされ、やはり足の腱を斬られた。
「んー! んー! んー!」
「今は駄目だ。もうすぐ本隊が突っ込む、それまで待て」
※
戒めを解いてしまえば、今にでも猛獣のように駆け出し魔術師達の喉笛に喰らいつこうとするだろう。カミーユを抑えた戦士は、それだけは駄目だと更に拘束の力を強めた。カミーユの馬鹿力は戦士を今にもひっくり返そうとしたのだから、仕方がなかった。この戦士も連隊長と同じく、彼女の父エストール・グスタフを慕った男の一人だった。
グスタフの忘れ形見をむざむざ殺させるわけにはいかない。
男が待てと云った矢先、その言葉通り第三連隊の生き残りは決死の覚悟で魔術師の陣に襲いかかった。青の閃光が戦士達のかぶりに胸を撃ち抜ぬくと、脳漿をばら撒き、肋骨は背面に突き出て破れた肺袋をぶちまけた。
その蛮行とも思えた幾重にも重ねられた戦士の死は、とうとう魔術の脅威を封殺し魔術師共の喉笛を掻き切ったのだった。
一瞬の出来事だった。
雪崩れ込んだ第三連隊は最初の魔術師を斬り伏せると勢いにのり、ほうほうの体となった魔術師たちを瞬く間に斬り伏せていく。
しかしそれでも魔術の脅威は戦士達を暗がりから襲い、馬の脚を絡め取り転倒させると<暁>の戦士が落馬をした戦士の頸を斬った。
「離せ!!」
その光景にとうとう我を忘れたカミーユは、背中の戦士を振り落とすと戦士の鞘から剣を奪いとり駆け出したのだった。
「グスタフ! 魔術師、一人は生かしておけよ!」
振り落とされた戦士は「イテテテ」と偶然に顎にはいったカミーユの肘打ちの跡を抑え立ち上がると、そう叫んでいた。このままカミーユを闘わせては<暁>の戦士も所属不明の魔術師も全て殺してしまうのは目に見えていたからだ。
※
飛び出したカミーユは一目散に魔術師の陣へ全速力で駆けた。
散り散りになった魔術師の一人は、背を低くぐんぐんと駆ける女戦士に気がつくと「この蛮族が!」と侮蔑の叫びを投げつけ魔術師の杖をヒュンヒュンと振るう。
杖の軌跡に青白く輝く閃光が走り目にも留まらぬ勢いでカミーユへ襲い掛かる。だが彼女はそれを「ちょろい!」と一喝し、一つはひらりと身体を回転し躱すと一つは白刃を振るい地面に叩き落とした。
「沈みなよ、蟲野郎!」
低い体勢からカミーユは一足飛びで魔術師に身体を寄せ左肩で吹き飛ばす。
そのまま身体を捻り右足を軸に、もう一度、体を浮かせた魔術師を追いかけ跳躍する。構えた剣の切っ先が水平に半孤を描き円を描ききる頃には、とうとう背に地をつけなかった魔術師の身体を真っ二つ斬り分けていた。
鮮血を噴き上げ臓物をぶちまけた魔術師の骸はカミーユのブロンドを赤く染め上げ、森の暗がりに勢いよくゴロゴロと姿を消した。
カミーユは疲れてはいなかった。
ハッハッハッと肩で息をするのは興奮をしているからだ。
ただただ収まらぬ怒りに我を忘れ次の獲物を探す。
絞られた飴色の瞳は
※
第三連隊の突撃は実に半数の戦士を魔術の餌食に持っていかれた。
しかしそれは<草原の暁>軍を正面へ釘付けにし、一人駆けをしたカミーユの存在を包み隠す結果となった。
森を疾風の如く駆け抜けた女戦士は、ガラ空きの左翼土手っ腹へ一人喰らい付き敵を蹂躙したのだった。これには第三連隊の面々も面食らったが、一斉に総崩れをした<暁>軍を正面突破し、見事に壊滅に追い込んだのだった。
魔術師団は全滅、生き残った<暁>の戦士達は魔力の生贄とした子供達を詰め込んだ馬車を放り出し<灯台砦>へと逃げ帰った。
「この首飾り——」
「あーあー全員やっちまいやがて……。一人残しとけって云っただろ。
——ああ、こりゃ<光の学徒>のものだな」
本国からやってくる魔導師大隊が死体漁りを始める前にと、カミーユは接敵から抱いた疑念を明かすべく魔術師の骸を漁った。三十体もの骸の全てから、外套からその下のローブに至るまでを
カミーユはそれを手に取り繁々と観察をした。
二匹の蛇が互いに絡み合い互いの尻尾を喰らう意匠。それは魔術の、いや、
魔術学院の机にへばりついた穴倉の蟲共は、そこから世界を見渡し我こそは世界の
カミーユの傍で首飾りに視線を落とした戦士は、彼女から剣を受け取り鞘に戻すと「それで、どうすんだ。これ報告したら
「でもさ、本国はこのことを知らなかったのかな?」
「なんだって? どういう意味だ」
「だからさ、魔導師共は知っていたんじゃないかって。暁の裏で学院が糸を引いている可能性を。考えてもみなよ。あんなに都合良く夜襲に気づく? それに、バッチリと陣取っていたわよね、あの魔術師達。あんな子供まで用意してさ——」
カミーユはそう云うと救出された子供達へ憐れみの眼を投げた。
よくよく彼らを見れば、特徴的な栗色の毛髪は恐らくブレイナット公国の何れかの国が出自であるはずだ。つまり魔術師達はベルガルキーで奴隷を買ってしまうと足が付くと踏み、ブレイナットで調達をしここまで連れてきたことになる。であれば、国境を越える際に奴隷の
「なるほどな。身体つきに似合わず賢いなお前」
「は? 身体つきと賢さになんの関係があんのよ! あたしは普通に賢いんだ!」
無礼な同胞に一喝をしたカミーユは顔をしかめ戦士の尻を蹴り上げた。
騎馬の戦士は地を征く盾兵や槍兵とは異なり、身を固める装備は比較的に軽い。所謂、軽鎧と呼ばれる部類のものを装備する。
それは鞍に跨っても邪魔をしないように造られるから、腰鎧の尻の部分は布のスボンが剥き出しだ。だからカミーユの渾身の蹴りを受けた戦士は堪らず「痛ってえーな!」と声を張り上げた。
すると、どこからともなく「グスタフ! 遊んでるなよ! 次に行くぞ!」と連隊長代理から叱咤混じりに呼ばれ「はい!」と、カミーユは答える。もう一度、今度は握り拳で蹴り上げた戦士の背中を小突き「いくよ!」と、馬を拾い陣形に戻った。
もうその頃には第一、第二連隊も合流を果たし<灯台砦>攻略の準備が整っていた。それからほどなく、陣頭指揮を執る第一連隊長の掛け声のもと<灯台砦>への攻勢が開始された。
魔術師団の壊滅に浮き足だった<草原の暁>軍は籠城に打って出るのだが、第三連隊長の弔い合戦だと士気を高めた猛攻に成す術もなかった。ほとんどの<暁>の戦士は鎧に装備を投げ打って、海に飛び込み<灯台砦>を明渡したのだった。かくして、カミーユ達は本国の死体漁りがやってくる前に、砦を取り戻した。
東の空から帷が上がっていく。
カミーユは砦の胸壁から海を眺め、もう一度先程拾った<光の学徒>の首飾りに目をやった。
「やっぱ、報告しておかなきゃ駄目だよね——」
フェアルキアの水・十五節——灯台砦。
その日の朝はよく晴れ渡り冬の気配を残した冷たい風がカミーユのブロンドを乱暴に撫で付け吹き抜けて行った。
それに父親譲りのくりんとした双眸を細めたカミーユは胸壁をぐるりと歩き、その日の惨劇の痕跡を眼下に眺めた。朝日が浮き彫りにした戦場の跡は死屍累々の地獄絵図で、太陽がてっぺんに昇る頃には本国から魔導師達がこれを漁りに来るのだ。
カミーユをそう想いを巡らせると、顔をハッとさせ「連隊長を拾いに行かなきゃ!」と声を挙げ慌てて胸壁を降りて行った。
あんな卑劣な逆賊にまで情けをかけるようなお人好しの骸をこのまま魔導師達の怪しげな儀式に使われたら——目覚めが悪いというものだ。頸が吹き飛んで無くなっていようが家族の元へなんとか骸は届けてやりたい。
父親——エストールならばきっとそうした筈だ。
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